自民党は「悪しき関係」を断ち切れるか
田原総一朗です。
今多くの国民が憤っているのは、言うまでもなく、自民党と旧統一教会の関係だろう。10月17日の衆議院予算委員会で、ようやく岸田文雄首相は旧統一教会に対して、「宗教法人法に基づき、報告徴収・質問権を行使する」と表明した。
私は岸田首相に直接面会し、「第三者委員会をつくって徹底調査すべきだ」と進言していたので、この発言には心から安堵した。しかし遅すぎる感は否めない。その証拠に、この発言後、10月22、23日に実施した毎日新聞の世論調査でも、支持率は27%と低迷している。
それにしても、自民党と旧統一教会との関係は、なぜここまで「ズブズブ」になったのか。この問題は、安倍元首相襲撃事件によって浮き彫りになった形だが、長年旧統一教会と闘ってきた政党がある。日本共産党だ。先日、私は志位和夫委員長と対談し、あらためて、その関係を考えさせられた。
自民党と統一教会のつながりとなるその出発点は、1968年、大物右翼運動家・笹川良一と岸信介元首相らが発起人となり、統一教会と共に「国際勝共連合」という、反共産主義の団体を作ったことだ。
安倍元首相の祖父・岸信介が設立に関わった団体が、自民党と統一教会の関係を生み、結果的に孫である安倍元首相の命を失った。皮肉なことである。
なぜこのような団体ができたのか。志位委員長はこう説明する。「自民党は統一教会を反共産主義の先兵として利用し、統一教会は、自民党を自らを庇護する広告塔として利用した」いわばウィンウィンの関係だったのだ。
「国際勝共連合」が初めて日本共産党に向ってきたのは、1978(昭和53)年の京都府知事選だったという。革新府政を7期28年務めた蜷川虎三知事の後任を選ぶ選挙だった。保守勢力にとっては、何がなんでも勝ちたかったのだろう。そこで、「前面に立って謀略的な反共攻撃をしたのが国際勝共連合だった」と志位さんは語った。その結果、革新候補は敗退した。
最近では、2000(平成12)年の衆院選において、その動きが顕著だったという。共産党は1998(平成10)年の参院選で、820万票を取り、大躍進していた。その躍進に危機感を感じたのだろう。膨大な数の「反共ビラ」が撒かれた。
共産党としては、今回が統一教会との「最終戦争」だろう。僕がそう言うと、志位さんは「長い闘いだった」「今度は決着つけるまでとことんやりますよ」と言った。
思想、信条の自由は、もちろん守られるべきである。しかし主義主張があるならば、公の場で堂々と議論を闘わせるべきである。
信仰の自由もまた、当然守られなければならない。しかし旧統一教会が抱える、多くの問題は明らかである。
今こそ自民党は、半世紀以上続いた統一教会との悪しき関係を断ち切らねばならない。岸田内閣が、質問権を厳しく行使していけば、法人格をはく奪する、解散命令の請求まで行き着くはずである。
さまざまな抵抗や妨害はあるだろうが、岸田首相は、国民のために死に物狂いでやり遂げなければならない。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2022年11月11日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。