日米間で情報共有ができない場合

大変な事態になった、というべきか、事前に分かっていたことだ、というべきだろうか。世界情勢に少しでも関心がある人ならば後者だろう。台湾海峡で中国軍の軍事侵攻があった時、北朝鮮が核兵器で日本を脅迫した時、日本は米軍の軍事情報が欠かせられないが、肝心の日米間の情報がスムーズに共有できないならば、どうするのか。事が起きてからでは遅すぎる。その意味で、今回のワシントン・ポストの報道は日本側にとっていい機会だろう。何に対してか、それは「スパイ防止法」を早急に制定するチャンスとすることだ。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典におけるビデオメッセージを読む岸田文雄首相(2023年8月9日、首相官邸公式サイトから)

既に日本で大きく報じられているから詳細は必要ないが、米紙の報道内容を少し振り返る。

「米紙ワシントン・ポスト(電子版)は7日、中国人民解放軍のハッカーが日本の防衛省の最も機密性の高い情報を扱うコンピューターシステムに侵入していたと報じた。2020年秋に米国家安全保障局(NSA)が察知し、日本政府に伝達した」

同紙によると、米国側は2020年秋の段階で日本側に中国軍によるハッキングについて連絡済みだったが、その後も日本側の対応は「不十分だった」というのだ。バイデン米政権発足後も、オースティン国防長官が日本側に、サイバー対策を強化しなければ情報共有に支障を来すと伝達したにもかかわらず、21年秋になっても「中国による侵入の深刻さと日本政府の取り組みの遅さを裏付ける新たな情報を米政府が把握した」というのだ。(以上、ワシントン発時事から)

一方、松野博一官房長官は8日の記者会見で、中国人民解放軍のハッカーが最も機密性の高い情報を扱う防衛省のシステムに侵入していたとの米紙報道に関し、「サイバー攻撃により防衛省が保有する秘密情報が漏えいしたとの事実は確認されていない」と語ったという。

中国の習近平国家主席は台湾を自国領土と見なしているから、領土の再統合に必ず乗り出すだろう。その場合、台湾軍を支援し、米軍を中心に防衛に乗り出すが、その際、沖縄の米軍基地は重要な役割を担う。日米のニュークリア・シェアリング(核共有)問題はもっと深刻だ。軍事機密を日米、日韓が共有できない場合、戦争どころではない。米軍は軍事機密を保持できない同盟国に果して情報を提供するだろうか。敵国に流出する危険性があれば、機密情報を伝達しないと考えるのが当然だろう。

なぜわが国には外国人スパイを取り締まる「スパイ防止法」がないのか。日本の場合、外国人スパイは逮捕されたとしても、せいぜい国外追放されるだけだ。日本に「スパイ防止法」が施行されていたならば、逮捕した外国人スパイに厳しい刑罰を科すことが出来るから、スパイも不用意な言動は出来ない。スパイ活動は国家の機密、安全保全を脅かす行為だ。主権国家ならばどの国でも厳しい法体制を敷いている。

日本では野党、そしてメディア機関は「スパイ防止法」が施行されれば、国家の統制が強化され、自由な言論活動などが阻害され、人権も蹂躙されると叫び、強く反対してきた経緯がある。そのため、日本ではこれまで「スパイ防止法」が施行されず、不正競争防止法や外国為替及び外国貿易法(外為法)で対応してきた。外国人スパイにとっては、日本でほぼフリーハンドでスパイ活動ができる。日本が「スパイ天国」と呼ばれる所以だ。そのような国に米国が軍事機密を全て提供できるだろうか。

ところで、スパイ活動の取り締まりの強化に乗り出しているのは中国共産党政権だけではない。ロシアのプーチン大統領は今年2月28日、モスクワで開かれたロシア連邦保安局(FSB)幹部会拡大会議で、「ロシアの社会を分裂、破壊しようとする違法行為を摘発すべきだ」と訓示し、国内の諜報機関FSBに対し、西側のスパイ活動への対策強化を求めた。

中国共産党政権がスパイ関連法を強化し、ロシアは外国への監視強化、スパイ摘発を強化していることに、日本はこれまで懸念を表明するだけに終始した。今、米国から圧力がかかってきたのだ。日本側はぐずぐずしている場合ではない。

忘れてならない事は、日本が依存する米国は同盟国の日本でも軍事分野だけでなく、ほぼ全分野で情報を収集していることだ。欧州連合(EU)の盟主、ドイツのメルケル首相(当時)はオバマ米政権がドイツでも盗聴工作を展開させていたばかりか、自身が愛用している携帯電話も傍受されていたことが判明したことから、「同盟国の政治家の対話を盗聴していたことは許されない」と激怒し、オバマ大統領に電話で「重大な背任行為だ」と強い抗議をしたことがあった(「米国は盗聴工作を止めない」2013年10月26日参考)。NSAは当時、世界の35カ国の指導者を盗聴していたという。

現実はハードだ。紳士的にふる舞っていればいい時は過ぎた。情報戦は映画の世界だけではなく、リアルな世界だ。日本の政治家はその事を忘れてはならない。繰り返すが、日本は米紙の報道を「スパイ防止法」を制定する好機とすべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。