終戦とは何だったのでしょうか?

8月15日は日本人にとって当たり前すぎる終戦記念日ですが、それは日本の話で韓国や北朝鮮を除き、諸外国では9月2日とするケースが主流です。この違いは端的に言ってしまえば、天皇が玉音放送を通じて戦争を止める、と国内外向けに述べたものの諸外国はそれを聞いてはいるものの契約社会における明白な文書の締結が完了していないという立場の違いでした。その為、ポツダム宣言に基づく降伏文書に署名した時点である9月2日が欧米では一般的な意味での対日戦の終戦とされます。

終戦時の日本 NHKより

戦争における降伏は一方的な降伏受諾であり、ワンサイドで極めて不利な内容となることが普通であり、日本にとっても当然ながら屈辱でもあったと言えます。

さて、日本は戦争で壊滅的ダメージを受けたにもかかわらず、欧州や中国などの歴史の中で起きたいわゆる国家の生まれ変わりは日本では起きませんでした。ドイツは敗戦時にヒトラーのドイツを棄却し、新たなドイツとして生まれ変わり、過去を全て悪者とし、自分たちは二度と過ちを犯さない国家になると誓いました。

当然ながらドイツにおける戦後の国家のリーダーは戦前に活躍した人たちが排除されました。ところが日本の場合はこれが連続したのです。ここが日本の複雑性と特殊性ともいえるのでしょう。

歴史問題でよく指摘されるのが、戦前のリーダーがなぜ、戦後の日本をもリードしたかであります。その筆頭は岸信介氏。「昭和の妖怪」ともいわれましたが、彼は戦前は満州で広範囲な人脈と事業を通じて極めて大きな権限をもちます。そしてA級戦犯として収監されるも不起訴で戦後に首相にまでなります。同様な力を示した人は数多くあり、児玉誉士夫、 笹川良一、 小佐野賢治、 四元義隆といった名前はほんの一例です。

また瀬島龍三は別の意味で戦前と戦後を継続させた人でした。彼は戦中は陸軍高級参謀で日本が降伏後の8月19日に満州に飛び、ソ連軍と交渉を行い、何故か、そのまま現地で捕虜となり、シベリア抑留となります。日本に帰国後、伊藤忠に勤務、慣れない繊維部門を覗きながらも会社は彼を特別待遇で管理職から会社幹部扱いとし、同社会長になります。瀬島氏の人物像評伝はたくさん出ていますが、私が何冊か読んだ限りにおいて日本の戦前と戦後の「接続役」どころか、歴史的断絶を埋め、連続性を更に強化させた代表的人物の一人だと思っています。

その意味ではあくまでも私個人の思いですが、日本の終戦とは戦争行為の終焉であったものの戦前の日本人の心が脈々と繋がっていると考えています。これは良い、悪いという話ではありません。日本人は世界でも稀に見る歴史と人類の連続性がある国家とも言えましょう。

そしてその歴史の主体は力関係は大いに変化しながらも幕府と朝廷が一定の形でリンクし、国民一般からすれば社会体制そのものはあまり変わっていないともいえます。戦後は旧皇族が臣籍降下し、名称こそ政府と天皇家であるものの基本は歴史の流れと同じです。これは国家が急変しない体質にあるともいえ、時として時代の流れに適合するのに時間がかかる保守的な国民性を持ち合わせているともいえます。

例えば明治維新では江戸時代の文化習慣を変えるのには実際には明治時代半ばまで、つまり二十数年を要しています。明治初期に様々な制定やルールの変化があったと学校では習いますが、実際には人々の思想や習慣、風習の変化にはそれぐらい時間がかかったともいえます。では終戦はどうだったのかと言えば、軍部による統制が終わり、経済重視の社会に戻った、そういうことではないでしょうか?明治の富国強兵のうち、「強兵」の部分が落ち、「富国」をひたすら目指した、これが私の見る戦後日本の大躍進であります。

私は以前、近代日本に於いて明治維新や終戦と同じぐらいインパクトがあったのがバブル崩壊だと意見しました。それはその「富国」の部分が剥離したからです。これには異論が当然ながらありましたが、社会動静と技術革新、更には好む好まざるにかかわらず、グローバル化の中で30年以上もがきながら日本は新たな社会に向かっているのだと考えています。

終戦も単なる遠い昔の歴史話と捉えることも可能ですが、このような切り口で見ると日本のユニークネスについて様々な思いや意見が出てくるのでしょう。

では今日はこのぐらいで


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年8月15日の記事より転載させていただきました。