日銀はサプライズがお好き:植田和男氏指名は真の意味でのサプライズ

トルコシリアの大震災の死者が最新の報道で23000人を超えたと報じられています。東日本大震災の死者/行方不明者が22000人規模でしたので既にそれを上回っており、歴史的惨事となっています。画像を見る限り堅固なコンクリート造の建物が一瞬にして崩壊したりするのをみていると自然災害の脅威を感じないわけにはいきません。人間の英知と自然との闘いはどれだけ文明が進んだとしても永久に続く課題とも言えます。改めてお見舞い申し上げます。

では今週のつぶやきをお送りします。

日銀はサプライズがお好き

2月6日付のブログで日経のすっぱ抜き記事、「雨宮氏が日銀総裁へ」を受けて私は岸田氏は黒田氏が好きではなかったのではないか、その上で黒田氏の実務部隊だったような雨宮氏を指名したことはよくわかっている人が正常化させることを期待をしたのかと思ったのです。ただブログの中で「(雨宮氏は)ほとんど発言もなければ講演もありません。つまり、考えていることが全く分からない」とし、「しゃべらない雨宮氏の本心は誰もわからない、これが最大のリスク」と述べました。今回、雨宮氏の総裁就任説得工作にたいして固辞したようで人事のやり直しだった、というのがどうやらことの顛末です。

金曜日の午後に降ってわいたような日銀総裁の新たな候補者に植田和男氏の名前、そして海外を中心に「誰だ、それは」で上を下にの大騒ぎとなっています。学者出身という点が今までになかった点で岸田氏の挑戦だと捉えています。総裁人事は毎度の如く日銀と財務省出身者のたすき掛け人事とも称され、硬直性が非常に高かった中で今回、学者という選択肢をしたのは真の意味でのサプライズです。手腕もわかりません。方針もまだわかりません。ただ、無茶はしないだろうとは思うし、いくら学者と言えども日銀や財務省、更に官邸の圧力は相当なもので、苦労されると思います。

あくまでも一般論ですが、学者という仕事はある事象に対して深掘りし、研究し、論文などを通じて主張をしていくものです。私がしばしば申し上げるように物事の考え方は無限にあり、その中の狭い範囲での主張になるので当然、間違いもあるわけです。その中で自然科学の学者の場合は実験を繰り返すことで回答を引き出すのですが、経済学の場合は実験ができないのです。つまり、ぶっつけ本番。それが後々、どういう評価になるかは本人が死んでからもわからないことすらあります。ノーベル賞を受賞したベンバーナンキ元FRB議長も学者ですが、ヘリコプターマネーを主張し、大規模金融緩和という手法を展開した代表的人物であります。では、彼のその着想は正しかったのか、といえば現在においても結論は出ていません。なぜなら誰もそこから脱却していないからです。学者というのはその点での評価はとても難しいとも言えます。

植田和男氏 NHKより

強盗強奪事件、もう一つの顔

もう見たくないというほど映し出されたフィリピンに収容された4名の男の写真。マスコミは現地の収容施設から日本に移送され、逮捕されるところまで狂ったような報道ぶりでしたがその後はまるで何もなかったような落ち着きぶりです。しかし、今回のような強盗強奪事件がなぜ起きたのか、きちんと考察すべき点が欠如しているように思えます。私が着目したのは狛江の事件で被害者の高齢者の自宅に駐車してあった息子さんの会社の3台の高級外車です。犯人グループは高額取得者の名簿を持っていたとされますが、私はこの車があだになったような気がするのです。

都内を歩いていると高級車が勇ましく駐車している戸建て住宅はずいぶん多いものです。私のように不動産事業者から見る金持ちの家とは広い土地、高級車、そして決め手は庭の手入れです。家が古いことは構わなくてそれよりもきちんと手入れしているかがポイントなのです。高級車がある場合、乗っていることから年齢的にアクティブ層であり、キャッシュフローがあるという意味です。一方、だらしがない家は金持ちになれません。それはお金にもだらしがないという意味で、そういう目線で見ると全く別の絵図が見えてきたりするのです。

では今時なぜ、強盗強奪事件なのか、しかも外国人窃盗団ではなく、なぜ、日本人窃盗団なのでしょうか?私は80年代までの一億総中流が崩れ、努力した者、勝ち組などとそれ以外のグループに完全に分離されたこの30年強の歴史の結果だと考えています。非正規雇用もその一例ですが、近年は機械に使われる労働者ばかりなのです。それにすら耐えられず、たやすいお金を求め、自分の人生すら放棄するような人間が増えたということではないでしょうか?最近は外食産業をターゲットにした外食テロが話題ですが、同根だと思います。

もっと深掘りしたい北方領土問題

今週、岸田首相が日露平和条約交渉は進めていく、この基本路線はかわるものではない」と述べました。北方領土の返還も強く粘りづよく訴えていくとしています。カナダから日本に向かう飛行機に乗るとアラスカのアリューシャン列島からカムチャッカ半島の横を抜け、千島列島をかすめながら日本に向かっていきます。ある帰国の際、機内のフライトマップを全行程、オンにしていたことがあります。多分、それをずっと見ているひとは希少価値だと思います。何も見えない窓の下にそれらの島々があると思うと司馬遼太郎になった気がしたのです。司馬氏の代表的作品である「坂の上の雲」と「菜の花の沖」はロシアに焦点を当てたもので司馬氏は10年間、ロシアの研究に明け暮れたとされ、その後の回顧録である「ロシアについて」を読むとロシアをよく理解することができます。

司馬氏は歴史小説家ですが、小説家とくくってしまうのはちょっと違うと思います。彼は調査や取材を経て事実を詳細に調べ上げた上で独特の文体で一定の脚色をしますが、書によってはかなり事実に近いのだろうと思わせます。上述の2冊、特に「菜の花の沖」は途中から学術書かと思わせるような内容です。その中で興味深いのがロシアの東方政策です。私が司馬氏の発想を更に深読みするとシベリアを含む東方政策はかなり放任であり、クロテンやラッコ、北狐などの皮を稼ぎのネタとすること、そしてその権益を露米会社(Russian American Company)という国策会社を通じて吸い上げるマシーンであり、それ以上の興味は何もなかったと考えています。

それゆえにアラスカを安値でアメリカに売却してみたり、樺太千島交換条約でロシアは日本に「千島列島を全部やるから樺太を全部くれ」と言ってみたりするのです。ロシアにとって千島列島は単にラッコなど稼ぎになる動物を採取する以外の何の目的もなく、地の果てのその地に領土を所有する意義などそもそもなかったのです。むしろ、第二次世界大戦の終わりにクリミア半島で行われたヤルタ会談で日本嫌いのルーズベルトがソ連の代表であるスターリンに「あの島を持っていけ」ぐらいに言ったのだろうと思います。ソ連はどこまで東方政策に興味があったのか、私には未だに疑問が残るのです。その中で飛行機の中で北方列島に思いをはせる、というのは歴史を未だに背負っているという気にさせるのです。

後記
1月29日に「ひろのバトル大合戦」をご紹介したのですが、最近思うのはこのバトルは永遠に続くのではないか、という懸念です。日々、問題が噴出し続けるのは相互理解の欠如、人々の忍耐強さの欠如、コミュニケーション不足、勝手な妄想など自分がどれだけ準備しても落とし穴だらけだという気がしてきたのです。私もチャレンジャーだし、問題解決のプロだと自負していますが、ずっと目をかけていなくてはいけない社会が訪れたと時代の変遷を感じないわけにはいかないのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年2月11日の記事より転載させていただきました。