避難所で見た人々の逞しさと、絆と:東日本大震災から12年の日に

こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。

本日は3月11日。東日本大震災から12年が経過しました。亡くなられた皆さまに改めて哀悼の意を表しますとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

流れてきたネット記事やテレビの特集を見て、どうしても薄れていくあの日や被災地支援をしていた頃の記憶を引っ張り出す。

東日本大震災、体育館避難所で起きたこと
https://synodos.jp/opinion/society/14462/

避難所における生々しい記録は、様々なボランティアで避難所を回ってきた自分にも考えさせられるものがありました。どこまで役に立っていたのかな。足を引っ張っていなかったかな。

「おまえ、政治家を目指すって言ってたよな?東北にいま絶対に行かなきゃ駄目だ。自分の目で見て、手を動かしてこい」

という先輩の言葉と、

「仕事をやめて東北に行く。少なくとも数年は帰ってこない」

と宣言して実行した友人の姿に奮起され、東北に通った日々。間違いなく私の政治家としての原点の一つです。

避難所の記事を見て、とある避難所で

「流れ着いた大量の瓦礫の中に、たまに缶ビールや酒の瓶が混じっているんだよ。それをめざとく探して飲み歩くのが楽しかったなあ」

と目を細めて語るたくましい被災者のおじさんたちの姿や

「いま、彼氏ができたの!!」

と、家族で交代で使っているガラケーを片手に飛び跳ねながら報告する中学生の女の子の姿を思い出しました。

人はどんな状況にでも希望を見出して、絆を紡いでいく。

いよいよ福島・原発処理水の海洋放出も目処が立ちましたが、復興はまだ道半ばです。

引き続きハードのみではなく、ソフト面からも被災地を支えられる支援と、記憶の風化を少しでも防ぐべく、私の立場からできる発信・支援を続けてまいります。

それでは、また明日。

2011年4月 南三陸町

 


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2023年3月11日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。