永守重信氏は過去の人物か、まだモーターを回すのか?

永守重信、旧日本電産(現ニデック)の会長兼CEO。多分、私にとって現役経営者の中では様々な意味でもっとも刺激を与え続けてくれた経営者です。何がそこまで気になるのか、といえば孫正義氏のような豊臣秀吉型ではなく、柳井正氏のような家康タイプでもない、まさに信長系の剛腕な感じに経営者としての刺激を求めたのかもしれません。(三英傑の比喩は個人的な感性なのであしからず。)

永守重信・ニデック会長兼CEO(同社HPから)

私が会社員であれば永守氏には決して注目はしなかったと思います。が、経営者は孤独なのです。相談する相手もいないのです。異業種交流や同じ経営者仲間もいますが、その人たちに悩み相談はしないし、できません。会社の恥部をさらすわけにもいかないし、それ以上に突然そんな相談をしても背景やそこに至る前後関係を理解してもらうのはたやすくないのです。だから、結局一人で戦わねばならないのです。その点、永守氏はずっと一人で戦っています。

私は氏を全面的に素晴らしいとは思いません。違うな、と思うこともしばしばあるのですが、それは逆に氏の経営や生き様を外から20年以上、興味深く見続けたから感じる「思い」なのかもしれません。

ところで小さい時に「こんなのがあったらよい」という夢を皆さん、覚えていますか?私は小学生の頃から明白に、そしてかなり長い間、いや、今でもそう思っていることがあります。それは軽自動車のような小さな乗り物が道路に張り巡らせた線路上を中央制御で走り回り、各家や目的地には引き込み線があってそこに自動運転で勝手に連れて行ってくれるというものです。道路に張り巡らされる線路は複線や複々線で長距離を行く自動車は一番内側の線路を走る、というものです。

なぜ、こんな空想を描いたのか、いうと長年私は交通渋滞がひどい準幹線道路に面したところに住んでいて排気ガスが家に入り込むような環境でした。そこで「渋滞をなくす」「運転の手間暇をなくす」という未来の交通システムがあればよいと夢を描いたのです。

たまたま読んだ日経の永守氏インタビュー記事にこんなくだりがあります。「小さい頃から『こんな便利なものがあればいいな』と夢想するのが好きだった。冬の洗濯であかぎれした母親の手をみて、つらい仕事だなと思っていたら、洗濯機が出てきた」とあります。夢を見る、そしてこんなのがあればいい、と思うきっかけは幼少期だからこそ得られる感性であり、その気持ちをどれだけ維持できるかが重要だと思うのです。

先日、採用面接をしていたら「幼少期から海外で看護師になるのが夢だった」という方と出会いました。夢を追って日本で看護師になって、その間必死に英語の勉強をして親に「カナダで看護師になりたい」「頑張ってきなさい」と言われて一大決心して当地までやってきたその彼女は当地で看護師になるための非常に明白なプランを私たちに提示してくれました。夢を実現させるべく着実に階段を昇るために必死に努力しているのです。嬉しかったです、こういう方に出会えて。

永守氏はモーターが世の中から消えることはない、と自身の半生を描いた著書で述べています。その確信は恐ろしいほど当たっており、モーターだらけの世界に代わってきています。つまり氏の先見性は極めて正しいものだったのです。永守氏の活躍の第一期はモーターに賭ける男だったと思います。

そして第二期となる経営者として、組織を牛耳る男としては社員さんは良くついて行っていると思います。一部のトップ候補者は脱落しました。相当厳しい社風だと理解していますが、そうしないと生き残れないというインプットを永守さんから頂いているわけです。「常時危機感」とも言えるでしょう。

今回、TAKISAWA(旧滝沢製作所)を敵対的買収すると発表しました。同社の経営陣は嫌がっているわけです。何故か、といえば多分ですが、永守流の厳しい社風には合わない、と思っているからでしょう。いや、経営陣が水と油の関係では一緒になれないと思っているのです。しかし、織田信長風永守重信は斬りにかかるわけです。「甘えるな」と。それは本来もっと能力があるのに出し切っていない怠慢な体質を変えるのだ、という挑戦であります。

うちの会社をそう簡単に変えられるわけがない、と思っていても実際永守氏は百戦錬磨でほとんど失敗していません。JALの経営再建で稲盛和夫氏が同社の魂をすっかり入れ替えたのと同じなのです。できないことはないのです。

永守氏は死ぬまでモーターを回し続けるのでしょう。そしてトレードマークの緑のネクタイをし続ける氏をみると私もまだ20年は頑張れるな、と勇気とエネルギーをもらうのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月23日の記事より転載させていただきました。