企業保険分野における保険料カルテル
損保業界のカルテル問題について8月3日の東洋経済オンラインに以下の記事が掲載されている。
大手損保で広がり続ける保険料カルテル問題、その背景にある「保険代理店」という構造問題
筆者は防火及び産業分野のリスクに関するエンジニアであり保険料等の保険の仕組みについての専門家というわけではないが、欧米大手損保の企業保険の仕事を四半世紀以上にわたって引き受けている。筆者の経験から損保と防火の関係における日本と他国の違いについて説明をする。
護送船団方式の頃から何も変わっていない
実はこれは新しい問題ではない。日本の金融業界における「護送船団方式」について知らない方も多くなったと思われるが「護送船団方式」とは1990年代半ば以前に銀行や保険会社が競争によって潰れてしまわないように保護して全社で共存していこうという仕組みのことである。
保険業界においては1990年代後半に保険料が自由化される前はどこの保険会社で保険に入っても保険料は同じで保障内容やサービス内容も同じという状況であった。簡単に言えばカルテルが合法化されていたということであり、日本における保険業とは参入障壁に守られた企業(多くは旧財閥系企業)が競争とは無縁の中で独占的にビジネスを行う業界であった。
企業保険に関しては現在もその頃の商習慣が続いており保険料自由化後もほとんど変わっていないということではないか。
保険代理店と保険ブローカーの違い
東洋経済オンラインの記事では保険代理店の問題に触れている。大企業の傘下にある保険代理店が他社(損保)の入札価格を漏らすケースや主導して保険料の調整を行っていたケースがあり疑義案件は膨大な数に上るとのことである。
今回の問題で外資系損保の名前は上がっておらず国内損保にかぎった話のようであるが実は保険代理店というビジネスは他国では存在しない。他国では企業は保険ブローカーを経由して保険に加入するのが一般的である。
一般社団法人日本保険仲立人協会のホームページで保険代理店と保険ブローカーの違いについて以下のように説明している。
代理店は保険会社から委託を受けて、保険会社のために保険募集を行うのに対し、保険仲立人(保険ブローカー)は顧客(保険契約者)の委託を受けて、その顧客のために誠実に保険契約の締結の媒介にあたります。
他国における企業保険は企業側の要求に合わせて保険ブローカーが保険プログラムを設計して損保はその条件に合わせて入札をするという形態が一般的のようである。
欧米損保の企業保険
筆者はリスクエンジニアとして欧米損保の企業保険の仕事を長年引き受けている。具体的には企業の工場、倉庫、事務所等において建物、消火設備、生産設備、用役設備、管理状況等を評価して損保には保険引き受けに関する情報を提供し企業側には改善を提案するという業務である。
損保業界には現実に発生した事故における経済的損害のデータが集まることから、リスクの分析や改善方法の提案が可能である。欧米の損保業界がこの分野において果たしてきた役割として①リスクの分析および開示、②改善策の提案、③保険引き受け条件への反映がある。
一例をあげると①建物への可燃性が高い断熱材(とくに発泡ウレタンや発泡スチレン等)の使用による火災リスクへの注意喚起、②改善策として不燃の断熱材を使用することを提案、③可燃性が高い断熱材を使用している建物へ高い保険料率の適用といった具合である。結果として保険を通して社会全体としてリスクを下げるような方向にインセンティブがはたらいている。
企業のリスクをどう判断するか、どうやって企業に改善を促すか、保険引き受け条件へどう反映させるかという点で各損保に独自のノウハウがあり損保同士の競争がある。欧米の損保はこういった競争の中でリスクを見る目が磨かれてきたのではないか。
損保と防火の関係
日本ではほとんど知られていないが損保と防火の関係は深い。とくに工場や倉庫等の産業分野の防火基準は欧米損保業界がつくってきたと言っても過言ではない。
他国においてはスプリンクラー設置による保険料割引もよく知られている。スプリンクラーを始めとした防火における科学的知見を提供してきたのがアメリカのNFPA(National Fire Protection Association:全米防火協会)とFM Globalであるが、NFPAは元々の成り立ちがアメリカの損保業界でありFM Globalはアメリカの産業界がつくった相互保険会社である。
この2つの防火基準は日本以外では世界中で広く使用されておりとくにNFPAは法規制として採用している国も多い。
他国では消火設備と保険がリンクしている
自動車保険や生命保険においてリスク細分型保険というものがある。自動車保険であれば年齢、事故歴、車種、車の使用目的、年間走行距離、住んでいる地域、生命保険であれば年齢、体格(BMI)、喫煙習慣、持病の有無等で保険料や引き受け条件が変わってくる。
企業保険においても同じような仕組みがあり、建物、用途、消火設備、管理状況等によって引き受け条件が変わってくる。
欧米損保であれば保険引き受け条件にとくに大きく影響するのがスプリンクラーの有無とその管理状況である。スプリンクラーが設置されていれば保険料が平均で50%割引となり最大で90%割引にもなるとされている。ちなみに損保が根拠もなく保険料割引をすることはない。保険料を50%割引にするということは実際の損害データにおいて損害率が半分になっているということの証左である。
ざっくり説明するとNFPAやFM Globalといった国際的に認められている技術基準を厳格に守れば守るほど保険料等の保険引き受け条件が良くなると考えてよい。しかし保険料の計算方法は非常に複雑であり素人には到底理解できない。
スプリンクラーの「算定会基準」と保険料割引を拒否してきた日本の損保
ちなみに日本でも1960年代に消防検定協会ができるまでは損害保険協会料率算定会(現在の損害保険料率算出機構)が消防設備の検定などの業務を行っていた。欧米を真似てスプリンクラーの「算定会基準」という日本独自の技術基準を設けていた時期があったが技術的にも中途半端で保険料割引率も10~15%と低くほとんど普及せずに終わっている。
