「衆院解散は首相の専権」には憲法上疑義、「解散風」煽る岸田首相は“歪んだ民主主義”の象徴

記者会見する岸田首相
首相官邸HPより

今通常国会は、6月21日、会期末を迎えた。

国の最高権力者である内閣総理大臣が、国権の最高機関である国会の衆議院議員全員の地位を失わせる「衆議院解散」が、いつ、どのような理由で行われるのか、というのは国のガバナンスの根幹にかかわる問題だ。

その衆議院解散をめぐって大きく揺れたのが今国会最終盤だった。そこでは、岸田首相自身が、解散を考えていることを仄めかして「解散風」を煽る場面もあった。そこには、「三権分立」という憲法の基本原則、そして、衆議院解散に関する憲法の規定との関係で、重大な疑問がある。

「解散風」を煽り、2日後に「否定」した岸田首相

6月15日、官邸での「ぶら下がり会見」で、岸田文雄首相は、野党が内閣不信任案を出した場合の対応を問われ、

「立憲民主党が内閣不信任案を出すというのであれば、内閣の基本姿勢に照らして即刻否決するよう、先ほど茂木幹事長に指示を出しました」

と述べ、それに続いて、

「今国会での解散は考えておりません」

と、解散を行わないことを明言した。

その前々日の6月13日、野党が内閣不信任案を提出した場合に、それが「解散の大義」となり、即刻解散することもできるとの自民党内の声で「解散風」が高まり、野党の内閣不信任案提出に注目が集まる中、岸田首相は、官邸での「ぶら下がり会見」で、今国会での解散について質問されたのに対して、

「様々な動きが出てくることが見込まれるため、情勢をよく見極めたい」

などと、いかにも野党の出方次第で解散もあり得るような言い方をして「薄ら笑い」を浮かべ、首相自らが「解散風」を煽った。

その2日後、一転して今国会での解散を完全否定する際に、「内閣不信任案が出たらただちに否決するよう指示した」と発言したものだった。

首相官邸での「内閣総理大臣」としての発言である。「国会で内閣不信任案が提出した場合に、否決するよう指示した」というのは全く理解し難い。

憲法は、議院内閣制を定めている。行政のトップの内閣総理大臣は、国会議員の中から選ばれる。総理大臣が閣僚を指名して内閣が成立する。内閣は、国会の信任によって成り立っており、その信任を否定する「内閣不信任案」が提出された場合には、国会で審議し、その賛否の議決が行われ、もし、不信任案が可決されれば、内閣は総辞職するか、衆議院を解散するか、という選択を迫られることになる。

内閣不信任案の議決は、三権の一翼を担う「国会」が行うものであって、同様に、三権の一翼を担う「内閣」、その長の内閣総理大臣は、国会での内閣の不信任案の審議と議決を見守り、その結果を厳粛に受け止める立場だ。

岸田内閣総理大臣は、与党自民党の総裁でもある。自民党総裁の立場で、党所属議員に内閣不信任案に対して否決の方針で臨むよう指示することは、あり得ないではない。

しかし、冒頭の発言は、岸田首相が、首相官邸で、内閣総理大臣の立場で行ったものだ。内閣の長として、内閣不信任案を「否決」するよう自民党幹事長に指示する、というのは、憲法の大原則である「三権分立」を無視するものだ。

安倍氏「立法府の長」発言との共通性

安倍晋三氏が首相の時代に、衆議院予算委員会で、

「議会については、私は立法府の長であります」

と答弁し、野党から、その趣旨について政府に質問主意書が提出されたこともあった。この時は、「内閣の長」を「立法府の長」と言い間違えた、というのが政府答弁書での説明だった。

国会で与党が圧倒的多数を占める「安倍一強体制」の下で、内閣と国会とが実質的に一体化していた状況だからこその「言い間違え」であった。

安倍氏と岸田首相の発言に共通するのは、国会と並び三権の一翼を担う内閣の長である「内閣総理大臣」としての地位と、与党の長としての「自民党総裁」との地位が、頭の中で区別されていないことだ。

