現在行われているロシア・ウクライナ間の戦争において、これまで行われてきた戦争と比較して「新兵器としてのドローンの本格的投入」や、「SNSの情報戦・宣伝戦への活用」などが指摘されていますが、この戦争の特異な点は「民間出身のIT人材が、戦争指導上極めて重要な役割を果たしている」であると考えています。
ゼレンスキー政権のもとで対ロシア戦略の指揮を担う、弱冠31歳のウクライナ副首相兼デジタル変革担当大臣、ミハイロ・フェドロフ氏は、イーロン・マスク氏から最新の情報通信技術「スターリンク」による支援を取り付けることに成功したほか、およそ21万人が参加する「IT軍」の指導や、暗号資産(仮想通貨)による戦費の調達など、戦争を遂行する上で重要な役割を果たしています。
このように、“文民指導者”が活躍する背景としては、
- IT関連技術を活用できる範囲が急激に進展した結果、軍事目標への攻撃や妨害行為といった“非対称戦”にも情報通信技術が応用できるようなっていること
- その結果として軍人としてのキャリアを歩んできた指導者よりも、民間のIT部門で最先端領域に携わってきた人材をトップに据えたほうが現代戦をより有利に展開できるという状況が生じつつあること
といった事情があげられます(トップのフェドロフ氏だけでなく、IT軍メンバーの大半も民間人で構成されています)。
もちろん、すべての指導者層が文民指導者で占められているわけではなく、陸軍や空軍といった通常戦力の運用についてはウクライナ国防省などといった従来型の軍事組織によって管轄されていますが、これらから独立する形で民間出身のリーダー率いる組織が非対称戦を担当している状況はやはりこれまで行われてきた戦争と比較して異質だと言えるでしょう(米軍やロシア軍にもサイバー戦用の部隊は存在するものの、それらはあくまで軍の傘下に置かれており、文民のリーダーが独自に指揮しているわけではありません)。
“元デジタルマーケター軍師”が誕生した背景
冒頭で触れたフェドロフ氏は元々、デジタルマーケティング企業のSMMSTUDIO社を創業した起業家でした。このSMMSTUDIO社の主要クライアントの一人が、後のウクライナ大統領であるゼレンスキー氏(当時は俳優)です。
2019年のウクライナ大統領選においてはゼレンスキー陣営のデジタルマーケティング戦略担当者としてSNS等を駆使し、陣営を勝利に導いた立役者の一人となりました。
以上のように、ウクライナに「非軍事部門出身のリーダー」が現れた背景には、
- 大統領戦を通じ、フェドロフ氏が持つデジタルマーケティングへの知見がゼレンスキー大統領に評価され、政府の要職への抜擢につながったこと
- ロシア軍による侵攻が突如として開始されたため、ウクライナ軍としてサイバー戦を行うための準備が出来ておらず、IT分野の専門家であったフェドロフ氏率いる民間部門が軍部に代わり、サイバー戦の主力を担わざるをえなかったこと
という、二つの事情があります。けっして、「軍人より民間部門出身者のほうがサイバー戦に強いはずだ」というような先見の明に基づいて準備されたわけではなく、“たまたま”元デジタルマーケターのフェドロフ氏がサイバー戦を主導する地位につくことになったと言うべきでしょう。
このようにして、IT業界出身の指導者のもとでサイバー戦を闘うことになったウクライナですが、今日の戦況を見れば分かるように、結果としては功を奏している状況です。
2月24日の開戦以降、フェドロフ氏は元IT起業家ならではの手腕を発揮して様々な対抗策を次々と打ち出し、ロシア軍を苦しめるようになりました。
対抗策の中の一つに、イーロン・マスク氏がCEOを務めるSpaceX社所有の衛星インターネットシステム「スターリンク」による支援を取り付けたことも含まれます。
スターリンクがウクライナへ提供された背景には、開戦直後の時期にフェドロフ氏がマスク氏へTwitterを通じて“直談判”し、そのわずか10時間後に提供が成立した、という逸話があります。
現在、スターリンクはウクライナの情報戦を支える貴重な通信回線としてフル活用されています。スターリンクを通じて宇宙空間から送られる情報は、偵察や戦闘部隊間の情報共有、そして砲撃や航空攻撃の際に重要となる攻撃目標の位置特定などに多大な貢献をしており、ロシア軍部隊が各地で撃破される要因の一つとなっています。
ロシア軍にとってまさに“目の上のタンコブ”であるスターリンクですが、地上の通信設備とは異なり、宇宙空間に存在するスターリンクは、ロシア軍にとって手出しできない存在です。地上のインフラ目標を躍起になって破壊しているロシア軍ですが、スターリンクからの情報がウクライナへ提供され続ける限り、情報戦においてウクライナが優位に立つ状況は変わらないでしょう。
ロシア軍にとって捕捉不可能な脅威であるスターリンクと並び、“見えない武器”として活用されているのが「暗号通貨(仮想通貨)」です。
暗号通貨によるウクライナへの寄付の呼びかけは、ロシア軍による侵攻から3日後の2月27日、フェドロフ氏が主導する形で開始されました。3月14日には、世界中から暗号通貨による戦費調達を目的としたファンド「Aid for Ukraine」が開設されました。
Aid for Ukraineは、ビットコインやイーサリアム等、10種類の暗号通貨による寄付が可能です。暗号通貨が持つ特徴の一つは「匿名性の高さ」です。
