国会議員、数はやはり重要だ

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本拠地大阪から大きく勢力を広げ、影響力を増す日本維新の会(以下、維新)、所属議員も若手が多く、勢いを感じる。が、暴走気味の発信が幹部から相次いでいる。2023年7月16日の日経新聞インタビュー記事の中で、吉村洋文共同代表が「国会議員は3割減らせる」との見解と述べた。

対する代表の馬場伸幸氏は、7月23日のインターネット番組で、共産党は「日本から無くなったらいい政党」云々と発言、共産党から撤回を求められるも突っぱねた(NHK NEWSWEB、2023年7月26日

主要野党の代表による公党の存在を抹殺するような発言は、民主国家の有権者を馬鹿にしていると、その政治センスの欠落に呆れるばかりだ。まるで有力野党を選挙から締め出したカンボジアのフン・セン首相ではないか。少なくとも良識ある有権者なら眉をひそめるはずだ。

一方、吉村見解については賛同する人が結構いるかもしれない。金の問題からセクハラ/パワハラ、暴言まで、国会議員の呆れるニュースに事欠かない。こんな議員は要らない、人数を減らしたほうがいいと考える有権者は少なくないはずだ。

しかし、議員の定数は、代表制民主主義の根幹に関わる、看過できない問題である。定数削減は、言うまでもなく国民の代表の減少であり、有権者の利益が大きく損なわれることを意味する。定数が減れば、当選のハードルが上がり、選挙では資金、知名度、地盤が一層モノを言うようなる。結局、世襲、もしくは社会的経済的に優位に立つ有権者を代表するような議員ばかりが選ばれ、生活困窮者やシングルマザー、障がい者、性的マイノリティの人びとの声が届かなくなる恐れがある。

しかも、現代人の考え方や価値観、ライフスタイル、嗜好は実に様ざまで、ジェンダー、世代、地域などを起点にした利益の集約はもはやできない。有権者の多様なニーズを拾い上げるために、むしろ定数は増やすべきなのである。

ところで、日本の国会議員定数は、減らさなければならないほど多いのであろうか。下表にG7諸国及び韓国とスイスの国会議員数、人口1人あたりの下院議員比率を一覧表にしてみた。韓国はアジアの安定した民主主義国家、スイスは後述するように特殊な事情があるので加えた。上院は議員の選出方法が一様ではないので、人口比は下院のみで算出した。韓国は一院制である。

議員定数比較、G7諸国と韓国、スイス
日本を除いて、議員定数と総人口のデータは、外務省・国/地域情報、日本については総務省の選挙情報及び政府統計による。

人口に対する議員比率が日本よりも低いのはアメリカとスイスであるが、その理由には注意が必要だ。

アメリカの場合、州の独立性が著しく高く、国民の関心事の多くは州議会の管轄になる。各州は、独自の憲法を有し、州議会は州内を統治するための法律を制定する。合衆国憲法や連邦法が優先されるのは、それらが州の憲法/法律と矛盾する場合だけである(American Center Japan)。連邦政府の役割が制約されているのであれば、その権力を抑制するためにも議員数は少ないほうがよい。

スイスも連邦制であるが、注目すべきは直接民主制である。国民には選挙権(間接民主制)とは別に、投票によって政治的意思を示す権利(直接民主制)が与えられている。

この制度は、国民が憲法改正を請求する「イニティアティヴ(国民発議)」、同じく国民が可決された法案の再審議を求める「任意的レファレンダム」、連邦政府が憲法改正や国際組織加盟の承認を国民に得るための「強制的レファレンダム」から構成され、有権者(18歳以上)は年に約4回、合計15件ほどの投票を行う(About Switzerland)。

国民が国家の意思決定に直接関与するのであれば、議会の比重は当然軽くなり、議員の人数も制限されることになる。

日本では、中央政府が大きな権限を持ち、例外的な憲法改正国民投票を除いて直接民主制も導入されていない。国会が国民の政治的意思を代表する唯一の場なのである。にもかかわらず、代表を減らすのは、成熟した民主国家の名に恥じる。

定数を減らしたからといって、劣化議員が減るわけでもないだろう。少数精鋭ではなく、多数精鋭こそが求められる。