重大な岐路に立たされる日本:渡辺努『世界インフレの謎』

“謎”から始まる本は読み易い。最初に示されている謎は、ずっと長い間、デフレ状況だった世界主要国がなぜ突然インフレに転じたか? しかも、インフレはウクライナの戦争の前からはじまっていた。となると、今回の世界インフレ(日本は除く)はなんで生じたのか?

本書の最後に示される謎への答えを先に引用してしまおう。

世界のインフレは、新型コロナウィルスの出現そのものではなく、その出現に対して人類が社会的・経済的な行動を変化させたことによってもたらされた。(P.263)

行動の変化、これを行動変容と呼ぶが、それは働く人々・消費者にも、企業にも生じ、しかもほぼ世界同時に、かつ急速に生じた。それはなぜか?

少し解説しよう。経済社会では変化はゆっくり生じる。それは模倣によって個々の主体に広まっていく。ある企業が新設備やソフト系の工夫で成功を納めたとしよう。それまでに一定の時間が経過しているはずだが、この状況を他の企業が模倣しようとしても、さらに時間がかかる。特許権とか技術と技術者の移転という困難が、状況に拍車をかける。

消費行動の変容も同様である。この場合、模倣は“流行”という乗り物で展開するが、それでも“世界的”になるのには時間がかかる。

Ibrahim Akcengiz/iStock

犯人は、情報

何が短期間の変容、しかも各層(企業、消費者、労働者)に同期したそれをもたらしたか。

著者はつきとめた。それは情報だ。

「情報主犯説」こそが、パンデミックによる経済被害について、私が最終的にたどり着いた仮説です。(P.71)

では、どんな情報だったのか。それはコロナウィルスに感染しても治療もしてもらえないし、飲む薬もないし、悪くするとある確率で死ぬ、という恐怖だ。

行動変容

労働者に生じた行動変容は「労働の現場に戻らない」ことをアメリカの事例からつきとめた。そうなれば、工場等での生産は低下し、つまるところ供給不足になる。

消費者はどうか。恐怖心にとらわれ、在宅だ。対面を避ける。こういう時、もっとも減少するのはサービス需要だ。肩が凝っても、髪が伸びてもマッサージや散髪にはいかない。供給も需要も減るが、供給減は全般的であるのに対し、需要減はサービス面に片寄るから、また供給減が“モノ”づくり(物財:特に食糧やエネルギー)で大きいから、いつもとは違う、やや偏奇した物価高となる。

では、コロナ禍が去れば、元に戻るのか。著者は経済学で言う「傷跡効果」を持ち出し、そうはならないと主張する。エコノミストの中にはペント・アップ期待をする向きが多かったが、それに疑問を呈す。

年が明けて、日本の一部の観光地で外国人が増えている。しかし、それは3年間の我慢の反動であり、減少の基調は変わらないという見方になる。人は学習する。特に痛かったこと、苦しかったことは忘れないものだ。体の一部には、まだ傷が残っている。簡単には元には戻らない。

インフレ

インフレの考察に進む。著者は物価論の権威であり多くの著作がある。だからこの部分は要約して書かれている。その核心は次の引用に示される。

人々のインフレ予想は、物価の動きを決めるメカニズムの核心です。そしてインフレの制御とはインフレ予想の制御にほかなりません。(P.100)

これは本書を貫く主張の中心のひとつだが、その批評は後にまとめて述べることにする。

予想

インフレそのものではなく、その予想の制御ということになって中央銀行に新たな機能が生まれてくる。物価は需要と供給で決まる。需要は金利の操作でコントロールできるが、供給は企業や労働組合を統制することができないので、中央銀行の思い通りにならない。だから、インフレが供給要因である場合は、従来はなすすべなしだった。

ところが、人々の予想ということになると話は別。世界中で実施されているインフレターゲットというのはまさに予想に枠をはめることだ。中央銀行が物価上昇は2%までと主張しているのだから、またそう思わせる手段を数々講じているから(大方は実際に何かをするのでなく、“やるぞ”という口先が主流だが)、人々はそうなるだろうと“予想”する。そういう誘導政策が可能になるのは、中央銀行が強い独立性を持っている必要があると、元日銀マンらしい主張も加えている。

もっとも、そんな体制はかなり前に確立していたのに、世界インフレは進行し、欧米ではターゲットを超えた物価上昇になってしまった。2021年初頭から政策者たちが頼りにしていた、フィリップス曲線が通用しなくなったからだ。それはなぜかという次なる謎を追って、ついに本書の唯一の公式に到達する。

公式

この式の右辺を書き換えると、予想 - 需要 + 供給 となる。最後の供給(X)だけが統制できない。コロナ禍による供給制限が効いている。

供給制限を加速するのが脱グローバル化だ。コロナと戦争で“もうコリゴリ”の企業は、何が起こるかわからない国境の外の生産から手を引こうとするから、その分の供給は減る。そして貿易量も減る。1960年~2000年にかけて続いた貿易の対GDP比の拡大は止まった。

