感染症対策の報じられない面に光を当てて --- 家田 堯

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これまで多くの日本人が感染症対策の恩恵を受けてきた。筆者自身もその一人である。恩恵があるからこそ、我々は、その負の側面にも目を向けるべきだろう。現在行われている感染症対策によって苦しんでいる人達がいるからだ。

筆者は、Think Vaccineという子どものワクチン接種について情報を紹介する団体を主宰している。その関係上、全国の若い世代、保護者、教育者等から様々な情報が寄せられている。以下に、寄せられた事例のいくつかを紹介する。

マスク非着用の子どもは入店禁止

マスクを着用していない子どもの入店を拒む店がある。子どもの客が多い菓子店でさえ入店を拒むことがあるようだ。埼玉県のある事例では、「他の客のため」や「地域の人たちを守る使命」との理由から入店を断り、マスク非着用の状態では以後も来店を控えるよう、高圧的な口調で親子に求めたという。

日本において、COVID-19による子どもの健康被害は季節性インフルエンザによる健康被害ほどの脅威でない。子ども達本人の健康の観点からは、毎年インフルエンザ流行時に目くじらを立てていなかったのであれば、COVID-19流行時もそうすべきではないだろう。厚生労働省の案内によれば、屋内であっても常にマスク着用が求められるわけではない。

では、周囲の大人を守るためだろうか。マスクで抑制できるような飛沫感染は、主として高い場所から低い場所へ(例:大人から子どもへ)と起きる。また、肺からの呼気量といった身体的な理由により、子どもからなる環境と、感染対策を施した成人からなる環境とでは、前者の方がウイルスが伝播しにくいとの知見もある。

本年6月1日付けのアドバイザリーボード提出資料には、「種々の規制を強化することによって子どもたちに過剰な負荷を与えるような感染対策を続けるのではなく」、よりリスクが高い人自身の防護を強化すべきと記されている。

無知な大人が子どもの権利を奪ってよいだろうか。また、上記のような不条理な態度は、子どもの心理に深い爪痕を残し、厚労省がマスク着用を求めていない状況でも子どもがマスクを外せないという目下の大きな社会問題を助長してはいないだろうか。長崎大学の森内浩幸教授は、感染対策が子どもの発育・教育に与え得る悪影響の深刻さを訴えている

ワクチン接種者は受診できない

小児の患者が多い或る医療機関では、mRNAワクチン接種後の数週間は診察を断っている。スパイク蛋白が接種者の体外へ放出されるためだという。この機関ではmRNAワクチンによる被害の重大さを訴えているが、接種後数週間以内に子どもの体調に異変があった場合、医師は子どもの診察・治療を拒むのだろうか。コロナ患者は感染直後でも診察するようだ。

ウイルスよりもワクチン由来のスパイク蛋白を危険視し、このような形で診察の対象を選別することは、医療的・倫理的に許容できるだろうか。また、この選別は、mRNAワクチンの実際の作用以上に、ワクチンに対する医師個人の感情に基づくものではないだろうか。

未接種の場合、難病治療を中断する

治療や病院への受け入れが接種歴に左右される事例がある。ある男性は、難病の治療を継続するにあたって、ワクチン接種済みという前提条件を医療機関により課された。本人は不本意で家族も引き留めたが、治療を受けるため男性は接種を選択した。

難病を抱える人の場合、免疫不全である可能性も高く、その場合、接種後も抗体が陽転しないなど、ワクチンの効果が得られない可能性を考慮しなければならない。また、そのような人の場合、ワクチン接種後の体調不良が起きやすい点も注意すべきだ。

医療機関はこのような点も熟考して男性に条件を課したのだろうか。感染防止のためかも知れないが、そうであればワクチン接種よりもPCR等の検査の方が有用と思われる。男性が条件を課されたのはデルタ株流行時であり、発症予防効果の高いワクチンがかえってキャリアを発生させる点を指摘していたメディアや専門家もいた。

