こんにちは。
今日は、すでにイギリスで勃発してしまった国債危機がいったいなぜ起きたのか、なぜイギリスが発火点になったのか、防ぐ方法はあったのか、今後の世界経済はどう展開していくのかについて、書こうと思います。
すでに株と債券、合わせて35兆ドルが消えている
まず次のグラフをご覧ください。
2007~09年の国際金融危機後の「順調」な金融市場の回復は、ほぼ全面的に世界中の中央銀行、中でも経済規模の大きな先進諸国の中央銀行が目一杯バランスシートを膨らませて、金融業界に株を買うカネを提供していたからこそ可能だったことがわかります。
世界の株式・債券市場全体であれば去年の11月中旬、アメリカ株であれば今年最初の営業日となった1月3日にピークを打った金融市場は、その後の1年弱でなんと約35兆ドル(5000兆円強)という天文学的な時価総額の減少に見舞われました。
今回の金融危機の特徴は、「株は危険だから安全な債券、それも経済規模の大きな先進諸国の国債に逃げこもう」という手が使えそうもないことです。
「株がダメなら債券があるさ」は通用しない
金融の世界には、100年以上の長期にわたって一貫して当てはまる法則はめったにありません。
よく「安値で買って高値で売れば必ず儲かるんだから、投資で財産をつくるのはかんたんだよ」とおっしゃる人がいます。ですが、どこが安値でどこが高値かは、終わってみなければわからないものです。
そのむずかしい世界で、ほぼ唯一「鉄板」とも言うべき法則性を発揮していたのが、「危険を冒してもいいときには株、危険を避けるべきときには先進国の国債」というルールでした。
このルールの切れ味の良さは、次のグラフにも鮮明に表れています。
一般論として、失敗すれば元も子もなくす株はリスクを取る分だけ、毎年決まった金利が入ってくる債券より平均的な収益率が高くなります。
ところが、リスクを取りに行くべきではない時期にはこの関係が逆転して、株を買うより債券を買っておいたほうが収益率が高くなります。つまり、リスクを避けたいときには、まず破綻をしそうもない国の国債を買っておくのがいちばんというわけです。
110年以上の長期にわたって確かめてみても、本気でリスクを避けるべき時期は大きく分けて4回(こまかく見れば5回)しかなかったことがわかります。
まず、1930年代の大不況期に大きな1回目がありました。
このときは、1929年のパニック(大恐慌)で、ごく短期間債券利回りが株より良くなり、続いて1930年代半ばにこれが短期的なショックではなく構造的な問題だとわかったときに、4~5年間債券利回りが株の配当プラス値上がり益を上回りました。
2回目は、米ドルの金兌換停止、ニクソン訪中、第1次オイルショックと世界を揺るがす事件が続いた1971~74年に起きました。
3回目は、第2次オイルショックからアメリカ国内のスタグフレーション(不況下のインフレ)へとつながった、1970年代末から80年代初頭に発生しました。
そして4回目は、アメリカ国内のサブプライムローン・バブルの崩壊から、国際金融危機への激流の中で先進諸国の大手金融機関がバタバタと破綻した2007~09年に勃発しています。
というわけで、ふつうであれば今回もまた「国際的な金融危機がしばらく続くようであれば、安定した金利収入が見こめる先進国の国債に逃げこんでおくか」ということで済みそうな気がします。
ところが、今回はどうもその手が効かなそうなのです。
国債半年で6割暴落の惨劇は、なぜイギリスで起きた?
