中露外交官の「嘘」の比較論:被害者を加害者呼ばわりする傾向

ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は3日、インドの首都ニューデリーで開催された国際会議で「わが国は戦争を止めようとしている」、「(ウクライナ)戦争はウクライナの攻撃で始まった」と語った時、会場から笑いが漏れたという。その笑いの中には、「嘘」を平気で喋るロシア外相の厚顔無恥さに対する驚きも含まれていただろう。ラブロフ外相はロシア外交のトップだ。プーチン大統領の政策を外に向かってラッパを吹く役割だから、ラブロフ外相は自身の役割を忠実に果たしたとも言えるかもしれない。

インドのニューデリーで開催された国際会議に参加したロシアのラブロフ外相(2023年3月3日、ロシア外務省公式サイトから)

ウクライナ戦争は昨年2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻から始まったことは、多分、ロシア以外の世界の全ての国が知っている。そしてロシア軍の攻撃は今も激しく続いている。プーチン大統領自身、「戦争」という言葉を回避し、「特殊軍事行動」という表現を使用して以来、ラブロフ外相を含む全てのロシアの政治家は戦争をしながら、「戦争」という表現はタブー視される、といった奇妙な状況に置かれてきた。

1972年にモスクワ国際関係大学を卒業した直後、ソ連外務省に入省した時、将来、ロシア外交のトップとなって世界を駆け巡る外交官になろうと夢見ていただろう。今月21日に73歳の誕生日を迎えるラブロフ外相は来年には外相就任20年目を迎える。その長期在任を誇るラブロフ外相は、「ウクライナ戦争が始まって以来、プーチン大統領の発言をそのまま語るマリオネット外交官になってしまった」と自身の変身ぶりに内心、忸怩たるものがあるかもしれない。それとも、ラブロフ氏はインドの国際会議で語ったことが本当に事実と信じているのだろうか。

ラブロフ外相のインドでの発言は加害者を被害者とする論理(嘘)、すり替えだ。ある意味で典型的な「嘘」だ。残念ながら、この種の「嘘」はラブロフ氏の専売特許ではなく、世界至る所で耳にする。日本も例外ではない。加害者を被害者と見なし、被害者を加害者呼ばわりする傾向が結構、広がっているのだ。

ラブロフ外相の「嘘」と好対照なのは中国外交官の「嘘」だ。中国武漢発「新型コロナウイルス」の起源問題で米エネルギー省が先日、「ウイルスは武漢ウイルス研究所から流出した可能性がある」と発表した。すると中国外務省は即、「米国は問題を政治化している」と反論した。ここまではまだ理解できるが、毛寧副報道局長は5日の定例会見で「中国はウイルスに関する全ての情報を世界保健機構=WHOと共有している」と述べたのだ。この発言は明らかに虚言だ。なぜならば、WHOのテドロス事務局長は3日、「情報の共有と必要な調査の実施を引き続き中国側に求めている」と述べているからだ。WHOは依然、中国から必要な情報を共有していないのだ。

ちなみに、中国共産党政権から海外に派遣された外交官は一時期、「戦狼」(戦う狼、ウルフ・オブ・ウォー)であることを求められた。相手が中国側の要求を受け入れないとリングに上がったボクサーのように拳を直ぐに振るい始める中国外交官がいた。「戦狼外交」と呼ばれて恐れられたほどだ。流石にここにきてそのようなヤクザなみの中国人外交官は姿を消した(「世界で恥を広げる中国の『戦狼外交』」(2020年10月22日参考)

ラブロフ外相の「嘘」と中国外務省の「嘘」の違いは、ロシアの外相の「嘘」は全く事実に基づかないものであり、多くの場合、如何なる説明や弁明もない。一方、中国の「嘘」は批判に対して反論がつく。例えば、人権問題では、欧米諸国の人権と中国の人権では定義は異なるという説明がつく。「ウイグル人が強制収容所で弾圧されている」という欧米側の批判に対し、中国側は即、「強制収容所ではなく、再教育施設だ」といった具合だ。最近の例では、中国発気球問題だ。中国側は気球が中国製であると認めたが、米国が主張する「偵察気球」ではなく、「気象観察用気球」と言い張る。中国外交官たちの虚言はロシア外交官より一般的に凝っている一方、ロシアのそれは大国意識が独り歩きする「厚かましさ」だけが残る、といった感じだ。

人は「嘘」を言う時、その表情、眼球、口周辺の筋肉に通常ではない動きが出てくる。それを見つけ出し、「嘘」を言っているのか、本当かを推理していく。その微妙な動き、表情を専門家たちは「マイクロ・エクスプレッション」(微表情)と呼んでいる。ラブロフ外相の「嘘」は精神分析官がその微表情を観察し、分析する必要はないだろう。

ただ、丸裸の「嘘」が繰り返されることで、「嘘」が次第に本当のように感じられる、といった現象が生じる。ロシアの世論調査では、「ウクライナ戦争は欧米側が仕掛けたものだ」というプーチン大統領の説明を依然、過半数を上回るロシア国民が信じている、という現実を思い出す(「『嘘』を言ってごらん」2020年2月18日参考)

ラブロフ外相や中国外務省報道官を擁護する気はないが、「嘘」は有史以来、人類と共にあった。人類の歴史は「嘘」から始まったといえる。神がアダムとエバに「善悪を知る木の実を取って食べてはならない」と戒めたが、エバはヘビ(落ちた天使)の虚言に騙されて食べ、そしてアダムもエバに唆されて食べた。神がアダムに「なぜ食べたか」と追求すると、アダムはエバのせいにして自己弁明した。聖書の「失楽園」の話は「嘘」から始まった物語だ。

アダムとエバの後孫に当たる私たちも常に「嘘」をついてきた。ラブロフ外相や中国外務省報道官だけではない。社会は出来るだけ「嘘」をつかないように、「嘘」は良くない、といった教育を施してきた。宗教もそのために少しは貢献した。「嘘」は表面的には減少してきたが、同時に、巧妙な「嘘」、本当のような「嘘」が幅をきかせてきた。

参考までに、「嘘」の極致の世界を紹介する。イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の世界だ。共産主義の世界では、ビック・ブラザーと呼ばれる人物から監視され、目の動き一つでも不信な動きがあったら即尋問される。そこでは思想警察(Thought Police)と呼ばれる監視員がいる。その任務は党のドクトリンに反する人間を監視することだ。例えば、党のドクトリンには「2+2=5」と書かれている。その計算が正しいと教えられる、それを受け入れず、拒否すれば射殺される。自由とは奴隷を意味し、戦争を扱う「平和省」と呼ばれる部門があり、「愛情省」は憎悪を扱う部門といった具合で、全ては180度意味が違う。ロゴスに別の意味を与えて支配する「嘘」の世界だ(「モスクワ版『1984年』の流刑地」2021年3月28日参考)


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。