緊急事態には「憲法に書いてあること」を100%守らなくていいのか?

今国会11回目となる憲法審査会は、憲法学者の京都大学大石眞名誉教授、早稲田大学大学院法務研究科長谷部恭男教授をお招きして、参議院の緊急集会について議論しました。

冒頭、お二人から意見を聴取した後、各党から質疑を行い、私からは、緊急事態における「緊急集会が濫用」のおそれについて、お二人の意見を伺いました。

「憲法に書いてあること」を緊急事態を理由にどれだけ柔軟に解釈できるかが争点の一つですが、私は、緊急事態だからと言って「憲法に書いてあること」を裁量で拡大することには慎重であるべきとの立場です。その意味で、長谷部先生が述べられた、緊急事態なら「憲法に書いてあること」は100%守らなくてもいいとする「緊急事態の法理」には違和感を覚えました。いずれにせよ、いただいた意見も踏まえて、緊急集会の役割や権限についてさらに議論を深めていきます。

大石参考人配付資料
長谷部参考人配付資料

玉木委員:国民民主党の玉木雄一郎です。両先生、今日はありがとうございます。私も、まず聞きたいのは、長谷部先生の「注釈日本国憲法」の693ページに、これは佐藤先生も指摘しているんですが、緊急集会の濫用の危険性です。余りにも解釈を広げ過ぎると濫用の危険性が出てくるというのは先生の本にも書かれてあります。

あと、例えば、これもここに書いていますが、内閣が対立する衆議院を解散して、本来は国会会期中に審議すべき案件を、参議院と連携して、要は結託して緊急集会で成立させるという、緊急集会を国会対策の技法として用いる危険性も「注釈日本国憲法」では指摘をされています。

まず、お二人に、先生にお伺いしたいのは、ずるずると解釈で緊急集会の権限を広げてしまうと、指摘される緊急集会の濫用が起こる可能性があると思うんですが、この点について、改めて両先生の御意見を伺いたいと思います。

大石参考人:お答えいたします。確かに、今先生がおっしゃったようなおそれがないわけではないと思います。しかし、問題は緊急集会の持ち方でして、関連のある事項も全部拾い上げていくという形でどんどん拡大していきますと、限りなく広がるおそれが十分にあると思います。

ただ、そこは、やはり、参議院なら参議院の議長の議事整理権と申しますか、そこできっちり歯止めを設けることができるわけですよね。ですから、いろいろな仕組みがある、その前提で成り立っている議事運営において、ある一点だけ突破されたからといって、全てが台なしになるという話には直接はならないと思います。

だから、大事な論点は、やはり非常に押さえておく必要がありますけれども、しかも、ついでに申しますと、先ほど、私、本予算までは無理だろうということを申し上げました。それは、現在の例でいえば、向こう4年間の特例公債発行法の成立とワンセットになっているわけです。そうすると、向こう4年間を拘束するような話が一体できるのかということで、やはりそこには限度があるだろうということを考えざるを得ません。

取りあえず、やはり、数字は一つの調整問題だと長谷部参考人はおっしゃいましたが、その数字が書いてあることの意味というのはやはり捨て難いわけでして、それを突破されたらどこまでが限度か分からないという状況なので、その点は、やはり、最大限の区切りというのは一応念頭に置いておくべきだろうというのが私の意見です。

長谷部参考人:御指摘の、土井真一教授の執筆部分ですが、693ページで土井教授が言いたいことは何なのかというと、確かに、おっしゃるように濫用の危険がある、濫用の危険があるので、実体的な要件とされている緊急の必要というのは、何でもかんでも緊急の必要だと内閣が言えばそうなるわけではないのだと。

例えば、臨時国会を召集する必要に対応する程度の必要であれば、これは緊急集会を求めることはできないのだというのがここで土井教授がおっしゃっていることです。ですから、濫用の危険があるからこそ、そこは厳密に考えていく必要がある、そういう結論にはなっております。

それから、40日、30日の日数の重みということを、いろいろ議論があるということになっておりますが、いろいろな人を引き合いに出して恐縮ですけれども、第3共和制の、フランスの20世紀の前半で活躍をしたモーリス・オーリウという極めて著名な公法学者がいまして、彼は、緊急事態の法理、そういうものを判例を素材として構築をした人として知られておりますが、彼の考え方ですと、こういう、規則が定められている、日数も含めて、そういったときは、平常時はこれを100%守らないといけない、きっちり。