この事実を劇的なかたちで我々に教えてくれたのが、イギリス政府が発行しているインフレ連動債の、見るも無惨な価格崩落でした。
ご覧のとおり、イギリスのインフレ連動30年債は、今年の3月末の150ポンドから約半年で60ポンド前後へと、6割の大暴落となっています。
同じくインフレ連動ですが、返済年限の短い7~10年債も、直近で2~3営業日のうちに16~17%の大幅な値下がりを演じました。
この問題に関しては、任期途中で政権を投げ出さざるを得なかったボリス・ジョンソン前首相の後継者であるリズ・トラス新首相があまりにもお粗末で、早くも与党内からもジョンソン復帰の願望が噴出しているなどの政治的背景だけで判断するのは間違いです。
アメリカの中央銀行である連邦準備制度(Fed)が去年の暮れ頃利上げ方針に踏み切った頃から、イギリスのインフレ連動30年債は徐々に下落に転じていたのです。
国債の金利が上がるということは、同額の金利を稼ぐのに必要な元手が少なくて済む、つまり国債価格が下がることを意味します。
国債の買い手にとっては喜ばしいことですが、金利を支払う発行体にとっては負担増です。しかも、イギリスは自国の経済規模に対してあまりにも大きな借金を、諸外国に対して負っているのです。
よく「政府・地方自治体の公的債務がGDPの何%」とか「公共機関、民間企業、家計をふくめた総債務がGDPの何%」といった議論が出ます。
ですが、政府が企業や家計に借りているカネのように、国民経済の中で貸し借りの精算ができる借金はあまり大きな問題ではありません。
国が自国民に対してどんなに大きな借金をつくっても、国民としてはその借金の返済のためにあとから増税が来ることを覚悟するか、現在の政権にはこれ以上任せられないとなったら、債権を放棄して新しい政権をつくってやり直すか、他国の介入なしに決められます。
他国に対する借金は、はるかに大きな問題です。国連憲章によって借金のカタに他国の領土を奪うことは禁じられていますが、その国の重要な生活インフラの運営権を寄こせというような介入は、現に中国政府がアフリカ最貧国やスリランカの港湾施設でやっています。
その大問題である対外債務が、イギリスの場合、GDPの3.45倍と、ギリシャの2.98倍より大きいのです。
イギリスは、すでに確定している年金債務をどうしても税収や債券発行で賄うことができずに、LDI(Liability Driven Investment――これだけの債務を履行するためには、運用でこのぐらいのリスクはとらなきゃいけないという危険な運用手法)を使っている貧困国です。
Fedの金利引き上げに追随しているうちに、年金債務の穴埋めに使ったはずのLDIで債券価格暴落に伴うデリバティブ証拠金追加請求が来てしまい、さらに巨額の損失を背負いこんだので「これでは国債の元利返済資金も危ない」という騒ぎになったのです。
イギリス以外で対外債務の大きな国は?
シンガポールの対外債務はGDPの4.71倍もあります。ですが、対外資産(諸外国への投融資総額)は、この金額より約6000億ドルほど多い対外純資産国なので、あまり大きな問題とはならないでしょう。
ただ国民経済全体が商品取引に特化したヘッジファンド的な印象の強い国ですから、コモディティ価格の変動次第では巨額損失もあり得ます。
対外債務がGDPの2.85倍とギリシャよりやや低いスイスも、海外への投融資と通算すると、シンガポールとほぼ同じ約6000億ドルの対外純資産国です。
というわけで本来なら問題はないはずですが、スイスの中央銀行であるスイス国立銀行がアメリカ株中心のヘッジファンドとしての運用で稼いで、大株主である各州政府に配当を出している不思議な中央銀行なのです。
ですから、アメリカで大手ハイテク株が総崩れになっている昨今の金融市場を見ると、案外巨額損失を出すかもしれません。
対外債務の対GDP比率が高い国は、どこかおかしなところがある国だと警戒しておいたほうがいいでしょう。
なお、対外債務がGDPの0.96倍の日本はGDPの1.5倍の対外資産を持っていて、対外純資産は世界最大の約3兆ドルに達していますから、対外債務問題で躓くことはほとんどあり得ません。
ちなみに、イギリスの対外純債務は約7000億ドルですから、対外総債務約9兆ドルに対して、対外総資産は8兆3000億ドルぐらいしかないわけです。
イギリスの7000億ドルという対外純債務の規模は、桁外れに巨額で約8兆ドルの首位アメリカ、約9800億ドルの2位スペイン、約7600億ドルの3位オーストラリアに次ぐ、最悪から数えて第4位に当たります。
「イギリスは大英帝国として世界中に持っていた植民地の宗主国だったので、植民地を中心にあちこちから調達した資金を運用して利ざやを稼ぐことに慣れているから」という老舗の貫禄で純債務状態を長年維持してきました。
ですが、自国民に支払わなければならない年金債務を果たすためにLDIという危ない橋を渡るほど切迫した資金難の国ですから、いつまで諸外国から投融資を惹きつけていられるものか、大いに疑問です。
巨額債務はアングロサクソンの特権か?
