米国主導の国際法至上主義が世界の悲劇を拡大している

安倍さんから岸田さんへ引き継がれた外交のなかで、将来において割に評価されそうなのが、広島にオバマ大統領を連れてきたことと、G7を広島で開催したことだ。これは、いつの日にか、核廃絶が実現したら、重要な一歩だったとして評価されることになるのではないか。

ともかく、アメリカは原爆投下で多くの人命が救われたという姿勢を崩してない。だから、原爆投下の日の平和式典にも参列しなかったし、サミットなどを広島開催することにも難色を示してきた。

だが、2008年の主要8か国(G8)下院議長会議(議長サミット)に出席するため広島市を訪問中のナンシー・ペロシ下院議長が原爆死没者慰霊碑を訪れ献花したあたりから気が変わった。

ジョン・ルース大使が、2010年に現役米国大使として初めて広島平和記念式典に出席した。そして、これがオバマ大統領の広島訪問につながっていく。

2016年の伊勢志摩G7(先進7カ国)サミット後に、オバマ氏は広島を訪問した。2016年の伊勢志摩G7(先進7カ国)サミットでは、参宮橋を渡りながら、米軍軍属の問題について日本の世論が強硬なのは黒人から出ないかなどとつぶやき続けたほどだ。

さらに、オバマ氏は広島を訪問するのだがオバマ氏の広島訪問が実現したことで、今年の広島G7(先進7カ国)サミット開催につながった。もし将来核廃絶が実現したら、安倍氏の努力は大きく評価されるだろう。

見返りのようなかたちで、安倍首相の真珠湾訪問が実現した。ただ、一般市民を無差別に殺した原爆投下と同じレベルで考えられないので、交換条件という位置付けを慎重に安倍氏が避けたことも素晴らしいことだ。

こうした努力が、核兵器を使うことへの心理的障壁を上げ、ロシアがウクライナ侵略で核を使用することの抑止力となっている(それに対してゼレンスキーは広島へやってきて、原爆の被害はブチャ並み。原爆落とされても立派に復興できるのだから勇気づけられたと核攻撃をやられてもたいしたことないトークで読んだことが全くマイナスだった)。

ただ最近思うのだが、米国の戦争は、自分たちの犠牲に比べて相手側の犠牲を多く出しすぎだ。

太平洋戦争での米軍の戦死者は10万人ほどで、民間人犠牲者は極少だ。これに対し、日本は二百数十万人の戦死者に、100万人ほどの民間人が亡くなっている。イラク戦争では、米軍死者が5000人で、イラク人は数十万人という。ISIL掃討でも、一般市民を巻き込んでいる。

ソ連は第二次世界大戦でドイツに勝ったが、死者はドイツより多い。ウクライナ侵略でも、ロシアの戦死者の方がウクライナの軍民すべての死者より多そうだ。それと比べても相当酷い。

米国が関わる戦争は、道義的にはもっともなことが多く、国際法的には問題が起きないように弁護士的にぬかりない。だからといって、相手方の死者がいくら多くてもいいのか。太平洋戦争でもウクライナでもそうだが、相手方の飲めない和平案に固執して戦争を続けるのが正しいとは思わない。

太平洋戦争でも国体維持を補償したら戦争は半年は早く終わっていた。

国際法の順守はとても大事だが、それだけでは平和など保てない。アングロサクソンの論理には、何でも弁護士を立てて法廷で争い、裁判に勝ったら100%の正義があるという傾向があるが、困ったことだ。

加えて、私が心配しているのは、現在の国際法の世界はヨーロッパ系の考え方支配だし、国際法を遵守させることが日本の国益にもなっているが、だんだん、多くの国際機関が中国などに牛耳られるようになっていることだ。

日米歴史戦という観点では、日本の戦争は植民地解放の戦いであったなどというのは、少なくとも世界で通用するはずがない。

しかし、歴史修正主義などといわれずに、一矢報いようとすれば、ここで示したような、たとえ、国際法に則り、正義に基づいていたとしても、相手方の犠牲はいくら大きくとも問題はないという論理の実質的妥当性を問うというのは、ユニバーサルな支持を受けると思うがどうだろうか。

このあたりも、『民族と国家の5000年史』で説明し、8月9日に開催する講演会で説明したいところだ。