世界のローマ・カトリック教信者たちはフランシスコ教皇が呼吸系の疾患のため病院に運ばれたというニュースを聞いた時、心配したに違いない。南米出身のフランシスコ教皇は既に86歳の高齢だ。バチカン教皇庁が30日、フランシスコ教皇は軽度の気管支炎で抗生物質が処方され、快方に向かっていると発表したばかりだ。キリスト教会の最大の復活祭(4月9日)には間に合うだろうというが、教皇自身が復活祭の記念礼拝を挙行するかはまだ不明だ。
毎回、復活祭が来ると、このコラム欄でも復活祭の意義や関連の行事について書いてきた。キリスト教にとってイエスの生誕日を祝うクリスマスと共に、復活祭は2大祝日だ。「復活のイエス」からキリスト教が始まったことを考えると、復活祭はキリスト教会にとってやはり最大の行事というべきだろう。
ところで、バチカンニュースには興味深い記事が掲載されていた。作曲家ヨーゼフ・ハイドン(1732年~1809年)の「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」(Septem verba Christi in cruce)を現代風にアレンジした新バージョンが4月2日、バチカンラジオで初演されるというのだ。
オーストリアの作曲家ハイドンが1787年に作曲した管弦楽曲、7つのゆっくりした楽章の新しいバージョンは「現代の人々にキリストの死と復活の謎について考えるよう促すことを目的としている」(作曲家マルチェロ・フィロテイ氏)という。コンサートは、4月2日の零時1分にバチカンのメディアによって初めて放送され、www.vaticannews.vaの30のウェブラジオ局で聞くことができるという。
バチカンニュースによると、新しいハイドンのアイデアは、バチカン放送の音楽部門のマルコ・ディ・バティスタ氏から生まれた。同氏は「意味のあるスコアを探していたら、突然、信じられないほどモダンに聞こえるハイドンを見つけた。冒頭の音符で、ハイドンが自分で言葉を再現しようと試みているのだ。同時に、ハイドンは聴衆を退屈させないように気を配っていた。マルチェロ・フィロテイ氏はオーストリアの作曲家の作品を読み直し、現代語で再解釈するという、ややクレイジーな挑戦を実際に引き受けた」という。
フィロテイ氏は、「ハイドンの作品を音楽的に研究する前に、キリストの十字架上の7つの言葉の意味を神学的に研究することは、私にとって重要だった。そして、私の構成上の決定の多くは、いわばこの研究によって決定された」と説明している。
たとえば、「喉が渇く」を意味する「Sitio」という文は、身体の必要性に関するものだ。そこでこの時点で、素手でドラムの皮を叩くことにした。珍しいサウンド演出はこれだけではない。他の場所では、弓がビブラフォンやシンバルをこすり、弦楽器の倍音に非常に似た音を出している。
ハイドンの現代風解釈など音楽的な背景については専門家に委ねるとして、イエスが十字架上で発した最後の7つの言葉について少し考えたい。「イエスの復活」の意味を知る上で参考になるのではないか。
- 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」(「ルカ福音書」23章34節)
- 「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるであろう」(「ルカ福音書」23章43節)
- 「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」「ごらんなさい。これはあなたの母です」(「ヨハネ福音書」19章26節~27節)
- 「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(「マルコ福音書」15章34節)
- 「わたしは渇く」(「ヨハネ福音書」19章28節)
- 「すべてが終わった」(「ヨハネ福音書」19章30節)
- 「父よ、私の霊を御手に委ねます」(「ルカ福音書」23章46節)
聖金曜日の礼拝、イエスの十字架上の最後の7つの言葉が読み上げられる。その時、7曲のソナタが緩やかに流れだし、イエスの死を迎え、最後は地震の場面で終わる。
伝統的なキリスト教の解釈では、イエスは人類の罪を背負うために十字架で亡くなり、その3日後、復活する。イエスの十字架救済と死を乗り越えた復活を信じる信者たちはイエスの勝利の恩恵を受け罪から解放されるというものだ。
33歳で十字架で亡くなったイエスの生涯については多くの謎があることはこのコラム欄でも紹介してきた。(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日参考)、(「ヨセフとマリアの『イエス家庭』の謎」2015年4月7日参考)などで書いてきたので、関心のある読者は再読していただきたい。
ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」の中にもキリストとして降臨したイエスの無念さが感じられるのではないか。世界のキリスト者よ、十字架上のイエスを単に仰ぐ時は過ぎたのではないか。今こそイエスを十字架から降ろすべきではないか。ハイドンの音楽を聴きながら、イエスの生涯を静かに考えてみたいものだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。