それにしても不思議なのは、人口1人当りの天然資源可採埋蔵量ではおそらく世界で一、二を争う資源大国オーストラリアが、対外純債務の3位に入っていることです。
昔植民地だった国々では、まだ国際金融の経験も知識もなかった頃に欧米列強に欺されて借金のドロ沼に追いやられっぱなしで、未だに対外純債務から抜け出せない資源国もあります。
オーストラリアの場合、先住民は絶滅寸前まで追い詰めておいて、母国と同じような教育を受けて育った白人ばかりで切り盛りしてきた国でありながら、天然資源の開発でもほとんど資金を海外からの投融資に頼り切ったプロジェクトが多かったということなのでしょう。
そこで、世界をアングロサクソン系の白人が主流の国々、西欧・北欧・南欧諸国、中国、ロシアなどの東欧諸国、そして中国を除くアジア諸国、ラテンアメリカ諸国、アフリカ諸国、その他小国と分けて、対外総債務の世界総額に対する比率を調べてみました。
アングロサクソン諸国は世界人口の約6%の人口で、世界全体の39%の借金をしています。その分だけ、他国より巨額の支出ができて、生産活動に回したり、稼ぎを超えた生活水準を維持したりしているわけです。
ただ、この5ヵ国中でカナダだけは約1兆ドルの対外純資産国です。投資を考える方が、国内にはめぼしい対象がないので、アメリカの金融資産での運用に落ち着くことが多いのも一因でしょう。
西・北・南欧諸国は世界人口の約5%で借金の約29%、人口との比較で6倍弱の借金をしています。
アングロサクソン諸国と似たような比率に見えますが、アメリカ・オーストラリア・イギリスに匹敵する純債務をしょっているのはスペイン1国だけで、あとは対外債務と対外資産とが似たような水準にある国が多いという差があります。
中国は約13兆ドルの総債務に対して約15兆ドルの総資産があるので、対外純資産国です。
これだけ大きな対外純資産を持ちながら、投融資からの所得収支(対外投融資から得る金利・配当収入マイナス海外からの投融資に払う金利・配当支出)では毎年支払い超過になっているという問題はありますが、今のところ借金を払えずに破綻する国ではありません。
なぜ、アングロサクソン諸国はこれほどの対外債務を維持してこられたのかと言えば、やはりイギリスからアメリカへと2代にわたる世界経済の覇権国家として君臨してきたことの余禄に与ったり、そのお裾分けをいただいているという感は否めません。
現役の覇権国家、アメリカの場合にはすさまじい金額の対外純債務をしょいながら、対外投融資の所得勘定では黒字(収入超過)になっています。
諸外国には金利ゼロ同然の自国債を買わせながら、それによって受け取った資金はしっかり配当や金利の入ってくる対外投融資に回しているわけです。
イギリスはもう、元利耳を揃えて借金を返すためにはポンドの増刷が必要で、そうするとますますポンド安になって返済負担が膨張するという悪循環に陥っています。
今までのところ、アメリカは世界中どこの国からカネを借りるときでもドル建てで借りられたので、ドル安になっても元利返済負担が増えることはなかったわけです。
はたして、この基軸通貨を持っているからこその特権が、いつまで続くものでしょうか?
さまざまな指標を使って探っていきましょう。
中央銀行の資産膨張が失敗だったことは明白
まず断言できるのは、「経済活性化には安定したインフレ状態が不可欠で、そのために中央銀行が金融機関から国債や担保付き証券や株のETFを買って、金融市場にカネをばら撒く」という量的緩和政策が失敗だったことです。
一目瞭然というべきでしょうが、中央銀行が資産を拡大した国ほどインフレ率は低くなっています。
その両巨頭とも言うべき日本とスイスでは、同じような「量的緩和」に見えても中身は相当違います。
スイスの場合、総資産の拡大は国内金融機関にカネをばら撒くためではなく、自行がアメリカ株を中心としたポートフォリオ運用で儲けようとして拡大したのです。
ですが、日銀は金融機関にカネをばら撒くつもりで資産を拡大したのに、ちっともその結果としてのインフレ率上昇がついてきませんでした。
なぜかと言えば、日銀にカネをばら撒いてもらった銀行を中心とする金融機関が、そのカネを積極的に国内の投融資に使うことをしなかったからです。
ご覧のとおり、中国は別格としてもアメリカの銀行業界はFedにばら撒いてもらったカネを投融資に使って銀行業界全体としての総資産を拡大しています。
一方、日本の銀行業界は延々とおこなわれた日銀の量的緩和に対して、ほぼ無反応でした。ユーロ圏の銀行業界にいたっては、むしろ総資産を圧縮しています。
日本・ユーロ圏の銀行業界は怠慢だったのか?
