放送法第4条と電波独占①:小西事案の本質的論点

 

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本質論から逃げ回るメディア・行政・政治の「結果としてのスクラム」

立憲民主党の小西議員が国会に持ち込んだ文書に関する一連の騒動については、行政も巻き込んだ政治的な暗闘という側面で語られることが多い。

他方、高市議員が逃げ切ったとか、小西議員が正しい、いややりすぎだとか、そういう話は枝葉の議論だ。

このような放送法第4条を前提とする事案の核は、「テレビの多チャンネル化を前提に、電波独占と放送法第4条を撤廃することの是非」を国民的議論にできるかどうかなのだが、メディアも行政も政治も、それぞれの思惑でうまく本質的議論から国民の目をそらすことに成功している。

国民の「知る権利」は「電波独占の撤廃」により拡大する

今回の一連の騒ぎで争点となった放送法第4条の法理は、テレビ局が「公共の電波を8チャンネルで独占している」がゆえに、「そこで放映される番組には政治的公平性が求められる」という点だ。

例えば、どこの局でもかまわないが、「岸田政権はダメでクソな政権だから崩壊させるのが国民のためだ。ついては、〇〇党に政権移譲させるキャンペーンと募金活動に協力してください。政治的正義は日本を救う!」という趣旨の番組を繰り返し流したとする。それは、放送法4条の趣旨に反するということは誰でもわかる。それが、昭和39年の電波監理局長答弁がいうところの「法に抵触する極端な場合」だ。

しかし、この放送法第4条に一定の正当性があるのは、あくまでテレビが8チャンネルしかない、つまり多様性が担保されないメディアである(にもかかわらず今のところ国民に強い影響力がある)という前提があるからだ。

一方、池田信夫氏が指摘するように、現在の技術を前提とすれば、

テレビ局が40チャンネル(240MHz)を占拠して8チャンネルしか使っていないプラチナバンドを開放すれば、最新の圧縮技術(H.265)なら200チャンネル放送でき、「自民党チャンネル」も「共産党チャンネル」も地上波で放送できる。

憲法違反の放送法4条は廃止せよ

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のだから、言論の多様性は「電波帯の整理」をすれば「多チャンネル化」により担保できる。すなわち、電波独占によるチャンネル寡占さえなくなれば、放送法第4条は不要だ、とする議論だ。

しかし、新聞、テレビなどの大手資本に独占されたメディアにおいては、いつまで待ってもその文脈で議論を提起することはない。よって、国民は今回の騒動を「馬鹿らしい政治的茶番」として眺め、やがて忘れ去ることになる。

どうだろう? これを読んでくれているあなたは、小西議員の空騒ぎや、高市議員のつっぱり具合に強い興味をお持ちだろうか?

私は、もうすっかり飽きてしまったし、はじめからあまり興味もなかった。なぜならば、池田信夫氏が本件発生当時から指摘しているとおり、問題となった高市議員の国会での発言そのものは、昭和39年の電波監理局長答弁を繰り返しているに過ぎないからだ。

残念なことだが、間違いなく本件は「国民が飽きて忘れ去る」方向で推移する。報道が本質論に発展することはない。

次回は、なぜ我が国では電波独占に関する議論が提起されそうになるたびに「本質論から乖離した報道」となるのか簡単に述べたい。

(次回に続く)