失われた30年が40年になる

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日本がアジアの後進国になる道を歩んでいる

結論から先に言えば、現状の日本の政治体制では自民党が政権を担う限り「失われた30年」は容易に「失われた40年」になるであろうということだ。

失われた30年というのはバブルが崩壊した1991年頃から現在までとしている。これまで日本の繁栄に必要な抜本的な改革をして来なかった自民党政権がこのまま政権を担い続けると2041年頃までに日本が再生する可能性はほぼゼロに等しい。それは日本がさらに貧困化するということだ。そして気がついた時には、日本はアジアで後進国になっているということだ。

その前例は南米のアルゼンチンに見ることができる。20世紀初頭には世界のリーダー国の一つであった国が現在ハイパーインフレと巨額の負債を抱えた国になっている。昨年のアルゼンチンのGDPは世界26位。国民の半数近くが貧困層にある。アルゼンチンがそこまで退廃した一番の理由は政治の悪さである。

その意味でも、日本国民は日本の将来のことをもっと真剣に考えて欲しい。

デジタル化では後進国の日本

現在、デジタル化が世界経済の中で主要な地位を築き上げている。ところが、日本はその流れに乗れないままになっている。デジタル化という面において、日本はアジアでも韓国、中国、台湾から引き離された状態にある。

これは直接の比較対象にはならないが、日本の企業のホームページには今もファックス番号は記載されているが、メールアドレスを記載していない企業が多くある。それが観光産業でのホテルでもよく見られる。ファックスは過去の機器でしかない。それを今も企業で保管しているということ自体が、デジタルへの取り組みに日本が如何に関心が薄いかということを如実に示しているように思える。

デジタル産業が産声を上げたのが1990年代である。1995年にアマゾンがサービスを開始した。1997年にはGoogleがまず最初に英語での検索が可能になった。楽天市場もサービスが開始された。1999年にはNTTドコモがiモードのサービスを開始。

2004年からFacebookがサービス開始。2006年にはtwitterが登場。そしてネットショッピングの消費者人口が急増。

このような経過を辿ってスタートアップ企業(革新的なアイディアで短期間に急成長する企業)が誕生するようになった。その背後にはデジタルを駆使してトランスフォーメーション(DX)したものが育ち、それが市民の生活向上に貢献するようになったからである。このような発展過程が日本の企業には殆ど見られない。

デジタル化が市場で誕生し形成されて行った1990年から2010年までの間に日本は首相が14人登場している。20年の間にこれだけの首相が交代したのでは国の成長に関わる重要な政策を立案し具現化して行くのは無理である。しかも、日本の政治は官僚主義で、新しい取り組みには行動が遅く積極性に欠ける傾向がある。

GDPも長年実質成長していない日本

一方、GDPについて見ると、今年3月27日付の「平和研究所」のレポートによると、1991年から2021年までの30年間の平均経済成長率は0.7%という低さである。また、同期間で日本は1.5倍の成長しか見ないのに、韓国は6倍、中国は37倍の成長を見せた。欧米でも2-3倍の成長を達成していると指摘している。

この低い成長率を修正すべく政府は構造改革政策と称するものを実施した。その狙いは企業が利益を上げるための改革である。その中で目立った策が労働の規制緩和であった。企業の人件費の節約を容易にさせる策であった。その結果、企業は儲かるようになった。しかし、その影響で正規雇用者の減少である。更に賃金も低下した。

その後3本の矢で有名になったアベノミックスが登場するのである。即ち、これは民間金融機関に大量の資金を供給して企業が投資を積極的に行い景気を刺激して行くというのが1本目の矢。そして公共事業の拡大が2本目の矢。この結果を踏まえて成長戦略を構築して行くというのが3本目の矢であった。

ところが、現実には安倍政権の年間の平均成長率は0.9%でしかなかった。安倍氏が明言した年率2%には到底及んでいない。しかも、その間の一人当たりの賃金の上昇はほぼ見られなかった。金融緩和と低金利による円安が続いた。それで企業は利益を上げ2021年の企業の内部留保は516兆円にまで到達した。これは日本の年間のGDPに相当する額である。

ところが、企業はそれを賃金上昇には充てていない。だから、輸入に頼るエネルギーや生活必需品などの値上げで国民は逆に苦しい生活を余儀なくさせられた。

そして大量の金融緩和で国債の発行が増え、もう返済できないだけの負債額に到達した。アベノミクスは失敗した経済政策の一例である。にも拘らず、今も自民党が政権を担っている。日本以外の国であれば政権は他党に移っていたはずである。

長年如何なる成果もあげていない自民党が今も政権を担っている不思議

不思議なのは、それでも自民党の政権が今も続いているということである。それもや無負えない。何しろ、政権を任せられる野党が皆無であるから仕方がない。

政治に関して言われていることに「全ての国民はその水準にあった政府を持つ」と。即ち、現在のレベルの低い政治も国民にその責任があるということになる。

一つの政党が長期政権を維持していることは国の成長の為にはマイナスである。その良い前例はどこにもない。自民党が野党に回ったこともあるが、それは一期だけしかない。2期や3期野党で居続けていれば、自民党の体質にも変化が見られたであろう。しかし、1期だけ野党を勤めただけでは自民党の体質は変わらない。

だから、政府はデジタル庁を設けて改革に乗り出してはいるが、何事にも実行力に乏しい自民党政権ではこれから「失われた40年」に到達する可能性は非常に高い。この機会が日本に残された再生の最後のチャンスである。それを逃せば日本の再生はもうないであろう。