事態は行動変容に起因し、簡単に元には戻らないから、結局、インフレはしばらく続き「新価格体系」が定着するところまでいく。

以上は、日本を除いた世界の話。私達の日本はどうなのか。その現状と分析が第4章以下で展開される。

日本

日本は、デフレ構造が修正されないうちに世界インフレに巻き込まれることになった。デフレとインフレが同居するのは一見奇妙だが、二つの病気は日本という国では住み分けている。

デフレは主に賃金に、そしてサービス価格に。インフレは輸入品を中心とする食糧とエネルギー分野である。後者・インフレの範囲は広い商品分野に拡大しようとしているが、賃金には及んでいない。これが現在の日本である。

論点

紹介・要約はこれくらいにして論点を示しておこう。

基底にあるのは経済法則をどうとらえるかだろう。経済には、人の意思ではどうにもならない鉄の貫徹力を持つ法則があると見て、人の観念を排除して、法則を探求すべし、これが第一の立場。第二の立場は、人間の、時には政治や日銀という上位の政策者の知見、それに基づく行動で経済の行方を制御できるとする。

それぞれの立場に違う立場から批判がある。封建時代から資本主義への移行は歴史法則であるから人為的に押し戻すことはできない。もちろん観念は無力ではなく、明治維新の具体的な姿をつくり出したのは当時のリーダーの営為であった。人間の意思、行為、そのもとになる理性を無視しているのではない。大河を小舟で渡るときは、まず大河の流れを認識することが必要で、その上で舟の操縦術も意味がある。経済決定論のみを主張しているのではない。

この20年間、あらゆる操縦(政策)をしても、日本経済はデフレの大河を漂流するだけだった。

第二の立場の方が政策論はやりやすい。人間は知恵があるから物価現象などを制御できる。さらに広く、人類の幸せに向って政策は展開しうるし、成功する。本当か?戦争もハイパーインフレもしばしば生じている。失敗が多すぎないか!本書の中でも、政策者の誤り、失敗が語られているが、どうしてこうなるのか。

著者は、東大→日銀→東大というキャリアを持つエリートであるから、必然的に第二の立場をとる。それはよくわかる。

誰の予想か

本書には、予想とか行動というキーワードがしばしば登場する。それらは個人に属するものだ。個人が行動し予想し、せいぜいそれが集計されて“社会”の行動になる?しかし、個人のおかれている状況が、相いれない程に相違していれば、例えば収入に100倍も差があったら個々の平均に意味はない。

個人の行動変容が、そのまま集計されて同じベクトルの社会的変容になるとは限らない。むしろ、個々の合理的集合が反転して不合理な社会を形成する場合もある。

これはマンデヴィルに源流を持つ現代社会的ジレンマ論の知見である。

人々とは

本書には、しばしば、人々が登場するが、それは一体、誰なのか。人々の予想!日本の労働者に、将来、物価はどれくらいに上昇しますか、あなたの賃金はあがりますか、と聞いて意味ある答えが得られるだろうか。高給をもらっている人を除けば、物価の予想をするような状況にはないのが現状だ。

将来、物価が上昇する分を予想して賃上げ要求をして、それが実現する事例などあるはずもない。労働者は、労働者である限り、明日のために働くだけだ。行動は選択しているのではなく、ひとつしかない。明日も働くのである。

まとめ

本書は、著者の把握した謎から出発し、秀でた論理性と、また独自の調査(渡辺チャートが良い例)に基づいて作成された図表で構成された良書である。日本に、世界と交流できる高い水準の研究者がいることは誇るべきことだ。

望蜀の念をいえば、観念論的思考から少しだけでも離脱して欲しい。すぐに、政策的に役立ちそうなことを言わなくてよいから、物価論という専門分野からみて、日本の資本主義がどこに向うのか示して欲しい。

本書は秀でてはいる。しかし、行動科学と心理学の経済事象への応用にみえる。経済学に戻ってきて欲しい。

【追記】賃金について

年が明けて、日本は賃上げの大合唱だ。ただ、合唱団に参加していないメンバーが一人いる。それは、かつては重要な圧倒的な存在であった。その一人とは日本の労働組合である。

賃金は、本書でも主張しているが、政権の命令であげられるものではない。この問題に日本銀行はそもそも関係がない。経団連に所属している大企業のいくつかは要請に応じるだろうが、日本の99%である中小企業は賃上げなどできない。原資もない。金利が上昇するかもしれないのに借金はできない。結果、賃金でみた日本の二極化が進むことになる。交響曲『合唱』では、“友よ”の声がかかるが、大方の反応はない。賃上げの大合唱は「未完成」に終わるだろう。