斎藤幸平「大谷は年俸一億円でいい」 脱成長理論で日本は北朝鮮になる(中嶋 よしふみ)

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CHUNYIP WONG/iStock

大谷選手の年俸は1億円でいい。

こんな発言が話題になっている。スポーツニュースで出てきた話ではない。ネットTVのABEMA Primeで、脱成長をテーマにした際に東京大学大学院の准教授、斎藤幸平氏が発言したものだ※。プロフィールを見ると専門は経済思想・社会思想で哲学者とある。

経済成長より持続可能な経済を目指す、つまり今後は脱成長をすべきという提案は、斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』が50万部を超えるベストセラーになっていることから一定程度の支持はあるのだろう。

斎藤氏は所得の上限を設けることで経済の再分配を促進して公平な社会を作るべきと番組で主張している。大谷選手の年収一億円もその流れで出てきたモノだ。

過去には上野千鶴子氏が「平等に貧しくなろう」という趣旨の発言で話題になり、岸田総理も就任直後に「成長より分配」を政策に掲げた。どちらも考え方としては賛否は分かれるが、両者とも徹底的に批判され、斎藤氏の発言も批判殺到で炎上している。

無理に成長をしなくとも現状維持でいい。
ほどほどの生活が出来ればそれでよい。 
経済成長で格差が生まれるより平等を目指した方がいい。

こういった話は特に珍しいものではなく、その時々で表現を変えては思い出したように出てくる。それが平等に貧しくであり、成長より分配であり、今回は脱成長というだけの話だ。

脱成長的な話が度々出てきては一定の支持を得る理由は、経済成長の否定が「完全な間違い」だと知らない人が多いからだ。本来はそれってあなたの感想ですよね、で終わる話だが(そして斎藤氏も否定しないと思うが)、思考実験や思いつきのアイディアにしても無理がある。

批判の根っこは上野氏も斎藤氏も高収入でありながら貧しい生活や脱成長を主張しているからという要素も含まれるが、そういった個人攻撃や本質からずれた話ははっきり言ってどうでも良い。これらの主張が一定の支持を得る方がよっぽど問題だ。

脱成長と言えばもっともらしく聞こえるが、その実態は成長の否定、つまり反成長であり到底看過できない。

ビジネス系のウェブメディア編集長であり、FPの立場から脱成長の間違いを論じてみたい。

【参照】「所得上限を設けて再分配。“大谷選手も1億円しかもらえない”でいいと思う」 斎藤幸平氏が提唱する“脱成長”3つのポイント
※ 断りがない場合はすべてこの記事から引用

所得税100%で年収制限は可能。

斎藤氏の三つの主張
ABEMA TIMESより

斎藤氏は過去の対談でも年収の上限設定の話をしている。

労働時間が週25時間くらいになり、マックスの年収が3000万円くらい、平均で600万とか700万とかで、でも教育や医療は全部無償という社会になったとしたら、実はほとんどの人にとっては、どう考えても魅力的なのではないでしょうか

(斎藤幸平×大澤真幸「脱成長コミュニズムは可能か?」――『なぜ、脱成長なのか』『新世紀のコミュニズムへ』刊行記念対談(前編))

上限額にさほどこだわりはなく高所得者に所得制限をつければ良いという発想のようだ。金額は別にしても所得制限は斎藤氏の持論なのだろう。

実際は民間企業の給料や個人事業者の収入に所得制限をつけられるはずもないが、斎藤氏は一定額以上の所得には高い税率をかける、具体的には『1億円ぐらいを上限に、それ以上儲けても国が持っていく』というアイディアを番組では披露する。一定額以上の所得に100%の所得税をかければ理論上は可能だ。

その目的は再分配の財源にするためだという。再分配とは高所得者や資産家から税金を集めて低所得者や貧乏人に支給をする仕組みで、医療や教育や年金、医療など様々な分野で行われている。国がお金を集めて支出をする目的はそのほとんどが再分配が目的だ。

税率100%は財源にならない。

では1億円以上の高所得者に高い税金をかけたら再分配の財源になるのか? 現実にはまったくならないというのが答えだ。

2021年に1億円以上の所得を得た人は日本国内でたったの90074人、人口の割合でいえば約0.07%と誤差の範囲だ。これを3000万円以上にしても487734人、約0.39%と誤差の範囲でしかなく再分配の財源には到底ならない※。

