我が国のロシア・ウクライナ戦争をめぐる論壇は、たいへん不健全になっている。不都合なことであっても、それを市民に伝えるのが専門家や知識人に与えられた社会的責任である。にもかかわらず、それが十分に果たされていないのだ。
なぜそうなっているかと言えば、この戦争の言説を道徳論が支配しているからだろう。
「道徳主義の誤謬」が歪める戦争分析
ある事実が望ましくないからという理由で、その存在自体を否定してしまう非論理的思考は、「道徳主義の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれている。今から30年以上も前に、こうした人間の価値判断が、いかに科学的探究を阻害するかに警鐘を鳴らしたのが、細菌生理学者のバーナード・デーヴィス氏であった。かれは科学誌の最高峰である『ネイチャー』に寄稿したエッセーで、その過ちを以下のように指摘している。
道徳的な理由によってある分野の探究を遮断すると、その分野での知識が固定されてしまうので、事実上、『あるべき姿』から『ある姿』を導き出そうとする非論理的な努力になる。私は、この手順を『道徳主義の誤謬』と呼ぶことを提案したい。
我が国の多くの専門家や識者は、ウクライナでの戦争を分析する際に、道徳主義の誤謬を犯しているようだ。
現在、この戦争はロシア軍および民間軍事会社ワグネルとウクライナ軍が膠着状態に陥っている。バフムートをめぐる両軍の死闘は、ロシア・ウクライナ戦争が「消耗戦」になっていることを例証している。こうした消耗戦が、今後、どのように展開するのかについて、我々は3つのシナリオを立てることができる。
すなわち、①ウクライナの反転攻勢が成功して、ロシアが占領した領土から撤退させられること、②両軍が一進一退の攻防を繰り広げる結果、消耗戦が継続すること、③ロシアがウクライナに打撃を与えることにより、占領地をさらに広げることである。
戦争や軍事、国際政治の専門家であれば、これら3つのシナリオ分析にもとづき、ウクライナでの戦争の行方を予測するべきであろう。にもかかわらず、我が国では、③のシナリオが、全くといってよいほど排除されているのだ。
なぜそうなるかといえば、「ロシア=悪、ウクライナ=善」の道徳的な二項対立が、想定されるあらゆるシナリオを立てて、それらを客観的に評価する作業を妨げているからだろう。国際法に違反して侵略を行い、人道の罪を犯したロシアがウクライナに勝つなどと語ること自体、道徳的に不都合であり、「破門宣告」に値する行為なのだ。
こうした道徳的自己検閲は、学者や識者に偏った戦争の分析を強いることになる。その結果、国家の適切な政策立案は歪められ、国民の知る権利も蝕まれる。これは由々しきことと言わなければならない。
望ましくない結果を考えるということ
独立系のシンクタンクが数多く存在するアメリカでは、幸いなことに、道徳主義の誤謬を逃れた、ロシア・ウクライナ戦争の分析が発表されている。ここではクインシー研究所が発表した最新の報告書から、③のシナリオに言及した部分を抜粋して紹介したい。
ウクライナの攻勢が失敗し、ロシア軍が反撃に転じ、ウクライナの領土をさらに奪取できる状態になった場合、ワシントンは既存の占領地をロシアの手に残して停戦を求めるか、ウクライナへの軍事援助を大幅に増やすかを選択しなければならないだろう。
しかし、このシナリオでは、こうした援助がウクライナのさらなる領土喪失を救うほど迅速に届くことはおそらくない。その場合、米国は、ウクライナが来年新たな反攻を開始し、それが失敗すれば再来年というように支援するか、米軍を派遣して直接戦争に介入するか(バイデン政権はこれに強く反発している)、おそらくポーランドに介入を許可するかのいずれかを約束しなければならないだろう。
例えば、ウクライナのロシア軍を攻撃するためにポーランドの空軍基地が使用されれば、ほぼ確実にロシアのミサイル攻撃が、その基地(米国かポーランド、または、両方)を襲うことになる。北大西洋条約機構(NATO)加盟国への攻撃は、ロシアとNATOを戦争の瀬戸際に追い込むことになる。また、米軍がウクライナ側に直接関与することは、中国がロシアへの本格的な軍事援助をしないことに終止符を打つ危険性もある。
ロシア軍がウクラナイ軍に打撃を与えて占領地を拡大するシナリオが、荒唐無稽であるのならば、それを無視してもかまわない。しかし、残念ながらそうではない。ウクライナ軍がロシア軍に対して劣勢を強いられるエビデンスはいくつもある。
NATOのロブ・バウアー軍事委員長は、ウクライナでの戦争について、時代遅れの装備で訓練不足だが人数の多いロシア軍と、西側の優れた武器を持ち良く訓練された相対的に小規模なウクライナ軍との戦いになるとの認識を示した。これは言い換えると、ロシア軍が物量でウクライナ軍を凌駕しているということである。このことはウクライナの当局者も認めている。
ウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相は、4月下旬に、「我々の計算では戦闘任務を成功させるのに最低でも月36.6万発の砲弾を必要としているが、供給不足のため砲兵部隊は発射可能な砲弾量の20%分しか使用しておらず、これはロシア軍が使用する量の1/4だ」とEUに訴えていた。そして、消耗戦でモノを言うのは、兵力と火力なのだ。
