人生成功の道:人生、3度しかないチャンスを「遠慮」する日本人

人生の成功とは何でしょうか?上場会社の社長、巨万の富の構築、誰ももらえないような賞を勝ち取る、あるいはスポーツ、芸術、文化で一目を置かれる存在になる…これらは一般的な発想ですが、私は普通のご夫婦がリタイア後、老後生活で共に寄り添いながら笑顔で終わることも人生の勝者の一人だと思います。これは100人いたら100通りの答えがあるはずでそれでよいのだと思います。

では人生成功のステージは変えられるものなのでしょうか?今の生活に満足していると考える人たちが今まで知らない世界を見て人生観が変わった、という話は時折耳にします。その時、覚醒するか、「へぇ、そんな世界もあるんだね」で終わるかで雲泥の差が出ます。人生はずっと上り坂だとすればちょっとその扉を開けてみる、それが思わぬ人生の成功のヒントになるかもしれません。

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私は「非日常」を意識しています。それは仕事や生活習慣がほぼ同じなので意識的に刺激させないと人生の1年も10年も同じ色になってしまうからです。今年の秋、私はアメリカ、ダラスで自己啓発系のセミナーに参加しようと思っています。朝9時から夜12時までの1日15時間を4日間、合計60時間の猛烈な内容です。脳みそが違う色に染まるのではないかという気もしていますが、それならそれで面白いです。

お前の年齢で自己啓発して何がある、と思われる方もいるかもしれません。私はたぶん、死ぬまで働くのだと思います。なので道のりはまだ長い中で何をどうやるべきかプランしています。それに少し油を注いで考えを張り巡らす、それが今回の目的です。死ぬまで働くと言っても今の社長のポジションにしがみつくわけではありません。それには未練はないのです。いつ後任に託しても構わないところまで達成したと思っています。なので、次の「面白いこと」をプランしている最中なのです。

日経ビジネスの誰も読まなそうな連載「グローバルインテリジェンス」に「人生で成功する8つの戦略」(ポールシューメーカー、ペンシルベニア大学ウォートン校教授)という記事があります。私はこの地味な記事を3回読み直しました。うん、そうだよな、と。その中の逸話が分かりやすいと思います。(長いのでひろのGPTで簡略化)

1996年アトランタ五輪のボクシングで無名の選手が決勝戦まで勝ち上がりました。試合前にボクシングプロモーターたちは彼に高額の契約金を準備し受諾を求めましたが、「運が良かっただけ。自分にはそんな実力はない」と断わられます。そこでプロモーターたちは準決勝で彼に負けた選手を契約で勝ち取ります。契約を勝ち取ったこの選手はその後、5階級制覇、生涯で2億8千万㌦(350億円)も稼ぎます。一方、決勝に進みながら契約を断った彼は決勝で敗れ、その後、質素な田舎のアパートで月400ユーロで年金暮らしをしているそうです。

チャンスはつかみ取るもの、と言います。日本人の方にはせっかくのチャンスなのに「遠慮」する方が多いと思います。「私なんて…」という訳です。北米では出来もしないのに「私がやります!」と言う人も目立ちます。チャンスをくれてありがとう、なんです。

日本の美徳に「一度断る」という立ち位置があります。「先日のお礼にぜひとも受け取ってください」「いや、とんでもない、そんなもの、貰えませんよ」「そうおっしゃらずに…」「そうですか、ではありがたく」というやり取りは誰もが経験しているでしょう。私は最近はそういう話は「ありがとう!!!」と言ってすぐに頂きます。

以前にもこのブログでご紹介したかと思いますが、今日のテーマにピッタリなのでもう一度繰り返します。あなたは回転寿司の前に座っています。(今風の回転ずしではなくて昔のように皿がガンガン廻っている時代です。)目の前においしそうなトロが廻ってきました。手を伸ばそうかと思ったけれどあなたは他にもおいしいものが来るかと思い、手を引っ込めます。しかし、そのトロは他の人がすぐにとったので2度と廻ってこないのです。あの時、手を出していればよかった、と後悔するわけです。

私はこの寓話を若い人向けの恋愛、起業、転職話でよく使います。人生、チャンスは3度しかありません。トロとウニといくらは一度しか廻ってこない、それに手を伸ばす勇気があればラックをつかむのです。うまくすれば3度も、です。

前述の日経ビジネスの記事は私のこの寓話とほぼ同じ話なのです。もちろん学者が書く8つの戦略なので非常に興味深いことが記載されていますが、結局はまずは人生成功への入口に立てるかどうかなのです。「運」は偶然ではない、自分で引き寄せるのだ、ということなのです。この教授も全く同じことを言っています。そしてリスクとリターンを見抜くことです。

例えば、出会った男性(ないし女性)があなたを幸せにするのか、精気を吸い取るような自分にとってサイテーのタイプなのか、全力で判断するのです。顔かたちで惑わされてはいけません。最近は男も化粧をしますから。見るのは人間の本質の部分です。わかりやすいのは食と金銭感覚。これが合わないとアウトです。

新しく住むところを探して不動産を探す方に10軒見ても決められない人がいます。なぜだかわかりますか?自分が住みたい家が何かそもそも頭に描けていないからです。陽当たりなのか、セキュリティなのか、立地なのか、自分で大方針を決めておけばそもそも10軒も見ないです。せいぜい3軒で済むのです。

私にとって自分の人生が成功したかどうかは死ぬ日に考えます。「悔いのない汗をかいたか?」「自分の存在は社会に少しでもお役に立てたか?」「人にご迷惑をおかけしなかったか?」です。私はまだ数十年残っているはずなのでまい進するしかないのです。

時折、晩節を汚す方を見受けます。社会事件でも60代、70代になって犯罪を犯して実名、顔写真入りでニュースになる方を見て、あぁ、3/4まで来て人生振出しに戻る、というすごろくゲームは厳しいと思います。

人生ゲームというボードゲームが昔ありましたが、まさにすごろくでまっすぐに進めないのが成功への道、そして成就への道ですね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年3月17日の記事より転載させていただきました。