(※参照 2021年 所得階級別人員 令和3年度 2 直接税 国税庁 統計情報より)

そもそも1億円以上の所得をすべて税金で取ってしまうのなら、企業ならば給料を減らして1億円以下にしてしまうので財源になりようもなく、アイディアとしても矛盾している。これは上限が3000万円でも同じだ。

「1億以上の所得に100%課税」で脱税が増える。

財源になるならいは別にして、所得制限を実現するために税率100%にしたら何が起きるか? このアイディアでは脱税が増える。高所得者は100%の課税を避けるために、別の手段で受け取ることを考えるからだ。

所得には様々な種類があるため、払う側も受け取る側も課税対象にならない方法への偽装を考える。給与・事業・不動産の所得が1億円リミットの対象なら贈与や一時所得に変える、といったやり方だ。

例えば年収1000万円で働いたことにして別途3億円を「贈与」する、といった手段が考えられる。当然これは脱税だが、脱税の調査・取り締まりにも手間とコストがかかる。

田端大学の田端信太郎氏は「法人で受け取れば個人の所得なんて関係ない」と指摘する。個人事業主が法人化したり、あるいは高所得者が給料を受け取るための会社を作ればいい、そうすれば1億円の所得リミットなんて関係ない、という話だ。

人間が働いた対価の売上は、法人でも全部1億円リミットの対象にしたらどうなるか? それでも簡単に逃げられる。暴力団が飲食店からみかじめ料を取る代わりにおしぼりを納入するような形も考えられる。これと同じく偽装手段として何かモノを売ったことにしてしまえば良い。所得や労働の対価の売上すべてにリミットをかけたところでいくらでも逃げ道はある。

脱成長には世界同時革命が必要。

会社の売上を社長が個人的に使うには改めて給料として受け取る必要がある。そこで課税は可能かというとここでも逃げ道がある。本来個人で払うべき家賃や食費や旅行、娯楽等の支出を「社宅」「打ち合わせ」「研修旅行」「業務で使うもの」として法人に付け替えてしまえば補足は困難になる。

当然これらは脱税だが法人の脱税で調査・取り締まりとなれば更にややこしく徴税コストは跳ね上がる。大谷選手のような海外で高所得を得ている人の年俸を1億円以下に抑えるには他国の税制も考慮する必要がある。海外で働いて給料を受け取る方法もある。すべての穴を塞ぐには世界同時革命でも起こさないと実現は不可能だ。

英国の首相だったサッチャーの有名な言葉に「金持ちの富を減らしても、貧しい人々は貧しいまま※」というものがある。脱成長と並んで高所得者への課税も度々議論になるが、気分の問題を別にすればサッチャーの指摘通り高所得者に課税をしても税収アップはほとんど見込めず意味は無い。

斎藤氏の主張を支持する人からは「1億円の上限はあくまでたとえ話で脱成長も考え方の一つである、重箱の隅をつつくような話をするな」と批判を受けそうだが、1億円のリミットを具体的にシミュレーションした理由は、「脱成長」を実現するにはこういった徴税コストも含めて後述するように莫大な手間とコストがかかることを指摘するためだ。

※実際の発言は「社会主義の問題は最終的には他人のお金が使い果たされてしまうことだ」という発言だったと言われている。

生活必需品を無料で配布すると何が起きるか?

1億円以上の所得に100%の課税をすることは(脱税や穴を無視すれば)理論上は可能だと書いたように、斎藤氏は現在の体制でやれる範囲のことを主張しているのかと思ったがそうではないようだ。以下のように生活必需品は「商品化」すべきでは無いという。

『脱成長に向けて、斎藤氏は「コモン」「所得に上限」「週休3日制」という言葉を使う。コモンとは、水・食料・電力・住居・医療・教育など「ないと生きていけないもの」は商品化せず、市民自らが民主的に管理すべき公共財。これが経済格差の是正や労働時間の短縮、環境負荷の軽減につながるとしている。』