この匿名性の高さのおかげで、米国や欧州、日本といった西側陣営の国はもちろん、ロシア国内やベラルーシからもウクライナへの支援金を送ることが可能となっています。
金融機関を通じて送金するのとは違って「足が付く」心配がないため、ロシア国内のウクライナ支持者からもリソースを集められます。
この斬新な手段で調達された暗号通貨はこれまで、防弾ベストや医療キット、食料やドローン等の調達にあてられているようです。
フェドロフ氏が参加を呼びかけるIT軍は、サイバー攻撃の専門家であるサイバーセキュリティの専門知識を持った人材の他にも、Web開発者やデザイナー、Webマーケター、コピーライターといった、IT関連の幅広い分野で応募者を募っています。
この呼びかけに応じ、ウクライナ国内のみならず世界中から集まった“IT義勇兵”は21万5千人にのぼり、正規軍の陸軍や空軍に並ぶ戦力として日夜、ロシア軍に対する非対称戦を展開しています(従来の戦争においても、戦争の当事国以外から参加する“義勇兵”の存在は多く見られましたが、これまでの戦争とは違い、軍隊の所属経験や戦闘経験がない民間人が“IT義勇兵”として参戦しているのも今回の戦争の特徴と言えるでしょう)。
軽視できない非対称戦の重要性とIT人材の活躍
フェドロフ氏やIT軍の活動は直接ロシア兵を殺傷しているわけではないため、中には「実際にロシア軍と戦闘を繰り広げている陸軍や空軍を補佐しているにすぎない」という見方をする人もいるでしょう。
しかしながら、フェドロフ氏やIT軍が取り組んでいるのは単なる“補助活動”にとどまるものではなく、(たとえロシア兵を殺傷しなくとも)ロシア軍の戦力を直接的に削る“非対称戦”にあたると筆者は考えています。
今から2500年前、内戦を繰り返していた時期の中国で著されたとされる『孫子』の兵法においてはすでに、「敵の軍団を潰滅させるよりも敵国を外交的に孤立させたり、補給を絶ったり、輜重(食糧や武器弾薬)を失わせて戦えなくするほうが上策」「他の手段で戦力を失わせることが出来ない状況に限り、やむなく敵の主力や城塞を攻撃するべき」という趣旨のことが記されています(『新訂 孫子(岩波文庫)』謀攻篇 第三)
『孫子』を考案したとされる孫武は「呉越同舟」という諺の語源ともなった呉の国の将軍だったという説が有力ですが、春秋戦国時代にあたる当時の戦争においても、大軍を維持するための食糧や武器を運ぶ輜重隊がダメージを受けた場合、たとえ戦闘部隊の主力に死傷者がいない状況であっても戦闘不能の状態となり、退却せざるをえなくなってしまうため、あえて決戦を行わずに相手の補給部隊を狙って襲うという戦法が多用されていたようです。
近代に入って行われた太平洋戦争を見ても、当初は軍艦・戦闘機の数では優勢だった日本側が「敵の戦艦・航空母艦といった主戦力と決戦して潰滅させること」にこだわったのに対し、米国側は「日本と東南アジア等資源地帯を結ぶ輸送船団の破壊」に力を入れた結果、艦隊を動かすために必要な燃料を確保できなくなった日本側の艦隊は、急速に活動能力を失い、“海に浮かぶ鉄クズ”と化していった、という、日本側にとって苦い事実があります。
ウクライナIT軍の作戦行動も、まさにこの「敵を直接殺傷する」以外の「補給断絶」「敵戦力の無効化」「外交における孤立」を狙った行為であり、単なる“補助活動”ではなくれっきとした“戦闘行為”いわば“非対称戦”に相当すると言えるでしょう。
従来の戦争では、このような“非対称戦”もほぼ正規軍によって行われていたのですが、今回の戦争では民間人が非対称戦に深く関わっているのが特徴です。
情報通信技術の急速な発達に伴い、(相手の補給源を狙うにしても)必ずしも物理的に破壊する手段に頼らず、サイバー攻撃などの手段を活用したほうが効率的に行える場合も増えてきている状況です。
こうなると、プロの軍人ではなく民間のIT人材であっても、効果的な破壊活動を行うことが可能となります。
実際、IT軍はロシア国内や隣国ベラルーシの鉄道網を攻撃目標に含めており、ロシア軍の増援や武器輸送の妨害を狙っているとされます。
国土が東西に広いロシアにとって、極東方面から欧州への輸送を担うシベリア鉄道をはじめとした鉄道輸送に支障が出れば、兵員や物資が戦場に届くのが遅れてしまい、多大な損害が生じることになります。
今後、「民間のIT人材が正規軍並の活躍を見せている」ウクライナでの戦争を教訓に、米国をはじめとした各国の軍隊組織の中でもサイバー戦用部隊の養成に力を入れることになるはずです。
しかしながら、実際の有事となった際には、「職を失う心配のない」軍隊という公務員組織よりも、社の存続をかけた競争が日々行われる民間の競争の中で揉まれた人材のほうが、より先端的かつ実践に即した知見を持っていると考えられます。
実際、これまでは「世界トップクラスの実力を保有している」とされてきたロシア軍のサイバー部隊が、民間人を主体としたウクライナ側を相手としたサイバー戦で劣勢となっている今日の状況も、やはりIT分野の能力に関しては民間が優位であることを示唆していると言えるのではないでしょうか。
日本においても、おそらく自衛隊の中でサイバー戦のための能力向上を目指すことになると思われますが、やはり有事の際には民間のテック人材のほうが活躍する事態が想定されるため、自衛隊でサイバー戦の強化を進めるだけではなく、民間のIT人材の登用や連携強化に取り組む必要があるでしょう。