12月7日早朝、ドイツ全土で戦後最大の強制捜査が実施され、国家転覆を計画していたという「帝国臣民(Reichsbürger)」というグループを含む25人の危険分子の逮捕が伝えられた。
それを聞いた日本人は、ドイツの国情が極めて不安定であると思い込んで驚愕したようだが、実はドイツ人もかなり驚いた。こちらは、「なんで今ごろこの騒ぎ?」という感じだ。今回の捜査の主なターゲットとなった「帝国臣民(Reichsbürger)」の存在については、もちろん皆、知ってはいる。しかし、後述するが、具体的な蜂起や襲撃の情報があったのかどうかはわからない。
帝国臣民とは何か? 彼らは現在のドイツ連邦共和国を認めておらず、国際法上はまだドイツ帝国が主権を持つと主張する。国境も1937年のものが有効。だから、現ロシアのカリーニングラードも、現ポーランドのヴロツワフも、皆、ドイツ帝国の領土だ。
ドイツ帝国が有効である根拠は、第1次世界大戦後、世界で一番民主的と言われたワイマール憲法が、ナチにも、また、戦後の占領軍にも停止されなかったこと。ワイマール憲法ができた時の国家はワイマール共和国と言われているが、実はこれは俗称で、正式にはドイツ帝国が続いていた。
国家は憲法を持つことで初めて成立するから、ワイマール憲法が停止されない限り、ドイツ帝国も生きているという理屈だ。ただし、彼らが掲げる憲法はワイマール憲法ではなく、1871年にドイツ帝国ができたときのもの。つまり、日本の明治憲法のお手本となったドイツ帝国憲法である。
そして、彼らは今もその帝国の臣民として生きている。当然、現在の基本法(ドイツ憲法に相当)など無効で、それに基づく国家も無効。彼らに言わせれば、現在のドイツ政府はいわゆる有限会社に過ぎない。
また、帝国はいまだに戦時下にある。帝国内に米軍基地があるということが、連合軍による占領が続いている何よりの証拠だ。そして、もう一つの証拠は、国連に今なお残る敵国条項。ここには「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が良からぬ行為に走った場合は、国連加盟国はその国に対し、安保理の許可なしに制裁戦争を始めることができると記されている(ちなみに日本もドイツと並び、いまだに敵国)。
帝国臣民は現在の司法権も徴税権も認めないが、残念ながら国家権力を有していないので、仕方なく代理の政府を建てて独自の政務を遂行している。10年近く前の話だが、シュピーゲル誌のオンラインTVが、全国に散らばる “帝国領”を取材していた。そのドキュメントを見た私は、大袈裟でなく目が点になった。
ある国には、レオパルドの毛皮のマントを着て戴冠式をやっている時代掛かった王様がいたし、ある国では宰相と内務大臣が、警官の新しい制服について審議をしていた。彼らは勝手に王立銀行やら、王立保険会社を作り、将軍もいれば宰相もいて、独自の国章やパスポートや通貨まであった。
これらの活動は当然のことながら、現在のドイツの法律にことごとく抵触する。銀行業務や脱税が違法であるのはもとより、勝手に作った免許証で車を運転することも、建設許可なしに建物を改造するのもすべて違法なので、しばしば裁判沙汰になる。しかし、捜査に時間がかかったり、罪名が存在しなかったりで、なかなか効果的には取り締まれないという。誠に奇妙な話だ。
帝国臣民運動の信奉者は多岐にわたり、前述のように、帝国に生きている人、頭の中に奇異な考えが詰まっている人、極右、反ユダヤ主義者、犯罪組織やオカルト集団っぽいものなどもあり、統一した思想や組織は存在しない。最近はQアノンも混じっていると言われる。ただ、危険なのは、軍人や警察関係者がいることだ。軍事に詳しい彼らを放置すると、いつか本当に国家転覆計画が持ち上がる可能性がある。