内閣総理大臣の地位は、国会の「信任」によって成り立っているものであり、それが国会で正面から問われる場が、内閣不信任案の議決の場面だ。一方、「自民党総裁」の地位は、党所属国会議員と党員によって行われる総裁選挙で、多数の支持を得て選任されることによるものであり、党所属の国会議員と党員の「支持」によって成立している。

この「信任」と「支持」が頭の中で渾然一体となって、国政全般にわたって「全権を握っている」かのような認識であることが、安倍氏と岸田首相の発言に表れている。

「法令遵守と多数決による単純化」

その背景には、私の新著【「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの】で主題にした、「『法令遵守』と『多数決』の組合せですべてが解決する」という、世の中の「単純化」がある。

国会では与党が絶対的多数を占め、一方で、与党内では、小選挙区制の下で公認権を持つ党執行部が絶対的権力を持つ、という国会と与党内での双方の「一強体制」は、自民党内でも、政府内部でも、安倍首相と側近政治家や官邸官僚には逆らえず、その意向を忖度せざるを得ない状況をもたらした。

こうした中で、安倍政権側、支持者側で顕著となったのが、

「法令に反していない限り、何も問題ない」

「批判するなら、どこに法令違反があるのかを言ってみろ。それができないないなら、黙っていろ」

という姿勢であった。その「法令」は、選挙で多数を占めた政党であれば、どのようにも作れるし、変えることもできる。閣議決定で解釈を変更することもできる。憲法違反だと指摘されれば、内閣法制局長官を、都合のよい人間に交代させればよい。

このようにして、多数決で選ばれた政治家が「法令」を支配し、そこに「法令遵守」が絶対という考え方が組み合わさると、すべての物事を、「問題ない」と言い切ることができる。「法令遵守」と「多数決」だけですべて押し通すことができるということになる。

そのような状況をもたらした大きな要因が、「解散権は首相の専権」という理解を背景に、政権にとって最も都合のよい時期に「大義のない解散」が行われ、国民の関心が盛り上がらない「低投票率選挙」が繰り返されてきたことだ。それが、「安倍一強体制」を一層盤石なものにすることにつながった。

岸田首相が「情勢をよく見極めたい」などと言って「薄ら笑い」を浮かべて「解散風」を煽り、それを自ら否定したのも、安倍氏と同様に、いつでも、自分の思うままに「首相の解散権」を行使できるという認識を前提にしている。

しかし、憲法の規定上は、決して、首相に無制約の解散権を与えているのではない。「衆議院解散は首相の専権」という考え方に重大な誤謬がある。

憲法上の内閣の解散権の根拠

内閣による衆議院の解散が、憲法69条により衆議院で内閣不信任案が可決された場合に限られるのか、それ以外の場合でも認められるのかは、古くから、憲法上の論点とされてきた。

憲法の規定を素直に読めば、憲法45条が衆議院の任期は4年と定めており、69条がその例外としての内閣不信任案可決に対抗する衆議院解散を認めているのだから、解散は69条の場合に限定されるということになるはずだ。

憲法草案に携わったGHQも、衆議院解散を69条所定の場合に限定する解釈を採っていたようで、現行憲法下での最初の衆議院解散となった1948年のいわゆる「馴れ合い解散」は、野党が内閣不信任案を提出して形式的にそれを衆議院で可決し、「69条所定の事由による解散」とする方法が採られた。

ところが、1952年の第2回目の衆議院解散は、69条によらず天皇の国事行為を定めた7条によって行われた。

その解散で議席を失った苫米地義三議員が、解散が違憲であると主張して議員の歳費を請求する訴訟を起こしたのに対して、東京高裁が69条によらない7条による衆議院解散を合憲と認め、最高裁判所は、いわゆる「統治行為論」を採用し、

