「ライバルがいないと社員は緊張しない」
トヨタ自動車の社長を10年務め、米国進出を成功させ、経団連会長にも就任した豊田章一郎氏が97歳で亡くなった。私の現役時代、何度か懇談する機会があり、豊田氏の率直な経営思想に2度、驚かされました。
その2度というのは、世間一般の感覚、常識とは全く違うので、鮮明に記憶に残っております。私は経済記者として、官庁のほか財界や自動車業界を担当したこともあり、お会いする機会に恵まれました。
豊田氏は1982年から社長、92年から会長、94年からは98年まで経団連会長を務めました。トヨタが世界に大きく開花した時期です。その一方、日産自動車の経営停滞は深刻さを増していた。そこで仏ルノーと99年に資本提携を結び、経営危機を打開することになりました。
ルノーの上席副社長のカルロス・ゴーンが「ルノー・日産・三菱自動車アライアンス」の社長兼最高経営者に座りました。「ゴーン旋風」、「コストカッターの鬼」と言われるほど、徹底した経営改革を断行しました。
主力工場の閉鎖、子会社の統廃合、資材調達の集約化など、日本の商習慣にとらわれない経営を行いました。2兆円の有利子負債は2003年に全額返済し、12%に落ち込んでいた国内シェアはみるみる20%に回復しました。
その頃、名誉会長に退いていた豊田氏に、「ゴーンの凄まじい剛腕、辣腕経営ぶりに日本の自動車業界はおののいています。ゴーンはやりすぎではないですか」と聞くと、全く予想外の反応だったのです。
「私はゴーン氏を歓迎しているのです。こういう経営者がいないとトヨタも困る」。「えっ歓迎、どうしてですか」。「強力なライバルがいないと社内が緊張しない。ゴーンに頑張ってくれないと困る」。
「トヨタも安閑としていられないのでは」、「いや、そうした危機感が必要なのです」。トヨタにとってライバルだった日産が強力であってくれないと困る、ということなのです。
並みの経営者なら「ライバルを潰せ」という号令をかけ続ける。トヨタ対日産という構図が続き、好敵手がいたからトヨタも成長した。潰れかけた日産がゴーンの率いる日仏連合で再浮上にかける。トヨタ社内に緊張感が走る。だから「ゴーン歓迎」なのです。
そのゴーンは、公私混同、会社の私物化で訴追され、裁判を前にレバノンに逃亡してしまいました。日仏「トライアンス」は不調に陥り、ルノー保有の日産株43%を対等の15%まで引き下げることで最近、合意しました。
豊田氏がまだ存命ならどういうことを言うだろうか。恐らく「EV(電気自動車)やテスラのイーロン・マスクCEOとどう取り組むか」という次世代の重大な経営課題があるからいいのだと、言ったでしょう。
もう一つ、意表を突かれ、経営思想の一端を垣間見たことがありました。務めていた新聞社のグループ出版社の「月刊中央公論」で、「トヨタが日本を変える」というような特集を組んだことがありました。
日経連会長に奥田碩・元社長が就任するなど、あちこちにトヨタ人材を派遣していました。雑誌の特集のことを伝えると、即座に怒った表情を浮かべ「そんなにトヨタのことをほめないでほしい。役員や社員が慢心してしまうと困る」と。
並みの会社の経営者なら「ありがとう」という反応でしょう。豊田氏は「そんなのは迷惑です。トヨタの問題点を外部からみつけ、それを指摘してくれるのが皆さんたちの役目だ。問題点こそ突いてほしい」と。
豊田氏の死去に関する情報を調べてみましたら、ちょうど同じ頃、日経ビジネスがインタビュー記事(2000年4月)を掲載していました。同じようなことをあちこちでいっていたのです。
「トヨタは強いと言われるので、社員に慢心みたいなものがでてこないか心配している。慢心は滅びの始まりだ。お願いだから『トヨタは強い』なんで書かないで下さい」と、編集者に要求していました。
強力なライバルの存在が企業を成長させるのは、企業に限ったことではない。国際政治でも、「米国対ソ連」の冷戦があったからこそ、米国は必死になった。ソ連が崩壊してしまったら、国内の分断化が始まり、民主主義も弱体化している。国の結束が緩んでしまっています。
日本政治でも、自民党対社会党の対立があった時代は、自民党もまともでした。今の野党は分散し、対抗勢力にならない。自民党政治に緊張感がなくなり、財政が赤字の山を築いても、危機感を持ちません。小選挙区制で世襲政治家が「政治を相続」するようになり、緊張感が失われ、次世代の政治の劣化が懸念されます。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年2月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。