東京新聞労組が思想信条の自由を否定し、共産党は言論の自由を踏みにじる

こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。

週明けの国会は、荒井首相秘書官の差別発言→更迭で荒れ模様となっていますが、私の周辺でも場外バトル(?)が。

大前提、私は今回更迭された総理秘書官の発言は大問題、言語道断だと思っています。差別的な発言であり、表で公言することが許される内容ではありません。

なので内心の自由(思想・良心の自由、思想信条の自由)はあっても、内容によってはそれを口に出すことは許されないと申し上げたところ、なぜか東京新聞労働組合を名乗るアカウントからこんなご意見が。

–「思想信条の自由」を持ち出すのは場違い。 思想信条の自由は 国家権力やその他の力関係による統制を許さず 個人の自由を守る文脈で言うもの。今回は首相秘書官という権力側、公人中の公人が 主権者の人権と尊厳を冒涜した。 言うのも論外、思うのも論外、強い批判に値する。–

いや、憲法に反する恐ろしいことを言ってますよね?

主義主張も言論も自由なのでどんなご意見を披瀝されても良いのですが、さすがに「公人には内心の自由はない」というのは、私が知る自由主義国家・民主主義国家の原理原則から乖離しすぎていて驚くばかりです。

で、そのことを指摘したら「発言」が問題なんだと論点をすり替え。

私は最初のツイートからずっと(YouTube等各種の発信を含めて)、発言は許されるものではないと一貫して申し上げているのですが…。

この労働組合アカウントを擁護する方の中には「主権者の人権や尊厳を侵害する思想を持っている人が、要職についていることがすでにおかしいのだ!」ということをおっしゃる方もいます。

しかし、そういう考えで人を排除していこうとするのは、まさに思想警察の発想ですよね…全体主義への道。

言葉に出したら責任を問われ、実行したら罪に問われるようなことであっても、内心で考える自由は誰にでも保証される。

何が「正しい」か分からないときがあるからこそ、この内心の自由・思想信条の自由は民主主義社会にとって決定的に重要です。

いわゆる「リベラル」と言われるような立ち位置の方ほど、時に自分の「正しさ」を絶対的なものだと考え、その「正しさ」に反するものは言動だけでなく思想まで平然と排除・統制しようとすることに、一抹の恐ろしさを感じざるを得ません。

繰り返しになりますが、今回の首相秘書官の発言は言語道断です。とりわけ影響力のある立場の方が発信すれば当事者も傷つきますし、猛批判を浴び更迭されることは当然だと思います。

ただ一方で、内心は誰であっても(たとえそれが公人でも)完全な自由

それがどんなに自分にとって間違っていて、不快なことであっても、許容していくのは自由主義社会・民主主義社会の大前提。

言論の自由・表現の自由にもつながる話ですが(こちらには責任が伴う)、それはまた改めて。

動画でもコメントしました。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2023年2月6日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。