IPCCは1.5℃目標と「2050年排出ゼロ」を卒業する

国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の新しい議長に、イギリスのジム・スキー氏が選ばれた。彼はシュピーゲル誌のインタビューにこう答えた。

 1.5℃目標が実現できなくても世界は終わらない。

「2050年カーボンニュートラル」は不可能な目標

気温上昇を工業化以後1.5℃上昇に抑えるという目標が実現できなくても、人類が滅亡するわけではない。この目標は「2050年カーボンニュートラル」(排出ゼロ)と同等なので、これはIPCCが排出ゼロを卒業することを意味する。

それは当たり前だ。IPCCが第6次評価報告書(AR6)で書いているように、現在すでに1850年から1.1℃上昇しており、これをあと0.4℃上昇で永久に止めるには、世界中の火力発電所の運転を止め、自動車を禁止するしかない。これは科学の問題ではなく、経済問題なのだ。

ではどの程度で止めればいいのだろうか。これについて8月1日に「気候変動の総費用」という論文が発表された。これは日本の国立環境研究所などの(IPCC著者を含む)研究者の共著で、IPCCに欠けていた気候変動対策の費用対効果を評価するものだ。

それによると脱炭素化で2℃目標を実現する費用は45兆~130兆ドルだが、その便益は23兆~145兆ドル。費用と効果はおおむね見合うというが、この計算には疑問がある。

図1はこの論文で温暖化の被害を(a)農作物などの経済損失、(b)健康被害、(c)生物多様性にわけ、それを2℃目標のコストと比較したものだ。場合わけが多くてわかりにくいが、SSP2のRCP4.5が標準的なケースである。

図1 温暖化の被害と対策費用(国立環境研)

温暖化のメリットを見ない「確証バイアス」

これを見ると、健康被害のうち熱射病などの温暖化による超過死亡や暑さの健康被害が(生物多様性を除く)被害のほとんどを占めている。その根拠は国立環境研究所などのシミュレーションだが、これは温暖化で増える死者だけの計算で、寒冷化の死者を計算していない。

これは「気候変動の総費用」の計算としてはミスリーディングである。凍死の死亡率は、熱射病の10倍ぐらい大きい。Lancet論文では、2000~2019年に温暖死者が0.21%増えたが、寒冷死者が0.51%減った。超過死亡率は差し引き0.3%のマイナスだったのだ。


図2 世界の寒冷死と熱射病死(Lancet)

ところがIPCCは、この数字を無視している。Lancet論文は第2作業部会の「温度関連の死者」(16.2.3.5)というセクションで1回だけ引用しているが、その内容に言及せず、「寒さに起因する死亡率に関する世界全体の死者の正式の研究はほとんどない」と認めている。今年出た統合報告書では、まったくふれていない。

あの膨大な報告書の中で、寒冷死についてのデータが半ページしかないのは、温暖化のメリットを見ない確証バイアスである。IPCCの目的は温暖化の被害を実証することで、そのメリットを調べても研究費は出ないからだ。

1.5℃目標は過剰対策

温暖化は、農業にとってもプラスである。CO₂は植物の生長に必要なので、それが増えると農産物は増える。これは国立環境研究所の論文も認めており、図1(a)の農業被害はほとんどない。

むしろ温暖化で農業生産は増え、(b)の超過死亡はマイナスになる。とはいえあまり高温になると健康によくないので、ノードハウスのいうように(将来の損害を金利3%で割り引くと)3.5℃上昇ぐらいが最適ではないか。

図3 ノードハウスのノーベル賞講演

少なくとも先進国にとっては1.5℃目標は過剰対策であり、莫大なコストをかけて気候変動の緩和をおこなうメリットはほとんどない。それは2015年のパリ協定で「気温上昇を2°Cより十分低く、できれば1.5°Cに抑える」と決めた努力目標にすぎない。

必要なのは脱炭素化ではなく、被害を受ける熱帯に焦点を絞った適応である。IPCCも第2作業部会は、適応をテーマにした。今年ダボスで開かれるCOP28では、1.5℃目標が取り下げられるだろう。それは化石燃料を排除せず、途上国が豊かになって環境を改善する現実的な道である。