日本やユーロ圏の銀行業界は、量的緩和への協力をサボっていたのでしょうか。私は、むしろこれらの銀行業界こそ、先進国経済の現状を良く把握していて、資金需要の低調な企業に貸しても貸し倒れリスクが大きすぎると正しい判断をしていたのだと思います。
むしろ、日銀や欧州中銀のほうが「銀行が融資をして企業に投資を活発化させれば景気が良くなる」という製造業全盛期の固定観念にとらわれて、サービス業主導の経済では無理な景気浮揚策にこだわりすぎたのではないでしょうか。
「いや、アメリカでは立派に成功したではないか」というご反論もあるかと思います。ですが、アメリカでも量的緩和の恩恵を受けたのは一握りのハイテク大手企業の株主と経営者だけです。
しかもこうした企業の株価上昇の大半は、業績はパッとしないのに同じ業績に対する評価が上がっただけで、じつは金融市場の中にとどまる資金循環の活性化でしかありません。
次のグラフは、中央銀行の総資産が肥大化すると国内需要の伸び率は低下することを示しています。
この中央銀行総資産の対GDP比率と国内需要成長率の逆相関はおそらく、次のような理由で成立しているのでしょう。
中央銀行のカネは金融業界の中でも大手金融機関中心にばら撒かれるので、ほとんど資金需要のない旧態依然とした製造業大手に無理やりねじ込んでも仕方がないと、銀行の中で眠るか、その銀行が日銀に開設している口座に放りこまれてそのままになる。
つまり、現在ほんとうに資金需要のある中小零細のサービス業で発展しつつある企業には届かないということです。
次のグラフが、この推測の正しさを示唆しています。
横軸はさっきと同じ、中央銀行総資産の対名目GDP比率です。縦軸は、さっきの需要の伸び率ではなく、国内非金融企業への信用供与成長率、つまりほんとうに資金を必要としている企業への融資伸び率と言える変数です。
おそらく、金融市場への資金供給で中央銀行が占有率を高めるほど、そもそも預貸率が低くてこれ以上資金を供給されても投融資の対象が見当たらない大手都市銀行に資金が溜まってしまい、その結果融資の伸び率が低くなるのだと思います。
これはもう、中央銀行の資産肥大化が、ほんとうに必要な企業への資金供給をクラウドアウトしていると言っても過言ではないでしょう。
金利を上げれば需要が伸びるのか?
次のグラフは、一見「日銀もFedや欧州中銀のように金利を引き上げるべきだ」との主張に根拠を与えそうな気がします。
議論の道筋としては、おおよそ次のとおりでしょう。
「名目金利を引き上げれば、インフレ許容度が高まる。インフレ率が上がれば、企業も消費者も買い急ぐので、経済活動が活発化し、成長率も高まる」
残念なことに、年金などの所得はどう考えてもインフレ率ほど伸びないことを知っている賢い消費者の多い日本では、インフレ許容度が高まることと、インフレ率が高まることのあいだに簡単には跳び越えられない溝があります。
このグラフは、やはり需要の伸び率が高まれば、名目金利を上げても景気失速を招くことはないという方向に読み取るべきでしょう。
出生率上昇が需要拡大のカギだろうか?
日本経済の停滞を打破する方法として、出生率の上昇に期待する向きもあります。次のグラフはそのへんについて、示唆するところがあるでしょうか?
