燃える植田日銀新総裁

植田和男日本銀行新総裁(今の時点ではまだ候補だが)は、武者震いをしているのではないか。

世間や、議員たちの衆議院や参議院での聴取のときに、こんな大変なときに、よく引き受けたのだと、植田氏を賞賛するとも、皮肉を言っているとも受け取れるコメントが散見されるが、彼らは、いずれにせよ、間違っている。

植田氏は燃えているのだ。

これは、まっとうな政治家、官僚、学者、いやどんな人間でも、当然のことだ。危機のときに請われて、役目を頼まれる。人間として、これほど生きてきた意味を感じる瞬間があるだろうか。

植田氏はまさにそのような気持ちだと想像する。

実際、2月24日の衆議院での聴取のときは、緊張とかなり慎重になっていたこともあり、かなり控え目で、保守的なやり取りだった。無難なスタート、あるいはスタート前でのしくじりを避け、まずは第一関門を突破した。

事前の質問通告は要らないと言った、という国会審議としては武勇伝が伝わっているが、まあ、それぐらいは金融政策のプロ中のプロの植田氏にとっては、なんということもないことだろう。

これに対し市場は、植田氏の安定感、そして一部の予想とは違って、極めてハト派、緩和派、つまり金融緩和を可能な限り続けるというスタンスに、安心し、賞賛した。

これはこれである程度正しいし、よいことではあるのだが、市場は、かなり見誤っている。

植田氏は、そんな普通の甘い男ではないのだ。

衆議院の聴取でほっとした市場は(メディアも)、参議院の聴取には、あまり関心がなかったようだが、27日に参議院で植田氏が見せた姿は、スタンス、意見の内容は同じであったが、ニュアンスはだいぶ異なっていた。

植田氏の顔は、闘う男の顔になっていたのである。雰囲気も自信を内に秘めた、いや、それが漏れ出しているようなやり取りであった。

植田和男氏に対して参議院で行われた所信聴取と質疑の様子 NHKより

議員にどんなにしつこく責められても、慎重に、抜かりなく、しかし絶対に譲らないところは妥協せずに、はっきりと譲らず、すでに王者の対応、こちらが市場と経済と政策を支配する側だ、ということを相手にわからせた数時間であった。

植田氏は、基本的にはハト派である。そして、米国経済学の王道のど真ん中の考え方である。

しかし、いや、だからこそ金融緩和は行うが、副作用も正面から受け止め、また、奇抜な政策、奇策などには関心がなく、いや、ある意味蔑視とまでは言わないが、奇策は好きではなく、何より効果が疑問であり、明らかな副作用があり、望ましくない、と思っている。

したがって、正統的な金融政策を妥当な程度に行うだろう。

つまり、金融緩和は継続するが、正常化は進める、ということである。

正当な金融緩和とは、金利を引き下げることである。低金利を維持することである。それ以外の要素は、金利低下を実現するための手段でしかない。だから余計なものはできるだけないほうがいい。

だから様々な修正がタイミングをみて、着々と行われるだろう。

イールドカーブコントロール、これを無理やり実現するための連日指値オペ、そして、株式の買い入れ、これらは外されていくだろう。

実際、植田氏自身も株式ETFは、すぐさま止めて、売却に入りたいような答弁だったが、それは正常化に向かい始めるときに実施する旨も述べていた。

植田氏が行動に移ったとき、市場は驚くだろう。

しかしそれは市場が、いま気づいていないのが、明確に愚かであるだけのことだ。

そして植田氏も日銀も日本経済も、淡々としかし摩擦を伴いながら正常化していくだろう。これが唯一の日本の進む道である。