日本の「同性婚」論議はいよいよ最終コーナーに入ってきている。岸田文雄政権下の同性愛問題に関連する問題発言がその流れをプッシュしている感じだ。ジュネーブの国連人権理事会で先月31日、「普遍的・定期的審査」(UPR)作業部会の日本人権セッションが開かれたが、そこでも加盟国から日本の同性婚の認知が遅れている、といった批判の声が聞かれた。
そこで「同性婚」問題について少し頭を整理したい。
第1は人間の「性」は生物学的にみれば「男」と「女」の2性だ。1960年代に世界的に広がった<ウーマンリブ運動>は、歴史的に男性支配の世界で様々な被害を受けてきた性「女性」の解放運動だった。それに引きずられ「性」革命が時代のうねりとなっていった。フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、「人は女性に生まれるのではなく、女になるのだ」と主張し、「第二の性」で男性主導の社会での女性差別の撤回を訴えてきた。
女性の権利が次第に回復されてきた頃、今度は<ジェンダーフリー運動>が台頭してきた。性的少数派(LGBT)がその権利をアピールしてきた。ジェンダーの問題では、生物学的な「男」と「女」の2性間の問題を扱うだけではなく、セクシュアル・アイデンティティ(性的指向)とジェンダー・アイデンティティ(性自認)を合わせた意味合いが含まれてきた。具体的には、ゲイやレスビアン、バイセクシュアルなどの性的少数派を意味する一方、トランスジェンダー、シスジェンダー、ジェンダーフレキシブルといった性自認が含まれている。
その結果、性的指向と性自認には様々なジェンダーが浮かび上がってきた。ニューヨーク・タイムズ紙によると、2014年の段階でその性的指向と性自認のジェンダーの数は70を超えている。近い将来、その数は更に増えることが予想されている。
ウーマンリブ運動、それに続くジェンダー運動は性差、性的指向への差別是正を目的としてきたと言えるだろう。ただ、両者は密接な関連がある。男と女の生物学的な「性」の中には、生まれた時から男性的と女性的な指向、傾向が埋め込まれているからだ。
霊長類学の世界的第一人者、オランダ出身フランス・ドゥ・ヴァール氏(Fransde Waal)はチンパンジーの赤ちゃんを研究して明らかにしている内容だ。生まれた時から、雌のチンパンジーの赤ちゃんは女性的な仕草や行動をし、雄のチンパージーは男性的な行動を見せたというのだ。「性」の中に男と女の「2性」の性的指向が埋め込まれているというのだ(おもちゃの人形を置いておくと雌の赤ちゃんはそれを抱っこしたりしてかわいがるが、オスは壊して中をみたりする)
問題は次だ。議論を呼んでいる同性婚問題は上記の2つの運動とは異なり、「差別撤回」を最終目標としてはいない。社会的認知だ。生物学的な「性」、それから派生する「性的指向」は基本的には男と女という「2性」の世界での問題を扱う一方、同性婚はその「2性」の枠組みを変えていこうとしているのだ。岸田首相が「同性婚は社会を大きく変える」という趣旨の発言をしたが、同性婚は社会だけではなく、人間の在り方を根本的に変える試みだ。
神が自身の似姿として男と女を創造された、それを見て良しとされたという旧約聖書の「創世記」を読む限りでは、全ての存在は「2性」によって生存し、反応し、繁殖している。だから、同性婚が本来の姿ではないと説明することは容易だ。しかし、無神論者や聖書に関心のない人にとっては説得力のある説明とは言えない。神の助けを借りずに同性婚が間違いであると説明しない限り、同性婚支持者を説得することは難しいだろう。
ちなみに、同性愛自体は20世紀以降見られる新しい社会現象ではなく、大昔からあった。聖書の中でも同性愛者は登場している。「同性愛者は歴史的に男と女の2性の世界の調停役を演じてきた」と主張する学者もいるほどだ。「2性」の世界にどうして「同性愛者」が存在するかを説明するための懸命な論理だ
まず、男と女から成る「2性」の世界では、同性の婚姻は生物学的には認められない。人が鳥のように空を飛べないのは、人が空を飛べる生物ではないからだ。ローマ教皇フランシスコは「同性愛は犯罪ではないから、差別してはならない」と指摘する一方、「同性間の性的行動は認められない」とはっきりと述べている。なぜならば、人間はさまざまな性的指向を有しているとしても、それは「2性」の世界の多様性だが、同性婚は「2性」の枠組みを超える行為となるからだ。
神の創造論では人間は男と女の「2性」から創造された。それが神の似姿というから、神も2性の存在という結論になる。そして人間が繁殖するために2性間の性的行為が行われる。一方、同性婚は繁殖できないうえ、生物的には同性間の性的行為は様々な疾患を生み出す危険性がある。すなわち、同性婚は「2性」の世界でのレッドラインを越えているのだ。人間社会はそのレッドラインを無意識にもこれまで遵守してきた。そして異性婚の「2性」の世界、社会を構築してきたわけだ。
実際、同性婚を要求し、同性間の性的行為をする同性愛者の数は少数派に留まるだろう。大多数派は異性間の婚姻をする。同性婚を支持する左派系知識人、メディアは寛容、多様性という言葉を駆使し、同性婚をあたかも性の多様性という観点から論じているが、性的行為を含む同性婚は全く次元が異なる問題だ。大げさに表現するならば、同性婚は「2性」の調和で成り立つ宇宙の秩序に反しているのだ。これを喜ぶのは「この世の神」(悪魔)だけだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年2月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。