「市民が民主的に管理」の具体的な内容は不明だが、水・食料・電力・住居・医療・教育等の無いと生きていけないものは商品化すべきでは無い公共財だという。

公共財を乱暴に説明すると無料かつ売買の対象にならないもの、一般的には警察や消防、国防などが当てはまるとされている。

現状でも医療は一定の年齢以下ならば各自治体によって一部が無償で提供されている。義務教育も同様だ。国によって医療や教育が全て無料のケースもある。ただ、食料や住居まですべて無料となるとさすがに聞いたことは無い。

ベーシックインカムと言って、条件を問わず一定額のお金を全ての国民に支給するという考え方がある。これは最低限の生活は国が保証するという思想が根っこにはあり、その手段がお金か現物支給かの違いだけ、可能か不可能かでいえば法律を変えれば可能、ということにはなるだろう。

ではそれでまともな生活が送れるのか? 斎藤氏が主張するような脱成長で幸せな生活が送れるようになるのか? というとまずそうはならない。むしろディストピア、地獄のような世界が確実に待っている。これが先ほどの莫大な手間とコストの話につながる。

配給制の復活?

水・食料・電力・住居・医療・教育等を無償化する……例えば食料で実際にやるとなれば配給券を配って近所の配給所で引き換えるような形だろうか。現在なら紙のチケットではなくスマホでも可能だろう。

ただし、あくまで「ないと生きていけないもの」が対象なのですべての食料が対象ではない。したがってまずは「ないと生きていけない食料」を決める必要がある。

「無くても生きていける食料」、生活必需品の逆は一言で言えば贅沢品だろう。生活必需品と贅沢品の境目を国が決めるだけで莫大な手間となる。

実際に配給リストを決めたとして、例えば四人家族にどれくらいの食料を配給すればよいのか、同じ子どもでも年齢によって食べる量は異なる。男女でも大きく異なる。

各自治体が個々の家庭の住人の数・年齢・性別を正確に把握して、過不足なく配給所に食料品を準備する。卵や牛乳、野菜などの生鮮食品ならば賞味期限を考慮する必要もある。これらの業務を公務員である自治体の職員が行う、あるいは自治体が管理をして業務を委託した代行業者が行う。

……と、食料品だけで考えてもこれがどれだけ膨大な業務量かは言うまでもない。「ないと生きていけないもの」がすべて対象になるのなら、軽減税率の際に議論になったような「おむつは対象にすべき」「生理用品も対象にすべき」といった議論も当然発生する。

生活必需品ということでいえば家電製品等も無料なのか。電気も無料にするのなら蛍光灯も無料で配るのか。一昔前ならクーラーは贅沢品だったが、猛暑が当たり前の現在ならば生活必需品だ。そういった変化に国や自治体がスピーディーに対応出来るのか。

このように生活必需品の範囲を考えるだけでも無限に広がりかねない。脱成長でも必要な産業の成長は否定しないとあるが、必要な産業なんて誰が決めるんですか?としか言いようがない。

現在では生活のインフラとなっているインターネット、そしてそこにつながるパソコンもスマートフォンも、おぼろげながらに形が見えた時期は誰も生活必需品になると思っていなかった。必要なものが事前に分かると考えているのなら勘違いを通り越して傲慢としか言いようがない。

つづく

中嶋 よしふみ  FP シェアーズカフェ・オンライン編集長
保険を売らず有料相談を提供するFP。共働きの夫婦向けに住宅を中心として保険・投資・家計・年金までトータルでプライベートレッスンを提供中。「損得よりリスクと資金繰り」がモットー。東洋経済・プレジデント・ITmediaビジネスオンライン・日経DUAL等多数のメディアで連載、執筆。新聞/雑誌/テレビ/ラジオ等に出演、取材協力多数。士業・専門家が集うウェブメディア、シェアーズカフェ・オンラインの編集長、ビジネスライティング勉強会の講師を務める。著書に「住宅ローンのしあわせな借り方、返し方(日経BP)」
公式サイト https://sharescafe.com
Twitter https://twitter.com/valuefp

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編集部より:この記事は「シェアーズカフェ・オンライン」2023年8月9日のエントリーより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はシェアーズカフェ・オンラインをご覧ください。