Winny 開発者・金子勇 死後10年に想う(上)

城所 岩生

映画「Winny」公式サイトより

3月28日付、読売新聞大阪夕刊の「技術悪用 開発者の罪か ウィニー金子さん死去10年」と題する記事は、3月に公開された映画「Winny」で注目を浴びたウィニー事件を紹介する。ファイル共有ソフト、ウィニーを開発した東大大学院助手金子氏が違法コピーを手助けしたとして著作権法違反をほう助した罪に問われた事件で、2004年に京都地裁で有罪判決を受け、最高裁で無罪が確定するまで7年半を要した。

NHKスペシャルより

記事は「弁護団の一員だった遠山大輔弁護士は『才能ゆえに起きてしまった事件。金子さんは世の中を良くしようと思っていた』と語った」と紹介する。

シリコンバレーのベンチャー企業は一攫千金を夢見て起用していると日本では思われているようだが、そうではない。彼らは世の中を良くしようとして起業している。 Apple は全ての人がパソコンを使えるようにするため、 Google は世界中の情報を整理して検索できるようにするため起業した。

シリコンバレーにかぎらず世界を見渡すと金子さん同様、世の中を良くしようとして画期的なプログラムを開発した天才プログラマーは他にもいる。相違はその多くが億万長者になったが、金子さんは不当な逮捕・起訴と闘い無罪を勝ち取るのに42年の短い生涯の7年半も費やされた。

以下は近著「国破れて著作権法あり~誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか」からの抜粋。

「まえがき」より

2012年4月、幕張メッセで金子勇氏の講演を聴いた私は、質問の冒頭で、「金子さんは日本人に生まれて不幸だったかもしれない。なぜなら欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者は、金子さんのように後ろ向きの裁判に7年半も空費させられることなく、その後、無料インターネット電話のスカイプを開発して、億万長者になったからである」と述べた。

日本のインターネットの父とよばれる村井純慶応大教授は、その欧米版ウィニーを「ボロウィニー」と酷評する。欧米はボロウィニー開発者を億万長者にしたのに対し、日本は本物のウィニー開発者を逮捕・起訴し、無罪を勝ち取るのに42年の短い生涯の7年半も奪ってしまった。

ウィニーを「ソフトとしては10年に一度の傑作」と評価した村井氏は、金子氏の訃報に接して、村井氏の「ひょっとしたらウィニーがビジネスの基盤に育っていた未来があったかもしれない。ただただ残念だ」と述べた。村井氏の予言どおり、ウィニーが採用したP2P(Peer to Peer)技術は、最近脚光を浴びているブロックチェーン技術の先駆けとも言われている。

「2-3 億万長者になった欧米版ウィニーの開発者や米国の天才プログラマー」より

欧米版ウィニー開発者

ウィニーと同じ技術を開発して億万長者になった技術者は、スウェーデン人のニクラス・センストロム氏とデンマーク人のヤヌス・フリス氏である。2人は2001年に欧米版ウィニーの「カザー」を開発。その後、インターネット通話のスカイプを開発し、2003年にスカイプ社(本社・ルクセンブルク)を設立した。利用者同士が無料で国際通話ができることから,同社は急成長を遂げた。2005年に2人はネットオークション大手のイーベイに26億ドル(当時のレートで2900億円)でスカイプ社を売却し、億万長者となった。

P2P技術の開発者

億万長者になったのは北欧の技術者だけではない。ウィニーが採用するP2P技術自体を開発したアメリカの技術者も億万長者になっている。1998年、ボストンの大学1年生だったショーン・ファニング氏は、P2P技術を使ってナップスターを開発。翌1999年、大学を中退して1歳年上のショーン・パーカー氏とともにナップスター社を設立。ファニング氏は2000年10月にはタイム誌の表紙に掲載されるなど時の人になった。

ナップスターに対しては全米レコード協会(RIAA)などが著作権侵害で訴え、サンフランシスコの連邦高裁は2001年に侵害を認める判決を出した。この判決で無料交換の停止を命ぜられたナップスターは、会員制の有料交換サービスに生き残りをかけたが成功せず、結局サイト閉鎖に追い込まれた。

カザー、ナップスターとも著作権侵害訴訟に敗れ、サイト閉鎖に追い込まれた。ナップスターがビジネス化に失敗する中、音楽配信サービスの将来性を見抜いたのがアップルのスティーブ・ジョッブス氏で、2003年に音楽配信サービス iTunesストアを立ち上げた。事業化に成功したのはジョッブス氏だが、CDという媒体に依存していた音楽の流通システムを根本的に変えるきっかけをつくった2人のナップスター創業者の物語は、2013年に『ダウンローデッド』という映画になった。

パーカー氏はフェイスブックの創業にも貢献し、初代社長も務めた。このため、2010年にフェイスブックの興隆を映画化した『ソーシャル・ネットワーク』にも登場。フェイスブック以外のベンチャー企業にも投資。ファニング氏もウーバーなどのベンチャー企業に投資、2人とも億万長者になっている。

「1-1. 日本株式会社による乗っ取りを恐れた1990年代前半のシリコンバレー」より

ブラウザーの開発者

インターネットの入り口であるブラウザー(閲覧ソフト)を開発したマーク・アンドリーセン氏は、イリノイ大在学中に最初のインターネットのブラウザー モザイクを共同開発。卒業後、シリコンバレーに移住し、1994年に事業家のジム・クラーク博士とネットスケープ・コミュニケーションズを設立。モザイクを改良したネットスケープ・ナビゲーター(現在のファイヤーフォックス)を開発して、設立からわずか1年半で同社の株式公開に漕ぎつけた。

24歳でタイム誌の表紙を飾り、マスコミに次のビル・ゲイツやスティーブ・ジョッブスかと報じられるなど時代の寵児となり、25歳で億万長者となった後、ベンチャーキャピタリストに転じ、ツイッター、フェイスブック、スカイプなどの有望企業を見出して、投資した。

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アンドリーセン氏(Wikipediaより)

アンドリーセン氏は高校時代に地元の図書館からプログラミングの本を借りて、その日のうちにプログラムを書いたというほどの天才技術者だが、金子氏の天才ぶりもひけを取らない。以下は弁護団の事務局長を務めた壇俊光弁護士の「Winny 天才プログラマー金子勇との7年半」からの抜粋。

彼も電器屋でプログラミングをしてゲームを作っていた。ただ、 作ったゲームのクオリティがあまりに高いので、 お店の方からデモで使わせて欲しいと頼まれる程だった 。 彼の回りには いつも人だかりである 。

生まれも金子氏の1970年に対し、アンドリーセン氏1971年と同年代の二人の対照的なその後の人生を見るにつけ、金子氏を栄光なき天才にしてしまった日本の捜査当局の勇み足が悔やまれる。

(次回に続く)