高度に政治性のある国家行為については法律上の判断が可能であっても裁判所の審査権の外にあり、その判断は政治部門や国民の判断に委ねられる

として、違憲審査をせずに上告を棄却したこともあり、その後、69条によらない7条による衆議院解散が慣例化した。

諸外国での議会解散権

しかし、内閣には議会の解散権が無条件に認められるという日本の現状は、国際的に見ると異例である。先進諸外国でも、内閣に無制約の解散権を認めている国はほとんどない。

米国のような大統領制の場合、議会の解散権はないのが一般だ。日本でも、二元代表制の地方自治体では、首長が議会を解散できるのは不信任案が可決された場合だけだ。

日本と同じ議院内閣制のドイツでも、内閣による解散は、議会で不信任案が可決された場合に限られている。法制度上は内閣に自由な解散権が認められているイギリスにおいても、政権与党に有利なタイミングでの解散への批判が高まり、2011年に首相による解散権の行使を封じる「議会任期固定法」が成立した。

英国のEU離脱の是非をめぐって国会の機能を妨げたなどの理由で同法は廃止され、首相の解散権は復活したが、そのような経緯からしても、解散権を無制約に行使できるわけではない。

理由なき解散は「内閣の解散権の逸脱」

もともと、議院内閣制の下では、内閣は議会の信任によって存立しているのであり、議会の解散は、その信任が失われた場合の内閣の側の対抗手段だ。自らの信任の根拠である議会を、内閣不信任の意思を表明していないのに解散させるのは、自らの存在基盤を失わせる行為に等しい。

予算案や外交・防衛上重要な法案が否決された場合のように、実質的に議院による内閣不信任と同様の事態が生じた場合であればともかく、それ以外の場合にも無制限に解散を認めることは、内閣と議会との対立の解消の方法としての議会解散権の目的を逸脱している。

現行憲法が、衆議院議員の任期を原則として4年と定め(45条)、例外としての衆議院解散を、条文上は内閣不信任案が可決された69条の場合に限定しているのも、議会の解散を、基本的に、内閣に対する国会の信任に関する手段と位置づけ、内閣が、自らを信任している議会を解散することを原則として認めない趣旨と解するべきだ。

69条の場合以外に、憲法7条に基づく衆議院解散が認められるとすれば、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、政府・与党が基本政策を根本的に変更しようとする場合など、民意を問う特別の必要がある場合であり、内閣による無制限の解散が認められると解するべきではない。

議会の信任を得ている内閣が、政権基盤の安定強化のために、民意を問うべき重大な政治上の争点もないのに衆議院を解散することは、衆議院議員の任期を定める憲法45条及びその例外として衆議院の解散を認める憲法69条の趣旨に実質的に反すると言うべきであろう。

「衆議院解散」と民主主義の関係

安倍氏は、衆議院解散をその政権基盤の強化のために最大限活用し、それによって首相在任期間は史上最長となった。国政上の重大な争点もないのに与党に有利と判断される時期に衆議院解散総選挙が行われれば、選挙への関心は高まらず、従来から50%余にとどまっている投票率をさらに低下させることになる。それによって、選挙結果は国民全体の意思から一層乖離したものとなり、民主主義の機能を一層低下させることにつながる。

岸田首相は、直近の衆院選からの任期の折り返しにも至らない時期に、解散を考えているかのような発言をした後に、「三権分立」をも無視するかのような言い方で今国会での解散を否定した。それは、「解散権は首相の専権」との思い込みが極端に表れたものだ。

首相公邸忘年会問題、マイナンバーカードをめぐる問題などで、内閣支持率が急落し、国民の支持を失いつつある岸田政権が、唯一頼るのが、憲法上も疑問がある「首相の無制限の衆議院解散権」だというのが、日本の「歪んだ民主主義」を象徴するものだ。

今国会での衆議院解散は断念した岸田首相だが、自民党総裁選挙での再選を狙うための戦略として、今秋以降に解散に踏み切る可能性があると言われている。

もし、そのような解散が行われた場合には、岸田首相が、「解散風」を煽る際に見せた「薄ら笑い」を思い出し、その解散総選挙に意味を、しっかり考えて投票に臨まなくてはならない。