ウクライナ経済の未来:戦争前から顕著な人口減少という不安要素

ウクライナの話題は戦況が主流ですが、いつかは終わるであろう戦争後のウクライナの再建と経済自律の道のりについて考えてみたいと思います。

ウクライナ経済に未来がどれぐらいあるのか、と聞かれた時、情報が非常に限定される中で思うことは再建には数十年から半世紀ぐらいのスパンを要するかもしれないと考えています。いや、再建できれば良いのですが、荒廃の地として長く放置される可能性すらあるとみています。

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そもそも戦争前のウクライナ経済はどうだったのか、といえばボロボロ、これが実態です。主たる産業は鉄鋼業と農業。ところが鉄鋼業は景気に左右されやすく、それが国内景気に大きく跳ね返る状況でした。コロナ禍においてはついにIMFがSDR(特別引き出し権)を認め、2021年に27億㌦を得て債務返済をかろうじて行えたという綱渡り状態です。

GDPの推移をみると91年に独立後、悪化を辿り、1994年にはマイナス23%に落ち込み、その後回復基調を辿りますが、リーマンショックの2009年にマイナス15%、2014年-15年も2年連続マイナス10%程度を記録する状況です。2022年はマイナス35%は確実視されますが、実態はそんなものではないと思います。個人的にはマイナス50%を超えても不思議ではないとみています。

戦争前の貿易相手国は輸出入ともに中国が14-5%でトップ、次いでポーランドやドイツが上がりますが、ロシアとも輸出が6%、輸入が8%(2020年度)となっています。当然、現在はロシアとの貿易がないどころか、他国向けでも輸出できるものは一部の穀物など極めて限定されている状況かと思います。

外貨準備は現時点で欧米の支援が効いており、戦争前より多い280億㌦ほどあり、輸入財購入の3.5か月分が確保されています。ただ、あくまでも欧米支援ベースの外貨準備であり、かつ、固定相場制で外貨流出を食い止めていることもあり、金融システムは安定しています。取り付け騒ぎもありません。

2023年の国家予算は380億㌦でこの資金調達に関しては中央銀行は今のところ、紙幣大増刷のような行為はしないで乗り切ると計画されています。その点ではかろうじて平静を保っているとも言えます。

ではなぜ、私がそこまで悲観的なのか、といえば人口減少なのです。そもそもウクライナは戦争前から人口減少が顕著で専門家の間では注目されていました。91年の独立時の人口は5146万人でしたがわずか29年後の2020年には4373万人と15%以上減っているのです。その多くは頭脳流出とされ、優秀な人ほど外に出たとされます。そんな中で今回、戦争により女性と子供が1000万人以上海外に避難しています。(成人男性は祖国防衛のため、国外に出られません。)

ではここから推察します。戦争が終わった時、人口がどう流れるでしょうか?一般には戦争難民は戦争が終われば本国に帰ると考えられています。私はそれは甘いのではないかと思います。日本が戦争をしていた際、戦士は日本に帰還しました。戦争を他国でやる場合、戦争が終われば本国に帰るのは当たり前です。母国に帰ることもありますが、それ以上に家族のもとに戻るのです。

しかしウクライナの場合、家族が本国に帰るのか、これがわからないのです。仮に一時的に戻ったとしても長期的には私は定着しないと考えています。理由は彼らには土着文化はなく、遊牧性があるため、生きる術を見つけるには他の地で逞しく生きるという選択肢に何の躊躇もないからです。ここは日本人のメンタリティと違います。故に戦争前の30年足らずで人口が15%も減っているのです。

これが私の見るウクライナ経済の悲観論です。

戦争の責任はロシアにあり、その復興費はロシアが出せ、というのは交渉上の話です。仮にどんな約束が締結され、ロシアが何らかの責任を持つことになったとしてもそれが国家を復興させることとはリンクしません。むしろ、復興をロシア人が代行せざるを得なくなり、実質的にウクライナにおけるロシア人の人口増を引き起こす可能性すらあると思っています。

祖国防衛とは何でしょうか?ユーラシア大陸の歴史は散々でした。特にチンギスハンの時代のモンゴル帝国の勃興と初期ロシアの関係をみると国家とはこれほど不確定不確実なものなのか、と驚くばかりです。彼らはその血を継いでいます。そして混血化が進み、結局祖先は誰だかさっぱりわからないけれど思想や支配という考え方の根本は数百年前と何ら変わっていないのです。

それを近代の思想で解決しようとするから非常にわかりにくくなる、これが私が傍で見た歴史観です。岸田首相がゼレンスキー氏からウクライナ招聘を受けたとのことですが、日本的発想を持つ岸田首相がゼレンスキー氏の意図することが理解できるとすれば岸田氏は博士並みの理解力を持つということです。それぐらい我々には不可解な世界なのです。

戦前、平沼騏一郎という首相がいました。政府は日独伊三国同盟の強化を目指す中、ノモンハンで日本はソ連に敗れるという状況でした。そんな中、1939年に独ソ不可侵条約が締結されます。日本の味方のドイツと敵のソ連が不可侵条約です。「欧州情勢は複雑怪奇」という名言(いや迷言)を残して総理を辞任するという事件がありました。この複雑怪奇という意味こそ、いまのウクライナにぴったり当てはまる事象なのです。

そんな観点故に私はずっとウクライナを憂いているのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年1月16日の記事より転載させていただきました。