社会は進化しているのか?:振り落とされる人が大量に発生する現代社会

唐突ですが、皆さんは今日の生活は10-20年前と比べてよくなったと思いますか?こう聞かれると10中8、9の方は経済的比較やテクノロジーの進化、健康、家族といった尺度から良い悪いをご判断されると思います。では、それら目に見える変化を除いた社会生活において人々と共生し、生産活動する一人間として考えた場合、どうでしょうか?

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私は微妙で複雑な気持ちなのです。ビジネスをするうえで、あるいは個人として生活を営む上で果たして20年前と比べて絶対に良くなったとも悪くなったとも言えないのです。つまり成長があまり見られない気がします。

1つには「SNSによる突風現象」と「過度な盛り上がり方」そして「オンラインメディアによる無限の影響力」あるのかもしれません。それは我々が日々の生活の中で勝手に入ってくる情報に振り回され過ぎているし、かつては専門家しか注目しなかった内容を一般向けに深掘り報道することに一つの理由は見出せます。

更に報道で事実や事件の裏側を知った気になるけれど、実は十分理解しきれず中途半端なまま、次々と新たな報道が襲い掛かってくるのです。また一つの事件をフォローすることもありません。例えばフィリピンで捕まり移送された詐欺犯のその後の状況は分かりません。あれだけ大騒ぎして警察に捕まった瞬間、パチッとスイッチが切れるように報道は止まるのです。

アメリカで続けざまに破綻した銀行の状況を見るとSNSによる一方的でややもすれば暴力的な影響力がつい1か月前まで健全に利益を上げていた銀行を瞬殺してしまうのです。明らかにおかしいのです。そして潰れてから「あの銀行は潰れて当然だった」と我が物顔で語る専門家はおかしいでしょう。更に人々は「次はどこだ!」と探し回り、人々は「悪魔の生贄」を求めているのです。社会は確実に粗暴になってきています。

次に仕事のやり方が中途半端なケースが目立って増えたように思えます。私どもで導入したEVチャージャーは工事完了から4カ月たってもまだ動かないのです。私もたかがチャージャーがなぜこれほど難しい仕組みになっているのか理解できなかったのですが、当事者として接していると2つの組み合わせが業務を遅延させているように見えます。1つはシステムが奇妙に複雑化するなかで全体像を把握した上できちんとプログラムしたり、稼働させる能力を持っていない未熟な担当者が増えた点はあげられます。

2つ目に誰がどこまでの専門性をもって対応しているのかという点です。先週、弊社の駐車場の自動セキュリティゲートが開閉できなくなりました。2週間前に点検してもらったばかりです。その会社に電話すると違う人が現場に来て一言「これは電気が来ていない。だから2週間前の点検が原因ではない」と言い放ち帰ってしまいます。大きなビルで複雑な構造、その電源のブレーカーの場所を見たこともないため、電気屋と共に探すと「こんなところに電気室があったのか?」という場所にブレーカーが隠れていました。そして電気屋曰く「ブレーカーが落ちていたから入れたけど動かない。電気は来ているから電気の問題ではない」と。

再びセキュリティゲートの会社を呼ぶと2週間前に点検した人が「原因が分かった。交換した部品が不良品でショートしたんだ」と。確かに直りました。しかし、その担当者は謝りもせずさっさと帰っていきます。我々の苦労は何だったのだろうと思うのです。こんなケースはほんの一例で私の仕事はトラブルシューター(問題を直す人)と化しています。

街を見れば建築ラッシュですが、いつまでたっても出来ない建物もあります。隈研吾氏が設計している捻じれた形状の高層住宅が私の事務所の隣で建築中ですが、3年経ちますが未だできません。多分、意匠がカナダの基準には複雑すぎて工事業者のレベルがついてきていないのです。例えばバルコニーにバスタブが備わっているのですが、バスタブの水は重いので構造設計が複雑でより強固にしなくてはいけません。私から見れば「やりすぎ」で皆が同じレベルにないことが問題を難しくしていると思うのです。

我々の住む社会は便利になったことは事実です。これは10-20年前と比べ格段の改善です。しかし、それに合わせて一般の人はその改善や改革を享受する一方でそこに何か問題があった時、修復すべく手段を持ち合わせていないのです。その場合は「全部スクラップからやり直す」しか方法がないのです。

イーロン・マスク氏がツィッターを買収した際、彼は一旦会社を解体する勢いで改革を実施しました。それが将来的には功を奏するのかもしれません。マスク氏が天才であるならば中途半端にだましだまし時間をかけて改善するより既存の組織を一度ぶっ壊せ、の方が早いとみたわけです。その考え方は少なくとも今の北米に於いては正解のように思えます。

とすれば我々が今、生きている社会は必ずしも安定したプレートの上には乗っかっていないのかもしれません。そして人間が本来持つ潜在能力に蓋をし、人間がより楽にそして労せずして日々の生活を営めるような革新ばかりが目立つようになります。「労せず」というのがキーワードでしょう。

が、「労せず」して社会に甘んじていると必ずしっぺ返しはあるものです。現代社会においてスマホがないと生きていけない人ばかりになりました。20年前にはなかったのです。とすれば人間はそれだけ自立できる力が無くなったともいえるのです。

皆さんは手計算で四則演算ができますか?手紙をボールペンで書けますか?頭に記憶している重要な電話番号はいくつありますか?今週の予定、全部覚えていますか?ナビなしで目的地まで運転できますか?もはやできないことだらけなのです。

現代社会は展開が早すぎると思います。加速度がついてきているのです。それに振り落とされる人が大量に発生しつつあります。その時、我々はどう振り返るのでしょうか?「昔は不便だったけど単純でよかったなぁ」と。そういう方々はより保守的志向を強めるのです。分断社会の構造の一因でもあります。

社会への警鐘にもならないですが、意識しておくことは重要ではないかと思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月9日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。