筆者はかつて料率算定会に在籍された2人のOBの方から当時の事情を聞いたことがある。その方々が言われていたのは当時の損保各社は「スプリンクラーを設置して保険料を10~15%割引するくらいならスプリンクラーを設置せず割引なし(100%)の保険料を契約者からもらった方がいい」という考えであり算定会基準の普及に積極的ではなかったとのことである。
日本の損保は役割を果たしていない
日本の損保は顧客企業のリスクを分析することもなく改善策を提案することもない。他国では損保の指摘によってスプリンクラーを設置するなどの経済的損害防止のための対策をするのは当たり前であるが、日本では損保を通して企業のリスクを下げるという仕組み自体が存在しておらず企業側にもそういった認識はない。国外に進出した日本企業は損保を通した経済的損害防止の仕組みに慣れておらず戸惑うようである。
日本の損保は企業のリスクが上がろうが下がろうと気にしておらずリスクを下げようという意識もない。参入障壁によって守られた企業保険という市場において損害率に利益をのせて全ての損保が同じ保険料で同じ補償内容の商品を売るという、企業努力などする必要がない絶対に損をしないビジネスモデルが存在しているのではないか。
日本の消火設備が非科学的な理由
筆者の見立てでは日本で非科学的な消火設備が設置されるようになった理由の1つが日本の損保業界にある。
日本の損保業界は算定会基準のスプリンクラーを設置した場合の10~15%といった低い保険料割引率ですら拒否したわけであり、他国のような平均50%、最大90%の割引率はとんでもないということになる。
有効性が検証されたスプリンクラーを設置してそれに見合った50%かそれ以上の保険料割引を契約者から要求されるくらいなら「スプリンクラーなど設置しなくていい」というのが日本の損保業界の本音かつ総意でありそれは数十年も前から変わっていない。
結果として日本で消火設備は消防法の法規制に基づいてのみ設置するということになっているが、消火設備が保険料等を決める根拠となっていないことから定量的データに基づいて検証された設備を設置する必要がない。実際の火災の際に本当に有効に機能しているかおよび誤作動で経済的損害が発生していないかについてあまり気にしなくてもいいということである。
もう1つの問題が行政機関と消防設備業界の癒着である。事情をよく知る方々の話によると日本では消防法の法規制を決める際に消防設備業界の意向が強く反映されてきたとのことである。要は消防法の法規制を根拠として設備、資格、点検、講習などで関係者が利益を得る「消防規制ビジネス」が一番の目的となってきたということである。
結果として日本では「法規制で決められたことは正しいから国民は疑わずに従っていればいい」となり、有効性や誤作動のリスクが十分に検証されていない「それっぽい」消火設備を法規制に基づいて設置して維持管理をしなければならないとなっているのではないか。
消火設備の有効性や誤作動のリスクを気にしない日本の防火関係者
スプリンクラーの有効性の検証についてアゴラの記事で何度も書いている。アメリカではスプリンクラーの有効性の検証を年間35,000件以上行っているが日本では東京消防庁が年間10~20件行っている程度である。
残念なことに日本の防火関係者でこのデータに興味を持つ方は少ない。消火設備が実際に有効に機能しているかおよび誤作動のリスクについて定量的なデータをもって検証をする必要はないと考えている方が大多数である。
「日本は火災件数が少ないので十分な検証ができないのはやむを得ない」と主張される方も多い。しかし十分な検証ができないと分かっているのであればそもそも何で独自の技術基準を決めるのかということになる。NFPAやFM Globalの技術基準が世界中で広く使われる理由はここにある。
筆者が知るかぎり検証できないような独自の技術基準を決める国は日本以外には存在しない。定量的なデータに基づく検証とは、やってみた結果をフィードバックして改善につなげるということであり世の中のあらゆる機械設備やシステムにおいて当たり前のように行われていることである。断言するがこれなしに国民の生命と財産を守るために有効な消火設備を設置することはできない。国民の生命と財産を第一に考えていないのであれば何のために消火設備を設置するのかという話になる。
最近でも機械式駐車場に設置された全域放出型二酸化炭素消火設備の誤作動で死者が発生し、ホール舞台部に設置された手動起動式開放型スプリンクラー設備の作動によって多大な損害および負傷者が発生したが、これらは日本独自の考えに基づいて設置されている。
国内消防法の基準は結論が書かれているだけで科学的根拠が不明であることが多く消防関係者に説明を求めても法律の条文を読み上げるだけである。「何でそうなっているのか」についてデータや科学的根拠を挙げて納得がいく説明がされることはほとんどない。
機械式駐車場や劇場舞台部の消火設備の基準については数十年も前に決められているが、当時の浅い知識で決めた基準をなかなか変えられずに現在に至っているということではないか。
まとめ
日本の企業保険におけるカルテルは護送船団方式の頃から何十年も続いてきた商習慣であるがようやくこの問題が注目されようになってきたということであろうか。
日本の損保と消火設備の問題について筆者は十数年前に日本火災学会の火災誌にて問題提起をしようとしたが、その内容が火災誌に掲載されることはなかった(学術論文として相応しい内容ではなかったということもあるが)。その当時、火災誌編集委員会には国内大手損保の方が委員として入られていてその内容に対して猛反発したと聞いている。その他の委員の多くもこの問題提起には批判的であった。
「日本には日本のやり方がある」ということらしいが、そのやり方が正しいのかを検証するべきあり、少なくとも国民に対して日本のやり方が他国と「どう違うのか」および「何で違うのか」について情報を開示してきちんと説明するべきではないか。
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牧 功三
米国の損害保険会社、プラントエンジニアリング会社、