まず、このグラフを「実質金利を上げれば、生活に余裕ができて子どもを産みやすくなる」と解釈するのは無理でしょう。
高くと言っても1.0~3.5%の範囲内の話です。よほど元本が大きくなければ生活に余裕が出るほどの金利収入にはなりませんし、それほどの元本をお持ちの方はもっと効率のいい運用をできるでしょう。
とすれば、やはり「出生率が高まると経済が活性化し、多少実質金利が高くても企業や個人世帯でその金利を払ってカネを借りるところが多くなる」と読むべきでしょう。
ただ、私には「経済活性化のために人口を増やせ」という議論には、双手を挙げて賛成しにくいところがあります。
「子どもが産まれるたびに補助金を出し、第1子より第2子、第2子より第3子への補助金を高くせよ」といったかなり具体的な提言をされる方もいらっしゃいます。
こうした剥き出しの金銭的刺激に鋭く反応する方たちばかりが子だくさんになる社会が、はたして住みやすいものになるだろうかという不安もあります。
「子どもを産む」「産まない」はあくまでもご当人たちの合意の問題として、政治家や官僚やまして経済学者は介入せず、あくまでも子どもを産みたいと考えているカップルにとってなるべく障害の少ない社会にすることに目標をとどめるべきではないでしょうか。
その際、日本ではとくに子どもを産める年齢層の女性の就業率が他の先進国と比べて低いのは、正規・定時と非正規・不定時の就労で雇用条件が違いすぎるからだという事実は抑えておくべきでしょう。
人口抑制論は明らかにおかしい
逆に、「人口過剰こそ問題であり、豊かな社会を築くためには人口を抑制すべきである」との主張については、賛成しにくいどころか絶対に反対です。
第二次世界大戦後、これだけ人口が増え、最貧国でさえも少しずつでも着実に生活が豊かになっていることは、統計的に実証されています。
なぜ、人口抑制論の本家とも言うべきローマ・クラブなどが強引に「人口が多すぎるから、人類全体が貧しくなっている」と主張するのか、長いこと不思議に思っていました。
最近になってわかってきたのは、一見大規模製造業とは敵対していそうな彼らが、じつは製造業的な尺度によってすべてを測っているという事実です。
たとえば、次のようなグラフが「資源枯渇による人類窮乏化」の証拠として持ち出されます。
ローマ・クラブによるこのグラフの解釈は、こうです。
「1963年から2000年までで、工業生産高は4倍になった。ところが、この間に人口も2倍に増えてしまったので、1人当りの工業生産高は2倍にしかなっていない。定常人口を維持していれば、1人当りでも4倍にできたのに」
滑稽なことに、ローマ・クラブのメンバーたちは『成長の限界』が刊行された1972年から32年後の2004年になっても、まだ「人類全体が、工業製品は少しでも多く自分のものとして持ちたいと思っている。1人当り工業製品生産高が豊かさの指標だ」と信じていたのです。
最近ではすっかり世界経済フォーラムの陰に隠れて、細々とYuoTubeなどで自分たちの見解を発信する程度になっていますが、やはり似たようなことを言っています。
こういう物欲ばかりにとらわれた世界観にしがみついていれば、いつかは資源が枯渇するという悲観論に傾くのも当然です。
実際には、1人当り工業製品生産高が2倍増にとどまったのは、人類全体として欲しいモノよりやりたいコトへの需要が高まってきたからです。
次のグラフは、世界最大の国民経済であるアメリカで、製造業がGDPに占めるシェアがどう変わったかを描いています。
製造業がGDPに占めるシェアがピークに達したのは、もう70年近くも前の1950年代半ばで28%になった頃です。その後、ほぼ一貫して下げ続け、直近では10.9%にまで低下しています。
もしこれが、「資源の枯渇」により十分な量が生産できなくなったための減少だったとしたら、物理的な生産量は激減したとしても、貴重になった製品ひとつひとつの価格は暴騰していて、GDPに占める製造業のシェアもここまで下がっていなかったでしょう。
次のグラフも同じことを示しています。
最上段の4項目、人の命を人質に取った病院サービスや医療サービス、子どもの将来を人質に取った大学授業料や大学教科書がべらぼうな値上がりを続けている社会は、とうてい自分が住みたいと思う社会ではありません。
ただ、インフレ率を上回る値上がり、つまり実質的な値上がりをしているのは、みごとにサービスばかり、工業製品は値下がりしていたり、値上がりしていてもインフレ率以下の値上がりにとどまっていることは、鮮明に浮かび上がってきます。
形式的には工業製品ですが、大学教科書の値上がり率が高いのはもちろん1側面だけをバインドした紙の束としての物理的な価値のためではなく、どの大学のどの教授が使うに足る教科書として認めたかというソフト要因によるものです。
唯一、ほんとうに工業製品的色彩の濃い食料・飲料も、画一的で安上がりな大量生産工程が成立しにくい農産物を主要な原材料としているから、値上がり率がインフレ率を超えているのでしょう。
ただ、決して生産過程を機械化・量産化しやすいかだけではなく、モノへの需要からコトへの需要に個人世帯の需要が大きくシフトしているからこそ、これだけはっきりと実質で値上がりしているサービスと、実質で値下がりしている製品とに分かれているのです。
基本的に、サービスに原材料となる資源の枯渇はありません。人口抑制どころか、大幅削減などということになれば、サービス唯一の原材料である人手が足りなくて消滅するサービスは出てくるかもしれませんが。
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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年10月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。