海外の仕事生活はそんなに魅力的か?:「こんなに稼いだ!」への疑問

日経の「海渡る『出稼ぎ日本人』 さよなら、安いニッポン」は海外で仕事をする者からして複雑な気持ちにさせる内容であります。記事では日本で出来ないこと、例えば午後6時に帰宅して家族とご飯を食べること、下働きで握らせてもらえない寿司が握れたこと、あり得ないほどの稼ぎを打ち出すこと…で将来ある人への覚醒を論じているものです。

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一昔前「ジャパゆきさん」という言葉がはやったことがあります。80年代に東南アジアの人たちが日本に行けば稼げるという話だったのですが、「出稼ぎ日本人」なんてタイトルをつけられるとジャパゆきさんの逆バージョンを想起してしまいます。

しかし、「出稼ぎ日本人」はかつての日本で当たり前だった時代があります。戦前、日本は貧しかったにもかかわらず、家族は多かったのです。親は子供たちに稼いでもらいたかったため、長男だけを残し、あとは外に出すということは多かったのです。かなり悲劇的な話も無数にあると理解していますが、その中で多かったのが「海外に渡る」でありました。ブラジルなど南米、サンフランシスコやシアトル、バンクーバーといった西海岸、ハワイなどはそのメッカでありました。多くは日本で聞いた話とは全く違い、苦労して渡航してみたら驚いたという話はごまんとあります。ドミニカ共和国に移住した日本人の悲劇は私が同国を訪れた時初めて知ったような具合で我々が伝え聞いている話の奥にはもっとディープなものがあったのです。

「お前はなぜ、31年間も海外にへばりついているのだ?」と聞かれたら答えは一言、「外国でビジネスゲームに勝ちたいから」です。野球選手やサッカー選手が外国でプレーしたがるのと同じなのかもしれません。野球選手やサッカー選手が年俸に固執しているか、と言えばそうではなく、このチームの中でどうやって自分をアウトスタンディングにするか、ファンや監督、チームメンバーにどうアピールできるか、だと思います。つまり、自己との戦いです。

私も31年間、日々、クライアントや取引先とのやり取りを通じて毎日難局を乗り越える、その繰り返しです。ではそれが誰でも簡単にできるか、と言えば恐ろしくハードルは高いと思います。つまり、日経の記事、あるいは最近よく話題になる「海外でこんなに稼いだ!」系の話はごく一部の人のサクセスストーリーなのです。

もちろん、賃金は日本よりずっと高いでしょう。ですが、まず、査証をどうやって取得するかです。日本食の職人ならとれるかもしれません。では他の職業ならどうでしょうか?基本的に業務用の査証はその国でその職業の労働力が賄えないことが前提です。だからすしが握れれば査証は出るかもしれません。が、例えば人事や労務、経理財務マン、建築士や弁護士などの士業、建設業者や工場管理の方が西側先進国で受け入れられるかと言えば相当厳しいです。それはルールも違うし、言葉の障壁があるし、そもそもその国に専門家はそれなりにいるからです。

つまり海外なら稼げるという話は職種が非常に限定されている前提だというのが抜けているのです。

次に賃金がどれだけ高くても生活物価も十分高いのです。つまり入りもあるけど出も多いのです。ある程度耐え忍んで長くいればその恩恵は出てきます。が、一般的には海外で日本の稼ぎの5倍、10倍になったという話は嘘ではないかもしれないけれど生活コストの話はあまり聞きません。ある意味ワンサイドでしょう。

最後に、海外での仕事は孤独です。もちろん、日本食レストランのように同じ仲間同士で働けるならよいかもしれません。が、必ずしもそうではありません。寿司屋はバンクーバーに限れば韓国系の方がはるかに多いわけで日本人寿司職人が韓国系寿司レストランで働くケースもあるわけです。これに耐えられるか、そして勝ち抜けるか、です。

スポーツ選手同様こちらの会社に雇われた場合、「お前クビ!」という宣告もごく当たり前に起きます。それを潜り抜ける忍耐力とチャレンジ精神を持った者だけが美酒に浸れるという世界だという点は海外で長くビジネスをしている者としてのコメントです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年3月6日の記事より転載させていただきました。