「神」がサイコロを振る時:量子物理学の発展で新たな見解

何事も数式で説明しないと納得できない天才物理学者アルベルト・アイシュタインは、偶発性、確率、統計に基づく量子力学の曖昧さを嫌い、「神はサイコロを振らない」と答えたという話は有名だ。しかし、21世紀に入り、最近の量子物理学では神はギャンブラーのように「サイコロを振るう」と受け止められてきている。

ツァイリンガー教授(右)はじめ2022年のノーベル物理学賞の3人の受賞者(ノーベル賞委員会サイトのスクリーンショットから、2022年10月4日)

「分子は原子の結合体であり、原子は陽子と中性子と電子の結合体だ。そして電子や光子は2カ所の穴を同時に通り抜けたり、複数の場所に同時に存在したり、同時に複数の異なる方向を向いたりできる。さらに不思議なことに、これらの粒子は空間のある地点から別の地点に光より速く通信し、テレポーテーションさえ可能なようだ」(スイス公営放送「スイスインフォ」2月13日)というのだ。

従来の物理学の理論では理解できない現象だ。物理学者たちは光や電子が「粒子」か「波」かで頭を悩ませ、実際は「どちらでも成立してしまう」という問題にぶつかった。この解明と実用化のために、世界の科学者は昼夜、研究開発に没頭している。

2022年ノーベル物理学賞は3人の量子物理学者が選ばれたが、3人の学者たちは「2つの粒子が『量子もつれ』という状態にあるとき、一方の状態を変化させると、もう一方の粒子はたとえ銀河系の反対側にいても瞬時に同じ値を取る」という「量子もつれ」の現象を研究した学者だ。

その3人の学者の1人、アントン・ツァイリンガー教授は、当方のコラムでも数回、紹介したウィーン大学の学者だ。教授はオーストリアの週刊誌とのインタビューの中で、「神は証明できない。説明できないものは多く存在する。例えば、自然法則だ。重力はなぜ存在するのか。誰も知らない。存在するだけだ。無神論者は神はいないと主張するが、実証できないでいる」と述べていたことを思い出す(「量子物理学と形而上学を繋ぐ科学者」(2022年10月6日参考)

今回のコラムに移りたい。上記の中で書いたが、量子物理学の世界では比喩的な表現だが、「神はサイコロを振るう」と受け取っているという点に驚いたのだ。ひょっとしたら、神は愛の存在だけではなく、ギャンブルにも少なからず関心があるのではないか、という思いが湧いてきたからだ。

当方の知人の中に、中東イラク出身のギャンブラーがいる。彼はれっきとしたTVジャーナリストだ。ベルリンに駐在していた時は多くの記事を配信したため羽振りが良かったこともあって、次第にギャンブルの世界にのめり込んでいった。ウィーンの国連記者室で彼と初めて知り合いとなった時は彼は既に立派なギャンブラーだった。仕事で入った収入で夜な夜なカジノに通い、ルーレット版に頭を突っ込む日々を送っていた。当方も何度か彼から「カジノに行こう」と誘われたが、断ってきた。

「その後、知人はどうなったか」って。多くのギャンブラーがそうであるように、彼の損益計算書は常にマイナスだった。にもかかわらず、「次こそは勝つぞ」、「勝てるような気がしてきた」といった悪魔のささやきに抗しきれず、投資を繰り返した。その結果、破産寸前となり、カジノ側から彼の名前は「入店禁止リスト」に載せられてしまった。この程度では知人のギャンブルへの熱意は冷めなかった。彼は自分の名前がブラックリストに載っていないチェコの国境近くにある別のカジノに車で通い出した。しかし、資金が枯渇してしまったので、自然とカジノ通いの回数が減っていった。そこまでは知っていたが、その後の知人のギャンブラー人生は知らない。独り者の彼は現在、年金者となって老人ホームにいると聞いた。

ところで、「神はサイコロを振らない」と考え、多くの物理学者もそれを信じていた時代、物理学の世界だけではなく、神を信じるキリスト教会関係者も迷いがなかった。なぜなら、神が創造した宇宙が地上の物理原則、方式に基づいて観測可能であり、神の創造した世界は一定の秩序を維持した安定した世界だったからだ。しかし、量子物理学が登場して、「神はサイコロを振るう」と主張しだしたのだ。多くの物理学者がその学説の過ちを指摘するために懸命に努力したが、量子物理学者の理論を覆すことができないだけではなく、世界の優秀な物理学者が量子物理の研究に没頭しだしたわけだ。

先の知人の話にもう一度戻る。ギャンブルで財産を貯めたという話は聞かない。大多数は「ギャンブルで財産を失い、土地、家もギャンブルで消えていった」というのが「ギャンブラーの公式」だった。「神がサイコロを振らない」からだ。しかし、「神もサイコロを振るう」となれば、ギャンブラーがカジノで財産を築くということもあり得る。知人がカジノで財産を築き、豪邸で生活しているといった状況も皆無とは言えなくなるわけだ。

知人は晩年、ほぼすべてを失い老人ホームに入所して余生を送っている。寂しい日々だが、安定した世界だ。少々大げさな表現となるが、彼が量子物理学と出会い、「神もサイコロを振るう」ということを耳にしていたならば、彼の晩年は違ったものとなっていたかもしれない。量子力学は偶発性、確率、統計に基づくから、ギャンブルの世界に近い。知人は神のサイコロに希望を感じ、全てを失うまでルーレットの世界に没頭していたかもしれない。

物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの「思考実験」と呼ばれる「シュレーディンガーの猫」の話がある。箱に入った猫が生きているか、死んでいるかは箱を開けて観測するまで確定できない。同じことが知人のギャンブラーの人生でもいえる。成功するギャンブラーとなるか、廃人となるかは彼が死の日を迎えるまでは確定できないのだ。

いずれにしても、ギャンブラーがサイコロを振るうのは普通だが、「神がサイコロを振る」となれば、ひょっとしたら困る人、被害者が多く出てくるのではないだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。