「パンの誘惑」対「共通の価値観」:日米の抑止力を弱体化させるマクロン

欧州の盟主ドイツのショルツ首相が昨年11月、中国を公式訪問し、習近平国家主席と会談した。北京滞在11時間余りの訪問だが、ドイツ国内ばかりか、欧米諸国では「ショルツ首相の訪中タイミングは良くない」と批判的な声が聞かれた。習近平主席が中国共産党第20回党大会で3期目の任期を獲得、習近平独裁体制が始まった直後という時期に、ドイツの首相が北京を訪問し、習主席と昼食を共にすることで、習近平独裁体制に祝福を与えたのではないか、といった懸念が出てきたからだ。

習近平主席、フランスのマクロン大統領と広州で非公式会談(2023年4月7日、中国政府公式サイトから)

一方、ショルツ首相の盟友、フランスのマクロン大統領は4月5日から7日までの日程で北京を公式訪問し、習近平主席と会談し、その後も主席が伴って広州など中国内を案内するなど、異例の厚遇を受けた。問題は、同大統領がフランスの新聞レゼコーとオンラインマガジン「ポリティコ」(9日掲載)とのインタビューで、「欧州は台湾問題で米国の追随者であってはならない。最悪は、欧州が米国の政策に従い、中国に対し過剰に対応しなければならないことだ」と指摘、米中両国への等距離外交を主張している。マクロン大統領の発言が明らかになると、米国を始め、ドイツなどでマクロン大統領を批判する声が高まった。

ショルツ首相の場合、11時間余りの中国滞在だったが、マクロン大統領の場合、3日間と長期滞在となった。訪中の場合、ゲストがどれだけ滞在するかでその待遇ぶりがある意味で推測できる。戦略的に重要な欧米ゲストを迎えた時、中国側はゲストに十分な滞在を要求するのがこれまでの慣例だ。69歳の習主席が直々にゲストを案内するという場合、ゲスト側は中国側に明確な目的があると事前に考えるべきだが、若いマクロン大統領はその余裕がなかったのだろう。習近平主席と会談したマクロン氏は、「欧州は米国の従属国になる危険性がある。目覚めなければならない」と語っているのだ。欧米間の結束に亀裂を入れたい中国側にとって勇気づけられる発言となったことは間違いない。

ドイツ連邦統計局が2021年2月22日に発表したデータによると、新型コロナウイルス感染症の影響を受けながらも、2020年の中国とドイツの2国間貿易額は前年比3%増の約2121億ユーロに達し、中国は5年連続でドイツにとって最も重要な貿易パートナーとなった。例えば、ドイツの主要産業、自動車製造業ではドイツ車の3分の1が中国で販売されている。2019年、フォルクスワーゲン(VW)は中国で車両の40%近くを販売し、メルセデスベンツは約70万台の乗用車を販売している。

一方、マクロン大統領の訪中では今回、50社以上の同国代表企業が随伴し、フランス側の発表によると、仏航空機大手エアバスは中国航空器材集団から160機を受注、仏電力公社EDFと中国国有の国家能源投資集団は海上風力発電の分野で合意するなど、大口の商談が次々とまとまった。年金年齢の引き上げに怒った労働者のデモへの対応で苦悩してきたマクロン大統領にとって、中国からの大型受注話で久しぶりにホクホク顔だっただろう。米国の対中包囲政策、中国の台湾周辺での軍事演習による威嚇問題、ウイグル人への少数民族弾圧政策などを忘れてしまうのに十分な贈り物を受けたマクロン大統領から、対中政策は欧州独自政策を構築すべきであり、米国の対中政策を模倣することはないという発言が飛び出してきたわけだ。

至極素朴な問いかけが出てくる。自国産の自動車の40%を購入してくれて、自国の飛行機産業に対し160機の大型受注をしてくれる国、この場合、中国に対して、ドイツやフランスは米国と同じ対中政策を実行できるだろうかという点だ。ショルツ首相やマクロン大統領に対中政策でしたたかな政策を実施すべきだ、と提言する学者はいるが、現実の政治はそれからは程遠いのだ。

駐米のフランス大使館の代表は米国などから聞こえるマクロン大統領批判に対し、「マクロン氏の発言は過度に解釈されている。米国は私たちの価値観を共有する同盟国だ。台湾に対するわが国の立場も変わっていない」とツイッターで書いている。

問題は「同じ価値観に立っている」という箇所だろう。中国共産党政権とは異なり、欧米諸国は民主主義、法治国家体制、「言論の自由」、「宗教の自由」などを共有するという認識があるが、その共有するはずの価値観が揺れ出し、その定義は曖昧となってきているのではないか。

マクロン大統領は、中国が大規模な軍事演習をシミュレートしている時、北京と距離を置かず、米国を批判した。ウォール・ストリート・ジャーナルは社説で、「マクロン氏の発言は役に立たない。中国に対する米国と日本の抑止効果を弱体化させ、欧州への米国の関与を減らしたいと主張する米国の政治家を大胆にするだけだ」と批判したのは頷ける。

少し聖書の世界に入る。悪魔はイエスに3つの試練を行ったが、最初の試練は空腹のイエスに対し「石をパンに変えてみよ」だった。それに対し、イエスは「人はパンのみに生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(「マタイによる福音書」第4章)と答え、悪魔の誘惑を退けた。

悪魔が相手を誘惑する場合、パンの誘惑は最初だ。空腹で食べ物を探している時、目の前に美味しい食べ物が出されたならば、多くの人はその誘いを拒むことができない。イエスの時代だけではない。21世紀の今日でも同じだ。ただ、悪魔は悪魔ですといった面をしていないから、その識別は一層難しい。国の経済が厳しい時、経済大国から特別な商談、経済支援のオファーを受ければ、それを断るのは難しいだろう。マクロン大統領やショルツ首相だけの話ではないのだ。

それでは「パンの誘惑」に対して、イエスは「人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉によって生きている」と答えた。イエスの言う「神の言葉」とは21世紀の世界では欧米諸国が繰り返し主張する「共通の価値観」と解釈できるかもしれない。中国側の大型商談に対し、マクロン大統領は、「国民経済は厳しいが、わが国は欧米と同様の価値観を持っている」と答えて、大型商談の話にも冷静に対応したならば、習主席は驚いて腰を抜かしたかもしれない。ひょっとしたら、欧米諸国はマクロン大統領を改めて評価しただろう。結果は逆になった。習近平主席は薄笑いを見せ、欧米諸国ではマクロン批判に火が付いたわけだ。

マクロン大統領は欧州の独自外交、欧州軍隊の創設などを機会あるごとに訴えてきたが、その前に「欧州は本当に共通の価値観を有しているか」を検証する必要があるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。