「ウクライナのダム決壊」、そして「ジュネーヴ条約」と「黄河決壊」

6日、ウクライナのダムが決壊した。ロシア占領下にあるウクライナ南部ヘルソン州のドニエプル川に架かるカホフカ水力発電所の取水用のダムだ。例によって、ウクライナとロシアの双方が「相手がダムを破壊した」と非難し合っている

各国メディアも、「解説 ウクライナ南部のダム破壊、得するのは誰なのか」(7日のBBC)などと犯人捜しに興じている。が、昨年2月にロシアがウクライナ侵略を始めて以来、数多起こっているウクライナ民間施設への攻撃も、昨年9月のノルドストルムの爆破も、最近のモスクワへのドローン攻撃も、誰の仕業なのか確たることは藪の中だ。

カホフカダム決壊により洪水に見舞われるヘルソン市
ゼレンスキー大統領FBより

筆者は、ダムを決壊させたのが仮にロシアとすれば、それはジュネーヴ条約に違反する行為であるし、またウクライナの仕業とすれば、ちょうど85年前に蒋介石が黄河の堤防を切って決壊させ、多くの住民を苦難に陥れた重大犯罪を想起する。

本稿では、前者に係るジュネーヴ諸条約(とその追加議定書)の文言と、後者が引き起こされた当時の日中戦争の状況について考察する。

ジュネーヴ諸条約

外務省の「ジュネーヴ諸条約及び追加議定書」のサイトは次のような表を用いて解説している。

【ジュネーヴ諸条約の主な内容】

条約 条文数 保護対象 適用期間
第1条 64 軍隊構成員の傷病者、衛生要員、宗教要員、衛生施設、衛生用輸送手段等 条約の保護対象者が敵の権力内に陥ってから、送還が完全に完了するまで
第2条 63 軍隊構成員の傷病者、難船者、衛生要員、宗教要員、病院船等 海上で戦闘が行われている間(上陸した後は第1条約が適用される)
第3条 143 捕虜 敵の権力内に陥ってから、最終的に解放され、送還されるまで
第4条 159 紛争当事国又は占領国の権力下にある外国人等 紛争又は占領の開始時から、原則として軍事行動の全般的終了時まで

二つの追加議定書のうち第1追加議定書は、国際的な武力紛争について、上記ジュネーヴ諸条約(49年制定)の内容を補完・拡充し新たな規定を加えたもので、第二次大戦以降、民族解放戦争・ゲリラ戦の増大など武力紛争の形態が多様化し、軍事技術が発達した等の現代的状況に対応すべく、1977年に全102条が追加された。

第2追加議定書は、ジュネーヴ諸条約で1ヵ条だけだった非国際的な武力紛争についての規定を補完・拡充したもので、非国際的な武力紛争(内乱等)における犠牲者の保護等について規定し、第二次大戦以降のいわゆる内戦・内乱の増大という現代的状況に対応するため、1977年に作成した全28条を指す。

それぞれの締約国の数(19年7月末時点)は、

① ジュネーヴ諸条約:196
② 第1追加議定書:174
③ 第2追加議定書:168

ロシアは①を54年5月、②と③を89年9月にそれぞれ批准、ウクライナも①を54年8月、②と③を90年1月にそれぞれ批准した。ちなみに日本は①に53年4月、②と③に04年8月にそれぞれ加入している。

次に二つの追加議定書で「ダム、堤防、原子力発電所」への攻撃を具体的に禁止している文言を以下に引用する(太字は筆者)。

第1追加議定書
第四編 文民たる住民の保護
第一部 敵対行為の影響からの一般的保護
第三章 民用物

第五十六条 危険な力を内蔵する工作物及び施設の保護

1 危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標である場合であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない。これらの工作物又は施設の場所又は近傍に位置する他の軍事目標は、当該他の軍事目標に対する攻撃がこれらの工作物又は施設からの危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらす場合には、攻撃の対象としてはならない。

2 1に規定する攻撃からの特別の保護は、次の場合にのみ消滅する。

(a)ダム又は堤防については、これらが通常の機能以外の機能のために、かつ、軍事行動に対し常時の、 重要なかつ直接の支援を行うために利用されており、これらに対する攻撃がそのような支援を終了させるための唯一の実行可能な方法である場合

(b)原子力発電所については、これが軍事行動に対し常時の、重要なかつ直接の支援を行うために電力を供給しており、これに対する攻撃がそのような支援を終了させるための唯一の実行可能な方法である場合

(c)1に規定する工作物又は施設の場所又は近傍に位置する他の軍事目標については、これらが軍事行動に対し常時の、重要なかつ直接の支援を行うために利用されており、これらに対する攻撃がそのような 支援を終了させるための唯一の実行可能な方法である場合

3〜7(以下省略)

第2追加議定書
第四編 文民たる住民の保護
第十五条 危険な力を内蔵する工作物及び施設の保護

危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標 である場合であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間 に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない。

以上は、いわば「戦争の作法」とも言うべきもの。如何に戦争と言え何をしても良い訳ではなく、軍人ではない保護されるべき住民に「重大な損失をもたらす」ところの、「ダム、堤防、原子力発電所」への攻撃を、国際法を以て禁止するということだ。