なお、男性については、2回接種を受けるとの前提で予め治療のスケジュールが組まれていた。

教師の接種後体調不良:教育への影響

以下は複数の教師の体験に基づく。教育現場における教師の接種は実質的に強制である場合が多い。日本小児科学会も「小児に関わる業務従事者等」の接種を推奨しており、教師の接種率を95%に高めると生徒の感染を37%低減できることを示す論文を紹介している。

感染症まん延時、予防接種を通じて教師が子どもを守るのは当たり前との声がある。一方、接種後の教師の体調不良により、教育の質や教育環境に影響が生じた例も存在する。体調不良により数週間から数か月出勤できなかった例や、退職せざるを得なかった例、同一の教育機関で複数の教師が出勤できず授業を行うのに支障があった例、などがある。

また、体調不良のまま勤務し、一時的に情緒不安定となり作業の質が著しく低下した例もある。ワクチン接種は、感染症の流行が教育に与える影響を低減するためにも推奨されているが、ワクチン接種が教育に与え得る影響は考慮されているだろうか。

厚生労働省のデータは、mRNAワクチンの感染予防効果が、接種から一定期間経過後にマイナス値に転じる可能性を示唆している。また、小島勢二・名古屋大学名誉教授の論考は、追加接種率を向上させると感染率が向上する国内外の事例を紹介している。

このような知見から考えられる仮説、つまり接種後の期間や接種回数によっては、教師の接種率を上げると子どもへの感染が広がりやすくなるとの仮説は、考慮されているだろうか。(これは仮説だが、国内外の大規模なリアルワールドのデータに基づいているため、安易に否定はできない。厚労省や国立感染症研究所が我が国における感染予防効果の「逆転現象」の原因を調査しなかった点は腑に落ちない。)

ある教師は、接種により生じた問題を自らの責任と認めつつ、ワクチンのリスクに関する情報発信が抑圧される現状を問題視し、政府自体がリスクについて情報提供すべきだと訴える。他の教師は、自身の体質や感染歴等を考慮し、子ども達のために接種しないことを望んだ。ある時から筆者と音信不通になったため、その後の経緯は不明だ。

リスクに関する情報提供が不十分、かつ個人の事情が考慮されない状態で、教師なら無条件に接種を受けさせるとの方針が、教師の健康を含め広い意味で教育全般を利するかについて、議論の余地があるのではないか。

入学や教育内容が、接種歴に左右される

一部の国・地域や教育機関では、ワクチン接種を入学・出席の条件としてきた。現在この制度は緩和されつつあるが、ハーバード大学等のように、オミクロン対応型ワクチンの接種を義務付けている例もある。このような理由により学業を中断・断念した人がおり、優秀な人材が他の地域や機関へ流れるケースもある。

入学後も、受けられる授業の内容や、許容される部活動等が接種歴により異なる場合がある。特に医療系の機関ではこの傾向が強い。未接種では臨床実習に参加できず単位を取得できないことから、実質的には接種が強制となっている。文書を通じて接種を促すこともあるが、文書が残ることへの懸念から口頭でのみ通知が成される場合もあるようだ。

医療者を志す人はワクチン接種を受けて当然、との認識があるようだが、その認識は妥当だろうか。前述した厚労省のデータや小島氏の論考によれば、接種、特に追加接種に感染・伝染抑制効果を求めることは、一定の危険を孕むと言える。

若者の学業の機会を奪うことの科学的な正当性や、それが若者本人および社会全体に中長期的に及ぼす影響は、十分に検討されているだろうか。

診断書の無視・軽視

医師が、ワクチン接種を受けるべきでない、マスクを着用すべきでない等と診断する場合がある。医師によるこのような診断は教育機関等で考慮されることになっているが、実社会では無視される事例もある。

ある小学生は、医師の診断書があるにも関わらずマスクを着用しないことでいじめの対象となり、事情を知る教師からも、「わがまま」と言われ不当な扱いを受けたようだ。市会議員や教育委員会を通じた働きかけにより状況は改善しつつあるが、医師の診断書が無視される事例は他にもあるという。