彼らの存在が大きくニュースになったのは2016年10月のことで、特殊部隊が武器の不法所持を取り締まるために彼らの家に近づいたところ、何の警告もなしに銃弾が発射され、四人の警官が負傷する事件があった。翌日、うち一人が亡くなった。しかしそれ以後は、各種デモで帝国の旗と共に彼らの姿を見かけることはあったが、危害を加えてきたという話は聞かなかった。だからと言って、彼らが無邪気なグループというわけでは、もちろんない。
さて、ここでようやく、「なんで今この騒ぎ?」という最初の疑問に戻る。そもそも、政府が国家転覆の情報を察知したのだったら、手入れは秘密裏にやるだろうが、今回のそれは多くの政治家や報道陣が事前に知っていたという。しかも、総勢3000人もの警官が動員されたというから、何となく政治ショーっぽい。当然、情報は漏れていたはずで、急襲された方もそれなりの準備はできていたらしい。そのせいか、あると言われていた武器庫はどこにも見つからなかった。
逮捕された25人のうちの一人は、プリンス・ロイスと呼ばれ(ドイツは1918年に貴族を廃止している)、フランクフルトの実業家。1918年、ドイツ帝国の瓦解時、曾祖父が東チューリンゲンの侯爵だった。そして、このプリンス・ロイス(71歳)がドイツ帝国復活の暁にはカイザーになる予定だという。写真を見る限り、十分その貫禄はある。愛人がロシア女性で、ロシアコネクションも疑われているが、もちろんロシア側は否定。
ただ、政府とメディアが一番報道したかったことは、実は他にもあると思われる。逮捕者の一人がAf D(ドイツのための選択肢)の元議員なのだ。ドイツの全党が一丸になって、何年も前からAf Dを潰そうとあらゆる試みをしていることはすでに知られているが、それでも潰せないため、政府がこの荒療治に出たのではないかという疑いを持つのは、私だけではないだろう。
実際、「Die Zeit」紙は翌日すぐに、「Af Dと帝国市民は切り離せない」というタイトルの記事を載せ、CSU(キリスト教社会同盟)のゼーダー党首は、「これは民主主義にとっての真の危険だ。この運動と深く関わりを持つAf Dの役割について究明すべき」と言い、緑の党のミハリック議員団長は、「帝国臣民とその他の極右勢力による民主主義に対する脅迫」を強調した。狙いはやはりAf Dだ。
さらにいうなら、この日はもう一つ、ドイツ政府が是非とも国民の目を逸らせたかった出来事があった。実は、その3日前の朝、エリトリア出身の難民が、通学途上の13歳と14歳の女の子を襲い、ナイフでめった刺しにし、一人を殺し、もう一人に重症を負わせた。ドイツは現在、緑の党と社民党の政策のせいで、難民の数が収容能力を超えており、全国的に不穏なことになっている。つまり、この殺人事件ほど、政府にとって都合が悪いことはなかった。
しかも、この女の子は二人ともトルコ移民で、ドイツのトルコ人コミュニティはもちろん、トルコ本国でも悲惨な事件として大問題となっていた。ところがドイツでは、政府に忠実な公共メディアは、犯行当日以外、ほとんどこの事件を報道しなかった。
そして、8日はこの女の子のお葬式で、1000人以上のトルコ人が訪れ、悲惨な死を悼んだという。しかし、その夜の7時と8時の公共ニュースは、3000人捜査とAf D議員の逮捕を伝えるばかりで、女の子の葬儀はスルーした。この二つの出来事が重なったのは、はたして本当に偶然だったのだろうか。
ドイツ政府は現在、電気代、ガス代の高騰を抑えることに失敗し、壁際まで追い詰められている。これからも国民の目を逸らすため、ひょっとすると、ますます “極右”Af D攻撃が激しくなるかもしれない。
ただ、今年の前半、連邦検察庁が手がけた226件の事件のうち、容疑者が極右だったのはたったの9件のみという。奇しくも同じく8日の朝、極左の環境過激派がミュンヘン空港の金網を切って滑走路に侵入し、瞬間接着剤で自らを滑走路に貼り付けて、飛行機の離着陸を妨害した。前月のベルリン空港封鎖に続いて2度目だ。ドイツ当局は極左の行動がエスカレートしないよう、こちらも警戒した方が良いのではないか。
■