ペルー共和国議会はカスティージョ大統領を遂に罷免

カスティージョ大統領の政権は倒壊する運命にあった

ペルーのカスティージョ大統領が遂に罷免された。昨年7月に大統領に就任したが、罷免されるのは時間の問題だとされていた。任期満了の2026年まで彼が政権を維持することは不可能だとされていた。

カスティージョ氏は政治の経験はなく、過疎地域の教師であった。が、教師の待遇改善と昇給を要求して彼は教員組合の代表として交渉に当たっていた。彼のその活動に注目したのがフニン州で州知事を経験したことのあるマルクス・エンゲルス主義者のセロン氏であった。セロン氏は当時汚職の前科があるとして法的に大統領に立候補することが禁止されていた。そこで彼の代行として選出した人物が教育組合で活躍していたカスティージョ氏であった。

 最初の政府はテロ組織に関係した閣僚が半分いた

カスティージョ氏が大統領になると、セロン氏は彼を背後からコントロールしようとした。その具体例として、最初の首相べリード氏はテロ組織を擁護したことのある人物であった。

この時点からペルーが社会主義に転じるのではないかという懸念がエスタブリシュメントを始め経済界や市民の間で生じていた。ペルーはそれまで30年余り右派の支配による市場経済が優先された国であった。

この不安を払拭させるために穏健派で大学の教授であったフランケ氏を財務経済相に任命した。しかし、フランケ氏も長くはその任を続けることはできなかった。

更に、外相にはキューバのフィデル・カストロ氏を崇拝する弁護士のバヘル氏を選んだ。

結局、最初の閣僚陣の半分はペルーのテロ組織トゥパク・アマルに繋がる人選だという批判が生まれていた。このトゥパク・アマルというのはフジモリ氏が大統領だった時に日本大使館を占拠した組織である。

僅か1年半の政権で交代した閣僚は60人余り

その後、カスティージョ大統領は自らの政権を維持する為にはセロン氏と決別した。そして、彼を支えていた政党「ペルーの自由」も内部分裂して、結局彼には議会で僅かの味方が存在しているだけになった。

政権を運営するにあたり野党からの支持を得る必要があり、彼の政治方針が右往左往するようになって閣僚が辞任したりして安定しない内閣が続いていた。

このような不安定な政権から僅か1年半余りの政権で5人の首相、閣僚も60人余りが交代するという前代未聞の失態が続いていた。これでは国の政治運営はできるはずがない。それを見た国民の間でも彼への不支持率は80%を超えていた。

これまで議会による2回の罷免から逃れていたが、また近く3回目の罷免の為の動議が議会で予定されていた。

カスティージョ大統領はセリフクーデターを実施

罷免されることへの不安からカスティージョ大統領が打って出た策はセルフクーデターである。フジモリ元大統領が政権に執着するために実施したのと同じようなことをやろうとしたのである。ところが、それに軍部が賛同しなかった。フジモリ元大統領の時は軍部が彼に従った。

カスティージョ大統領は7日の昼にテレビで議会の解散を伝え臨時政府を設置をすることを発表し、同日午後10時から翌日午前4時まで非常事態を施行するとした。この発表を受けて、政府からチャベス首相と他3人の閣僚が辞任した。カスティージョ大統領のこの姿勢に反対を表明したのである。

一方の議会は同日、それが施行される前に議会を招集した。カスティージョ大統領は政権を担うことが不能であるとして弾劾の為の審議を行い賛成101議席、反対6議席、棄権10議席で大統領の罷免を成立させた。

それを知ったカスティージョ大統領は彼の亡命を受け入れるメキシコに向かうべく同大使館に向かったが、途中で関係当局によって拘束されたのである。

メキシコ政府の今回のカスティージョ大統領の亡命を受けいれる姿勢に、米国政府はメキシコのロペス・オブラドール大統領はポピュリズム主義者でボルソナロ氏やトランプ氏と同じだという見解をバイデン政府は見なす姿勢を強めている。実際、ブラジルの大統領に復帰するルラ氏は同じ左派ではあるが、オブラドール大統領とは距離を置く姿勢を示すようになっている。