戦争を冷静に見ているヨーロッパの人々
戦場となっているヨーロッパの主要国の人々は、ロシア・ウクライナ戦争の推移を冷静に観察しているようだ。ロシアのウクライナ侵攻から1年経った頃に実施された世論調査の結果がここにある。
このグラフを見ればすぐに分かる通り、フランスを除き、どの国でも半数以上の人たちが、1年後もウクライナとロシアが戦争を行っているだろうと答えている。さらに注目すべきは、ロシアがウクライナから1年後に撤退していると予測する割合は小さく、また、ロシアがウクライナを支配するとの回答はもっと少ないのである。
我が国では、プーチンはウクライナを国家として認めておらず、時代錯誤の帝国主義的な「植民地戦争」を行っているとの言説が広く拡散されているようだ。しかし、ヨーロッパの人々の中で、ロシアがウクライナを支配するだろうと予測している人は、10%前後しかいないのである。要するに、ロシア・ウクライナ戦争は、今後も両軍による一進一退の攻防が続くだろうとの見方が大勢なのである。
外交交渉と戦争の犠牲
戦争の霧という不確実性は、その予測を難しくするが、多くのヨーロッパの人たちの予測が正しいとするならば、今年中にウクライナがロシアに勝利して、全占領地を奪還できる可能性は低いということになるだろう。
もっともありそうなシナリオは、今後もウクライナ軍とロシア軍が押したり引いたりしながら「消耗戦」を続けることである。その結果として、現在とあまり変わらない膠着状態のもとで、ウクライナとロシアが「停戦交渉」をせざるを得なくなった場合、その間に失われた犠牲は、どのように理解すればよいのだろうか。
リアリストの研究者やジャーナリストの拠点である「ディフェンス・プライオリティ」のメンバーである、ダニエル・デべリス氏(シカゴ・トリビューン紙コラムニスト)は、ロシアを懲罰する戦争の結末に期待するのは非現実的であるとして、外交による停戦交渉の必要性を以下のように強く訴えている。
(広島で開催された)G7では、ゼレンスキーの平和の方程式について大取引がなされた。しかし、はっきりさせておきたい。この『公式』は、交渉の原則というよりも、ロシアの全面撤退やロシア高官の戦争犯罪裁判など、ロシアに対する降伏条件のリストである。ここに中道はない。ゼレンスキーの立場は “ロシアが負ける “だ。その理由を知るのは難しくない。ロシア軍は戦争犯罪を行い、ウクライナの都市(マリウポリ、バフムート)を破壊し、領土を併合している。しかし、外交プロセスを開始するという観点からは、ゼレンスキーの『方式』は、既に死亡しているものである。キーウの今後数ヶ月の焦点は、ロシアの戦線をさらに東に押しやることだろう。しかし、膠着状態が続き、外交が重大な選択肢と見なされ始めたら、ゼレンスキーの方式を変えなければならないだろう。そうでなければ、話し合いは始まらないだろう。
我が国では、何よりもまず、国際法に違反してウクライナを侵略したロシアが同国から引き揚げなければならないと強く主張されている。確かに、これは道徳的には正しい。しかしながら、道徳から現実を推論するのは非論理的であろう。残念であるが、道徳が現実を形成するわけではない。道徳的に受け入れがたい結果になる可能性が無視できないのであれば、われわれは、それを受け入れざるを得ない。
この戦争では、既におびただしい人命が失われており、今後も死者の数はさらに増えることになる。ある調査によれば、ロシア軍の死亡者数を証拠に基づいて推定すると、35,000人(2023年3月時点)になる。ウクライナの戦闘員の死者はおそらく20,000人を超える。ウクライナの民間人の死者数については、非常に大まかな初期推定値として、戦争の直接的影響(砲撃など)による死者が2万人、間接的影響(必須医療へのアクセス不足など)による死者が2万人となる。
最近開示された米国情報機関の見積もりでは、2023年中には戦争が終わらないと予想されている。核兵器使用の可能性を除けば(可能性は低いがゼロではない)、戦争は終結するまでに合計60万人の命を奪うことになるかもしれないのだ。
これは不気味で気の滅入るような数字と予測であるが、実は、半年以上前から、こうなることは指摘されていた。国防アナリストのウィリアム・ハートゥング氏は、昨年の10月時点で、こう警告していた。
ロシアの侵略から自衛するためにウクライナに援助を提供することは意味があるが、戦争を終結させる外交戦略を持たずにそうすることは、ウクライナの人道的苦痛を大幅に増大させ、米ロの直接対決にエスカレートする危険性のある、長く、過酷な紛争にしてしまうリスクがある。
日本のみならず欧米の指導者や識者が、ロシア・ウクライナ戦争をマニ教的な善悪の戦いという二元論で語ることは、健全で客観的な分析を妨げるだけでなく、我々の戦争への理解を一定の方向に誤導する重い代償を伴っていると言わざるを得ないだろう。
フランシス・ベーコンは、近代科学が花開こうとした約400年前に、「人間は真実であってほしいと思うことを信じてしまうものである」と喝破した。「真実であってほしいこと」と「真実になりそうなこと」は違う。これらを混同しないことが、戦争の予測をより正確なものにする第一歩になるはずだ。