「一体」感と「安心」感:再び、投資詐欺を考える

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数日前のお昼ごろ、職場近くの路上で消費者詐欺を専門とする知り合いの弁護士とバッタリ遭って少し話し込んだ。その日の夜、とある言論関係の集会で消費者詐欺を専門とするジャーナリストと知り合った。同じ日に2度、詐欺的ビジネスを考えるきっかけがあったので、備忘録も兼ねて少し触れてみたいと思う。

この論考の二つ前に「投資詐欺について:調子のいい話にはご用心」という小論を書いたが、その中で投資詐欺の勧誘で演出、醸成される感覚として、「勝ち組」感、「専門」感、「特別」感、「先行」感、そして「高揚」感を挙げたが、2つ付け加えておきたい。それは「一体」感と「安心」感である。

「一体」感。相手を籠絡するためには関係者で囲んで圧をかけて根負けさせることが有効な場合もあるが、投資勧誘でそんなことをやったら怖くなって逃げられてしまう。下手をすると警察に駆け込まれてしまうかも知れない。昔の不良漫画に出てくる「パー券」の捌きでもあるまいし、暴走族での上下関係のようなものがある訳ではない。

だから、主催者は仲間意識を植え付けようとする。「勝ち組へようこそ」のような空気を作る。「勝ち組」は一部なのだから、仲間がたくさんいると矛盾するのだが、そこは「専門」感、「特別」感、「先行」感で煙に巻き、「高揚」感で麻痺させる。

「安心感」。仲間がいるという感覚は、安心感を与える。少なくない財産を預ける以上、不安があるのは当然だが、その集団の中では自分も他人も被害者と思っていないし、思われてもいない「実際の被害者」が多数いるならば、自分も安心という感覚を持つ。共同体意識といってもよいかも知れない。

みんなが同じ方向を向いていれば、その誤りに気付かないし、気付くきっかけもない。そんなことに気付く性格ならば、そもそも誘いに乗って集会に行ったりしない。厄介なのは、その共同体意識が学校、職場、サークル(先輩・後輩、同級生、同僚)といった既にできあがっているコミュニティー(ネットワーク)が入り口になっている場合である。その場合、陥穽に落ち込むスピードが速くなる。一度穴に落ちた人々はそこで仲間となり相互に疑うことはない。

人間は自分の過去の選択を否定するのが苦手である。できる限り、誤りでないと思える理由を探そうとする。それが解決を遅くする。投資詐欺集団のうまいところは、そういう陥穽に落ち込むスピードを速くし、そこから抜け出すスピードを遅くする仕掛け作りに長けているということだ。被害者には実際上、やめておくという選択肢はあった。しかし、その選択肢を考えさせないところが詐欺のテクニックだ。なんだかカルト系に似ていると思うのは私だけだろうか。

そういった詐欺の背景には「簡単に儲けたい」という人々の下心がある。なければこういった集団はお手上げである。その下心を巧みに突いてくる。いわゆる「ロマンス詐欺」も似たようなものがある。ターゲットはお金儲けではなく恋心であるが。そして死や病気に対する極度の不安、あるいは職場や家族における人間関係の悩みという人々のマイナスの心理にもスッとこういった集団は入り込んでくる。

「詐欺まがい」のビジネスを展開する業者は少なくないだろうが、ただ法令上の問題にするためのハードルは必ずしも低くはない。

知恵の回る集団は、儲ける知恵だけではなく、逃げる知恵にも長けているからである。だから「〇〇詐欺」として、メディアを通じて私たちの前に現れるのはそのごく一部に止まる。仮に立件されたとしても、登録違反とか、手続違反といった小さなケースで終わることも少なくない。景品表示法などはもっと機能させる必要があるだろう。もちろん、自分の身は自分で守る、これが大原則だが。