しかし、非常時になれば、まずは生き延びることが大事なのである、生き延びるために必要な場合には、可能な限りで守る、そういうことしかあり得ないことは生じ得るのだということを言っておりまして、私は、この点に関しましては、モーリス・オーリウの言うとおりではないかというふうに考えております。

玉木委員:前回の憲法審査会で私申し上げたんですが、これは長谷部先生もおっしゃっていますが、憲法の規定は、やはり原則と準則、プリンシプルとルールがあって、例えば、長谷部先生も2004年1月のジュリストの記事で、一般的に法規範と言われるものの中には、ある問題に対する答えを一義的に定める準則と、答えを特定の方向へと導く力として働くにとどまる原理とがある、憲法の規定でいえば、参議院の任期を6年とする憲法46条は、準則に当たると考えるべきであろうとされています。

私も、やはり数字が入っているようなところ、特に統治機構の部分については、そのまま解釈するのが憲法の求めるところだと思います。

ただ、今先生がおっしゃったとおり、これは平時のルールなので、有事になったときには、他の法益とのバランスの中で、いわゆる準則とされるものも多少の、例えばさっきの40日、30日も幅が出てくるというお話だったと思うんですが、私はこれは逆に駄目だと思っていて、つまり、過去の歴史を考えると、緊急時になったときほどやはり正気を失いがちになる、あらゆる明文上規定されていることも自由に解釈して、まさに時の権力にそれが左右されてしまうということがあるので、事前に、明確に緊急事務を前提としたものを明文で規定しておくことが立憲主義には適切ではないか。

例えば、有事だからといって、6年が7年に延びたり、衆議院の4年が5年に延びたりすることは、さすがに私は憲法の予定している範囲を超えているのではないかなというふうに思います。

その上で、70日を超えて長期に、あるいは、本予算や条約の締結まではできないということなんですが、この「注釈日本国憲法」の694ページには、補正予算も駄目だというふうに書かれています、土井先生は。

つまり、内閣の経済政策をよりよくするようなものは緊急性がないということで、暫定予算はいいけれども、補正予算、本予算は駄目だという多分整理だと思います。私はそのとおりだと思うんですね。その上で言うと、やはりこの70日ということは厳格に守るべきであって、緊急集会もやはり最大70日ではないかと思います。

長谷部先生にお伺いしたいのは、準則のうち、厳格な解釈が求められる条文と、準則の中でも一定の解釈が許されるものがあるのかないのか。あるとしたら、その差を決める境目は何なのか、そして誰がそれを確定させるのか、そのことについての御意見を伺いたいと思います。

長谷部参考人:準則のうち解釈の余地のあるものとないものとを条文自体を見て見分けるということ、これは私は不可能だと思います。

準則につきまして、そういう解釈の余地が出てくるのは、やはり、通常時ではなくて非常時だから、あるいは緊急時だからという、そういう理屈立てになっております。

1970年代のイングランドのとても有名な判決でバッコーク判決というものがございますけれども、これは、当時のイギリスでは、制定法上は緊急車両は赤信号を通過しても構わないというのが定められていなかったんですが、それに対応して、ロンドン市の消防局が、消防車が火事の現場に急行しているときには赤信号を通過しても構わないのだという通達を出したところ、これの適法性が争われた、そういう事件ですが、イングランドの控訴審の判決では、要するに、今、赤信号である、ところが、目に見えるそこ、先に火事があって、上の階で助けを求めている人がいる、そういった場合に、赤信号だからといってここで止まるのか、そういうことを言っておりまして、そういった場合に、赤信号を通過する緊急車両というのは、罰せられるべきではなくて、むしろ褒めたたえられるべきではないか、そういうことを言っている、そういう判決でございます。

ですから、準則につきまして、一体どういう対応をするべきなのか。やはりそれは具体的な場面になってみないと確定的な結論は出ない、そういうことではないかというふうに考えております。

玉木委員:私は、緊急時を理由に準則を解釈に開いてしまうことが立憲主義の観点から危険だと思うので、平時の、落ち着いて物事を考えられるときに憲法上の議論をしておくべきだということで具体的な条文案を提案しております。先生方の今日の意見をしっかり踏まえて、今後、議論を深めていきたいと思います。

以上です。


編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2023年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。