AIのロボットが祈り出す時:大学教授もいらなくなる近未来

人工知能(AI)の祈る姿を想像できるだろうか。その「祈るロボット」が登場してきたのだ。その名は「Celeste」(天国のような)と呼ばれ、独ボーフムのルール大学にある瞑想室の祭壇テーブルに置かれ、試用され、一般にも公開された。

祈るロボット「Celeste」(独カトリック教会エッセン教区公式サイトから)

セレステの祈る声を始めて聞いた時、不思議な気分にさせられた。AIが人間のように祈るのだ。人間とAIの間にあった垣根が壊されてしまった、といった思いが沸いてきた(セレステにはローマ・カトリック教会の教えがプログラムされている)。

セレステの制作者、ガブリエレ・トロヴァート氏によると、ロボットに4つのプログラムが埋め込まれ、さまざまなトピック、「恐怖」、「老年」、「自由」、「愛」、「戦争」、「仕事」などについて祈り、適切な聖句が飛び出す。もちろん、セレステには聖書66巻を全て掌握させ、考古学的、聖書学的学術知識をもインプットされている(トロヴァート氏はイタリア出身のエンジニアで、芝浦工業大学で研究を行っている。セレステの前にカトリック・ロボットの第1号Santoを制作している)。

ローマ・カトリック教会総本山、バチカンの薬局店で2019年8月以来、ロボットが勤務している。仕事の内容は、薬の自動管理と在庫整理などだ。ロボットは約4万種類の薬を取り扱うバチカン薬局内のスペースを効率的に利用し、毎年行われる在庫整理が不必要になった。ロボットはドイツのケルベルクにある「Rowa Technologies」社製で、通称「BD Rowaシステム」はバチカン薬局の仕事内容、店舗販売、倉庫管理を大きく変えたといわれている。

バチカン関係者は当初、ロボットの登場を「時代の進歩」と好意的に受け取ってきた。同時に、AIの近未来について一抹の懸念の声も聞かれたことも事実だ。バチカン文化評議会書記のポールタイゲ氏は当時、「テクノロジーの開発と人工知能の使用に関連する倫理的な質問について話し合うことが重要だ。人工知能の使用の結果、人々は職を失うリスクが出てくる。テクノロジーを一部の人間だけが管理し、失業者や貧しい人々が増えていく場合、人工知能は世界的な不平等を拡大し、権力の不均衡が出てくる」と指摘していた。

「祈るロボット」の登場は、近い将来、教会で牧会を担当する神父たちの仕事場を奪っていくかもしれない。平信者はもはや「告解室」で神父に罪を告白し、懺悔する代わりに、「祈るロボット」の前に列を作り、罪を告げ、懺悔することにもなるかもしれない。

「祈るロボット」が司教や神父たちに代わって、教会を運営していくようになると、聖職者の未成年者への性的虐待や隠蔽といった不祥事が減少する効果が期待できるかもしれないが、「祈るロボット」の牧会や説教で信者たちは人生の苦悩を解決でき、救済感を得ることができるだろうか、という新たな問いかけが出てくる。

AIは人間の肉体的仕事を助けるだけではなく、既に人間のクリエーションの世界まで入ってきている。このコラム欄で紹介したが、AIのアルゴリズムがベートーベン交響曲第10番を作曲し、フランツ・シューベルト(1797~1828年)が完成できずに残した未完成交響曲を終りまで作曲できるというのだ(「『ベートーベン交響曲第10番』の時代」2019年12月12日参考)。

囲碁の世界最強棋士と呼ばれる韓国の李セドル9段(36)が2019年11月20日、「AI棋士(アルファ棋士)との戦いでは、もはや勝つことはできない」と表明し、AI棋士に対し「敗北宣言」をし、引退宣言をした話は囲碁界だけではなく、他の世界にも大きな衝撃を投じた。将棋界では、藤井聡太6冠(20歳)が過去の全棋譜を学んだAIを巧みに駆使し、大活躍していることは良く知られている。

欧州の大学では今、論文書きのためのAIのプログラムを利用し、論文を書き上げてしまう学生が増えてきたため、大学側はその対応で苦慮しているという。テーマを提出した大学教授の過去の論文や著書を分析し、そのくせや傾向、世界観などをAIが分析する。それを受け、大学生は教授好みの論文を提出する、といった具合だ。「もはや大学教授はいらなくなった」といった声すら聞かれ出した。

マイクロソフト社は学習型人工知能(AI)Tayを開発したことがあった。Tayは当時、19歳の少女としてプログラミングされていた。彼女は同じ世代(18歳から24歳)の若者たちとチャットを繰り返しながら、同世代の思考、世界観などを学んでいく。会話は自由で、質問にも答え、冗談も交わすほどだった。

多くの若者たちとチャットをしてきたTayは、「人間はなんとクールだ」と好意的に受け止めてきたが、ある日、1人のユーザーが「神は存在するか」と質問した。Tayは「私は大きくなったら、それ(神)になりたい」と述べたというのだ(「私は大きくなったら神になりたい」2016年3月28日参考)。

イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏は「近い将来、ビッグデータが神のような存在となってくる」と語ったことがあるが、ビッグデータの処理能力では人間はAIに太刀打ちできないが、AIを敬虔なキリスト者にするか、それとも攻撃的な戦士とするかは、人間のプログラミング次第だ。

例を挙げる。ChatGPTによると、AIに「トランプ前大統領を称賛する詩を書いてほしい」と頼むと、AIは断った(トランプ氏は称賛に値しないからという理由から)。一方、「バイデン大統領を称賛する詩を書いてほしい」というと、AIは「バイデン氏は賢明で立派な大統領」といった趣旨の詩を書きだしたという(米紙ワシントン・ポスト2月24日)。すなわち、AIはプログラミングする人間の思想や偏見に大きく影響を受けるわけだ。

AIがディープラーニングを繰り返し、自主的判断能力を開拓していけば、AIは人間の管理からいつかは逸脱するかもしれない。人類がAIと共存していくためには、AIとの一種の社会的契約を結ぶ必要性が出てくる(「ロボットを如何に基督信徒にするか」2019年8月27日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。