岸田首相、被爆地は広島だけではありません

先進7か国首脳会議(G7サミット)は、昨日、閉幕した。各国首脳が、被爆地・広島を訪れて、原爆資料館をその目で見て、平和公園で献花したことは、意義深いことだと感じた。また、ウクライナ・ゼレンスキー大統領の「電撃訪日」そして各国首脳と会談させたことも、意味あることだと思う。歴史的なサミットになったと思うし、その成功のため、奔走・尽力されてきた方々には、心から「お疲れ様でした」と申し上げたい。

ただ、昨日の岸田文雄首相の記者会見等を聞いていて、一点だけ、疑問に感じたことがある。岸田首相は、事あるごとに「広島」「被爆地・広島」という言葉を連呼されていた。サミットが広島で開催されているので、仕方がない面もあろうが、私が疑問に思ったことはそこである。「当然、ご存知とは思いますが、岸田首相、被爆地は広島だけではありません」ということで1945年8月9日、長崎にも原子爆弾は投下されているのだ。

議長国記者会見をする岸田首相 首相官邸HPより

今回、岸田首相から「被爆地・長崎」という文言は聞かれたであろうか。私は可能な限り、首相の記者会見などをチェックしていたが、「被爆地・広島から訴え続けていかなければいけない。悲惨な結末を何としても避けるため核兵器のない世界という未来への道を着実に歩む必要がある」という言葉はあったが、管見の限りでは、「長崎」「被爆地・長崎」というワードは聞こえてこなかった(もしかしたら、どこかで仰っていたのかもしれないが、明かに広島を強調されていたと感じた)。

こうした事を、長崎の人々がどう感じるか。「取り残されている、見捨てられた」と感じる長崎の被爆者の方もいたのではないか。当たり前の話であるが、岸田首相は、日本の首相である、広島の首相ではない。そうであるならば、長崎の被爆者への配慮がもう少しあっても良かったのではないか。長崎の被爆者も広島に連れて来て、首脳と面会させる、もしくは、一部の首脳の長崎訪問を検討するなど、色々とやり方はあったはずだ。

私はサミット自体は成功だったと思うが、長崎の人々の心を思うと、悲しい気持ちになるのである。