不正は悪魔のささやき、ビッグモーターが犯した日本的問題

中古車販売大手、というより販売から修理まで一貫した自動車関連垂直型サービスを展開し、従業員6000人、店舗数300,売り上げ7000億円の非上場企業、ビッグモーターが不正修理にかかる水増し保険請求をしていたとして国交省が事実関係の調査に乗り出すことになりました。

中古車販売会社のビッグモーター NHKより

同社は兼重宏行氏が創業者で一代でここまで大きくしたという点では立身出世であったわけですが、晩節を汚すということなのでしょうか?

ビッグモーターは関西地方が中心なので私は存じ上げませんでした。調べる限り、現在の経営の主導権は息子で35歳である宏一氏が数年前から握っているように見えます。息子の方が利益至上主義が強いとされますが、父親の時代である2016年頃も保険契約のノルマなる問題があり、店長間で競わせ、成績が悪い者が成績の良い者に金を払うという慣行があったとされます。

この背景から保険とノルマという2つのキーワードが拾えます。父親はたたき上げの自動車修理工ですから職人気質が強く、息子もそれに準じているのでしょうか?勉学は嫌いで体育会系の叱咤激励で業績を伸ばす、ということでしょう。その昔は自動車整備工は大卒ではなく、高卒や高専の方が多かったはずで理論で物事を教えるよりしかり飛ばし、厳しい目標で飴とムチにした方が業績に響きやすかったのかもしれません。これは私の想像です。

このビッグモーターの行方については今後の国交省の調査とその判断、更に過剰請求した保険会社との精算業務ないし、訴訟、一部の顧客からのクレーム処理、その間に既存のビジネスの評判の低迷、更には非上場であることで財務的バックグランドが弱く、金融機関等からの資金引き出し能力も限界があるでしょうからどう収拾させるのか、いばらの道であるとみています。

自動車保険にまつわる話は実はここバンクーバーでもありました。当地の自動車保険は州政府が支配する半官半民の保険会社が1社あるだけです。つまり、自動車保険については選択肢がありません。逆に事故があった時、保険会社同士のもめごとが無いのでさっさと判断が下されるというメリットはあります。私がレンタカー屋をやっていた時や廻りの人たちの話を含め、事務処理はスムーズです。

一方、例えば軽微な自損や車上狙いでガラスを割られたという場合、やや不思議なケースが存在していました。それは自動車整備工場に持ち込むと「保険で直しますか?」と問われるのです。ハイ、といえば見積もりは〇ドル、保険は使いません、というとぐっと安い△ドルになります。

保険を使う場合、整備工場は相当膨らませて保険会社に修理代を請求していたと思います。10数年前、私のレクサスのガラスが車上狙いで割られた際、修理費はたしか保険を使って35万円ぐらいだったと思います。ガラス一枚でこの値段、とびっくりしましたが、修理工はガラスがあらゆるところに飛び散っているので細部まで丁寧にやりました、と。実態は分かりません。

この保険会社の経営不振が州で大問題になり今の州の首相が法務長官だった際、構造的転換をして保険料が半額近くに下がる大変身を遂げています。

さて、日本は不正天国である点は昔からずっと変わっていないと思います。コーポレートガバナンスというのは会社の壁の隅に額縁に飾ってある標語のようなもので誰もがその存在を知っているけれど実態は「やってられん!」と見て見ぬふりなわけです。そりゃそうです。何千人、何万人がヒエラルキーというピラミッドの枠組みで働く中でプレッシャーなく、業務をしている人はまずいないでしょう。

それは北米的な個々に与えられているタスクと責任に対する報酬の支払いというより、上司や仲間との共存関係の中で技術より人間関係を重視する小社会が形成されやすい職場環境があるからです。特に同社の場合、自動車販売/修理事業ですから現場至上主義が徹底していたと思われます。

私が稲盛和夫氏のアメーバを昔からあまり評価しないのはアメーバ経営方式は長短が出やすく、悪い方に出ると一気に悪性のがんに侵されたようになりかねないリスクがあるからです。アメーバ内の秘密は墓場まで持っていく、といったいわゆるパンドラの箱となる話は時たま、小説やドラマにも出てきます。

つまり、不正慣行は日本的経営においてどうしても避けられない状況にあるのが現状でしょう。よってビッグモーター社が犯した今回の問題は極めて日本的であるし、氷山の一角がまた一つ、ということです。一般人が気に留めるなら「社長は謝罪記者会見を行うのか?」ぐらいではないかと思います。社会からの風圧が今程度ならやらない気もします。この会社にガバナンスなどないので、とりあえず、報酬を減額する発表をしておけ、ぐらいだと思います。

今回の事件はある意味、誰も傷ついていません。問題は過剰請求だけなのです。そういう意味では世間はこの問題をそのうち忘れるかもしれません。毎月のようにどこかの会社や組織のトップが頭を下げ、フラッシュが光るあのシーンは今や、当事者以外誰も何も思わない日本経営の風物詩でしかないのです。

ただ、経営者の世代が若返り、情報化社会の中で生きていく中で経営をそんな甘いものと思っていたら必ずしっぺ返しはあるでしょう。日本的経営は良いところも沢山ありますが、こういう慣行をどう改善するか、これはなかなか骨が折れる問題だと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月19日の記事より転載させていただきました。