昨今、食物アレルギーに対する理解は深まり、教育機関でも対策が講じられるようになった。仮に、教育機関において、医師の診断書を無視してアレルギー反応を起こす食品を子どもに食べさせた、或いは食べないことを理由に子どもを不当に扱ったとしよう。問題の重大さは明白である。なぜ、ワクチンやマスクに関しては同様の行為が許容されるのか。また、一部の教育機関では、接種推進のポスターが壁に貼られているが、生徒に対する無言の圧力となっているのではないだろうか。

教育機関や教師の独断が、子どもの状態や病歴を知る医師の判断を上回るという状況は、危険だ。この状況は、現在厚労省が行っている副反応疑い報告の評価の状況と似通っている。接種後死亡を含む副反応については、厚労省の専門家や審議会において評価されるが、この評価においては、実際に解剖した病理医の診断が覆される事例が少なくない。病理解剖の結果、一次的な情報に基づき病理医が下した診断を、厚労省の専門家が二次的な情報に基づき、「評価不能」として否定するのである。

この、{被接種者・遺族/病理医 vs 専門家/審議会/厚労省}の構造と同様、{子ども/医師 vs 教師/教育機関}の構造には、権力側の優位という力関係が存在する。

医師の診断により保護されるべき子どもに対し教育現場で構造的暴力が振るわれることを、社会は黙認してはならない。日本において未成年の自殺がコロナ禍で急増している点は周知である。自殺動機の上位に学校問題が存在する事由について、我々は考えるべきだ。

保育士のマスク非着用を求める保護者、認めない経営者

今回紹介する最後の事例だ。ある保育園では、全職員にマスク着用を義務付けている。マスクで覆われた保育士の顔に慣れた幼児の中には、食事の際などに、マスクに覆われていない保育士の顔を見て泣き出す子どもがいる。このような理由により、多くの保護者が、マスク非着用や透明のマウスシールド等への切り替えを求めているが、保育園経営側は現行の方針を固持する。

何のための、誰のための感染対策なのか。この保育園の例のみならず、感染対策を行う目的やメリット・デメリットに関する国民的な議論が必要だろう。COVID-19に関し、日本人の死生観について議論すべきとの声もある。社会として許容できる損失を議論すべきだろう。COVID-19に負の影響があるように感染対策にも代償がある点を忘れてはならない。

一例として、健康の観点からは、感染対策があらゆる病原体と人との接触の機会を減らす点を考慮すべきだ。人類が長年共存してきた病原体の過剰な除去が免疫に異常を来すとの説が、現在有力視されている。免疫を維持する上で病原体との接触は不可欠であり、現在の対策はその弊害となり得る。

一部のワクチンはスパイク蛋白に特異的な免疫を誘導するが、強い感染対策により国民の免疫が全般的に低下すれば、スパイク蛋白以外の標的に対する防御が十分にできなくなる。我々が日々戦っている病原体は無数にあり、新型コロナウイルスはその一つに過ぎない。新型コロナウイルス(スパイク蛋白)以外の病原体への集団免疫がダメージを受けた場合、社会全体に甚大な被害が出るだろう。

子どもの心理にも目を向けよう。未だ黙食を強いられている子ども達の目に、対面でマスクを外し飲食を楽しむ大人達の姿はどう映るか。また、因果関係は不明とされるも接種後に体調不良や死亡例が生じているワクチンを、社会のため、高齢者のためといって勧めてくる行政や医者が、子どもの目にどう映るか。

このように、大人を優先する、あるいは大人を利するために子どもを犠牲にする方策が、子ども達の間で今後どのような社会心理を形成するかについて、大人達は考えることがあるだろうか。

感染症対策の正負両面に焦点を当て、医療、教育、経済、心理、倫理など多面的に考察し、国民の利益のために必要な対策を講じるべきだ。そして、国民の利益を考える際、優先順位を設けるのであれば、大人よりも若い世代を優先すべきではないだろうか。

情報提供にご協力くださった方々に感謝申し上げる。

家田 堯
一般社団法人発明推進協会(東京都港区)、知的財産研究センター翻訳チーム課長。翻訳家。英語、イタリア語、ハンガリー語、ロシア語の翻訳実績がある。学生時代の専攻は音楽。mRNAワクチンに関し様々な観点から情報を紹介するウェブサイト、Think Vaccineを運営。