黄河決壊

黄河決壊は38年6月9日に起きた。前年7月7日の盧溝橋事件、続く第二次上海事変を経て「12月13日に首都南京を占領した後も中国は屈伏する気配がなく、短期決戦の幻想は崩れて戦争はようやく泥沼的消耗戦の様相を呈して」(秦郁彦『日中戦争史』)から半年ほど経った頃のことだ。

4月7日、大本営は徐州作戦を発動、5月半ばには徐州包囲網を完成し、中支派遣軍が徐州に入城した(秦前掲書)。黄仁宇(※)は『マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』に、「徐州では李宗仁の命令で撤退が行われたが、武漢もまた防衛拠点が悉く失われることになり、38年10月25日には放棄された。この4日前には日本軍は既に広州にも入城していた」とし、「この時点をもって、抗日戦争前期は終結したと見ることができる」と述べる。※ 在米国の中国人歴史学者

黄は、公表されている蒋介石日記では黄河の堤防決壊には触れられていないとしつつ、6月8日に現地で取材していた米国の新聞記者ベルデンが「蒋介石自らが商震に電話をかけ、計画通り実行するように促していた」と報じたとしている。余談だが、蒋の遺族がスタンフォード大学に託した「日記」は、撮影やコピーが許されておらず、研究者は同大学に行って書き写すそうだ。

当時、黄河の水量は多くなく、堤防決壊後の氾濫水域における流速は毎時三キロメートルに過ぎず、推進も深いところで1メートルほどだった。しかし、四千の村や町が氾濫に飲み込まれ、二百万人の帰るべき家と洪水の過ぎ去った田畑の作物の悉くが失われた。黄河の流れは戦後三年経って初めて旧に復したと黄は言う。

航空研究センター防衛戦略研究室の工藤信弥3等空佐も、「日中戦争における蒋介石の戦略形成と重心移行」(2021年4月5日)と題する論文の中で、家近亮子の『蔣介石の外交戦略と日中戦争』を参考に次のように述べる。

(6月6日)日本軍の総攻撃を受けた開封が陥落した。この日本軍の侵攻に対して、蒋介石は、6月9日に日本軍の足止めのために鄭県花園口堤防(開封の東側)を破壊し、黄河を決壊させた。これによって引き起こされた洪水は、河南、安徽、江蘇省の3000平方キロメートルを冠水させ、数十万人の住民が溺死した。これにより、日本軍の進軍路は泥沼化し、隴海鉄道沿いに西進してきた日本軍の車両、戦車、 重火器類は立ち往生することとなった

前記2書にない記述が『蒋介石秘録12 全面戦争』(サンケイ新聞社)にあり、6月4日から3昼夜かけた趙口での堤防切り崩しに失敗し、7日夜から花園口に移して9日朝9時に漸く成功したこと、この洪水によって日本軍の武漢進出を半年間食い止めることができたこと、が書かれている。蒋が前年の南京でも採った中国古来の「堅壁清野」作戦だ。

「台湾愛好会」を二人で作っている友人は「三峡ダムの攻撃が台湾の命綱」が口癖だ。筆者が「そこに至る秋には、向こうが先に国際法を破っているから国連憲章51条に基づく自衛権発動」だし、「必要性と均衡性の要件も満たしているよ」と呼応して、また一献となる。

ジュネーヴ諸条約追加議定書は「ダム・堤防」と「原発」を並記していて、ウクライナのダム決壊でもロシアの占領下にあるザポリージャ原発への影響が懸念されている。

原発への攻撃と言えば、筆者は立憲民主党の重鎮二人の発言を思い出す。一人は昨年12月の安保三文書決定後、東京新聞のインタビューで次のように述べた辻元議員。

岸田政権が決めた敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有は、軍拡競争を招くリスクがある。本当に抑止力になるのかも疑問だ。日本は狭い国土に多くの原発がある。「反撃」をしても、相手から原発を一斉に狙われたら終わり。ミサイルを全部撃ち落とすことはできない。そんな安全保障上の弱点である原発なのに、政府は新増設したり運転期間を延長したりしようとしている。矛盾した政策であり、本当に日本を守ろうとしているのだろうか。

もう一人はその4ヵ月前に以下のツイートしていた枝野議員だ。

日本を責めるのに核弾頭は必要ありません。日本の原発は、テロ対策こそ強化の方向にありますが、原発を冷やすための水や電力の確保という点まで考えると、通常弾頭のミサイル攻撃によっても、甚大な被害を受けます。原発を維持・増設しようと言う人は、軍事的リアリズムを欠いています。

縷説したジュネーヴ諸条約や追加議定書を、よもやお二方がご存じないとは思わない。が、最大野党の幹部なら「国際法で禁止されている原発への攻撃には断固反対だが」と、一言添えてもらいたい。

ジュネーヴ諸条約の追加議定書には、「ワグネル」で一躍有名になった「傭兵」についても、「傭兵は、戦闘員である権利又は捕虜となる権利を有しない」などと第四十七条にある。この辺りには昨年3月に本欄で触れた。