暴露された「オバマの隠蔽工作」とそれを知らない「毎日」特派員

8月23日の「毎日新聞」が「敬意と節度を失った政治」と題する「特派員の目」なるコラムを載せた。「いまや分断の印象だけが強い米国。15年前のある動画を見ると、同じ国かと疑う」と書き出される記事は、共和党マケインと民主党オバマという両上院議員が戦った08年の大統領選のエピソードをこう紹介する。

オバマ氏が大統領になることを「恐れている」と発言する(共和党の)支持者を、マケイン氏は「オバマ氏は良識があり、大統領になっても恐れを抱く必要はありません」と諭した。別の支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だと聞いた」と話すと、支持者のマイクを取り上げた。「違います。彼は家族を愛するまっとうな米国市民です。たまたま私と基本的な事柄で意見が異なるだけです」。

記者は「政治信条や基本理念の違いで対立することはあっても、相手の立場に理解を示し、最低限の節度を守って戦う。これが米国の政治家のイメージだった」が、トランプが「それを完全に崩した」とし、16年の大統領選で「クリントン氏が国務長官時代の公務用電子メールを削除していた件をたびたび口にし」たことを「口汚くののしった」と書く。が、公平中立であるべき社会の公器とも思えない事実無視だ。

マケインとトランプとは諸々確執があり、20年の大統領選ではマケインシンパの多い「赤い州」アリゾナを僅差で落とした経緯があるが、記者はトランプがその選挙で「バイデン氏に敗れたことを認めず、その結果を覆そうと手を尽くした。それらが21年1月の議事堂襲撃につながったとして、起訴された」とも書く。

だが、ヒラリーが、私用アドレス使った膨大な公用メールを削除し、証拠を隠滅したのは周知の事実。また「J6」の起訴は検察側にとって「トランプが、不正がないのを知りながら結果を覆そうとした」ことを立証するという「悪魔の証明」が待ち受ける無茶な裁判だし、そもそも有罪確定までは「推定無罪」のはずだ。

何より問題なのは、マケインのオバマ評を今以て信じているこの記者の不勉強ぶり。何故ならつい最近、オバマの詐欺的な隠蔽工作が暴露され、保守系シンクタンク・ヘリテージ財団のニュースサイト「Daily Signal」には、このところオバマ関連の記事を何本も掲載されている。それともこの特派員は、保守系シンクタンクの記事は読まないとでもいうのか。

暴露の契機になったのは、ノンフィクション作家デビッド・サミュエルズが8月3日に「Tablet」紙に載せた「The Obama Factor」と題する記事。サミュエルズはそこで、17年5月に出版された初期の頃のオバマの伝記『ライジング・スター』の作者で歴学者のデビッド・ギャローへのインタビューで、オバマの欺瞞を暴露しているのだ。「毎日」記事との関係で、先にその中の一文を紹介する。

この時期が平時ではなかったという事実は、2016年の選挙がロシアに「盗まれた」、トランプはロシアの工作員だった、という主張で埋め尽くされたこの国の日刊紙の一面をひと目見ただけでも明らかだろう。

この記述は、トランプの大統領就任後も娘の高校通学を口実にオバマ夫妻が、脳卒中に罹って動かせないウィルソンが一度だけ破った大統領権限の譲渡管理規範に再び違反してまで、ワシントンに豪邸を購入した理由は、トランプに抵抗する「民主党の影の政府の象徴的かつ実質的な指導者としての役割を果た」すためだった、とした一文に続くもの。

一方、ヒラリーのメール消去やオバマによる裏での政府操縦、そしてハンターのラップトップ事件などが表に出なかったのは、トランプを悪し様に書く「この国の日刊紙」が隠して書かなかったからに相違ない。斯くして、トランプは二度も弾劾にまでかけられる憂き目に遭い、今また4件も起訴されている。

「Daily Signal」(「DS」)はサミュエルズの記事を引用する形で、オバマの欺瞞をこもごも書いている。ティム・グラハムによる8月9日の「Barack Obama: The Man, the Myth, the Legend (to Be Continued)」は、ギャローの大著『ライジング・スター』が「ニューヨーク・タイムズ(NYT)の主任書評家ミチコ・カクタニによって激しく非難された」とする。これもこの伝記が話題にされなかった一因だが、グラハムは、彼女が「共和党攻撃広告」のようなものだと腐すエピローグは「特にNYTやワシントン・ポストのリベラル派からの引用が語られている。これは滑稽だ」と揶揄している。

グラハムはまたシーラ・ミヨシ・イェーガーという、「(オバマが二度、結婚してくれと言った)女性についても触れているが、ここはサミュエルズの詳しい記述に戻ってみよう。そこには、オバマが長年シカゴで交際していた恋人イェーガーとの別れについての興味深い一節が書いてある。

回顧録「Dreams from My Father』の中でオバマは、アフリカ系米国人の劇作家オーガスト・ウィルソンの戯曲を観た後の、白人を自認する女性との人種的な意見の相違について書く。が、読む側はこの別れの決断が単に個人的な問題以上のものになることを知っている。このオバマを思わせる黒人男性は、その後ミシェルというシカゴの黒人女性と結婚、後に黒人初の米国大統領になるのである。

しかし、イェーガーを追跡したギャローが彼女にインタビューしたところに拠れば、恋人関係に終止符を打った口論は、オバマの黒人としての自己認識に関するものではなかった。口論のきっかけは黒人の体験を描いた演劇ではなく、シカゴのスペルタス研究所で行われたアドルフ・アイヒマン裁判に関する展示だったというのだ。

イェーガーの回想によると、口論の原因は展示物を見た後、オバマが黒人人種差別を非難することを頑なに拒否しただけでなく、彼が反ユダヤ主義を非難しないことだった。シカゴ大の人類学者マーシャル・サーリンズの学徒であるイェーガーは、オーバリン大の東アジア研究の教授であり、東南アジアの大国政治と米韓関係に関する研究は事実に基づいた厳密さで知られている。

母が日本人であるイェーガーの父方の祖父母はオランダのレジスタンスのメンバーであり、ユダヤ人の子供を3年間自宅に保護した役割が、彼らをヤド・ヴァシェムによって「諸国民の中の正義の人」として認められる契機となった。

少なくともその文脈では、イェーガーが反ユダヤ主義に関連したオバマとの口論の詳細を覚えていて、彼の反応に反感を抱く可能性が高いように思われる。一方、オバマの方は、それでなくとも逸話のような雰囲気であり、彼の回想録の主人公の性格を強化するために発明されたもので、それによって彼は公の場でのキャリアに向けて位置付けられるようになった。

オバマの進化する人種に基づく自意識が、イェーガーを遠ざけたことは間違いない。回想録でのオバマの説明を、イェーガーのまったく異なる説明と照らし合わせて読むと、イェーガーの説明では、議論の両極は反対のように見えるが、黒人社会の流血中傷から来るユダヤ人の不安を最小限に抑えているのはオバマであるように見える。オバマは自分自身を現実主義者または現実主義者と定義しているが、このエピソードは道徳的責任の教科書的な回避のように聞こえる。

2つの記述の相違の架け橋は、オバマが黒人女性と結婚する必要があった黒人に対する新たな執着だ。オバマの説明では黒人に対する彼の愛着は真実であり、高貴なものだ。イェーガーの説明に拠れば、彼の主張は利己的なものである。彼は自分の部族の経験と苦しみには特別主義を与えるが、他の部族にはそれを否定する。大統領の2期目、彼はイランとの合意に焦点を当てながら、人種的不平や蔓延する所得格差、そして独占テクノロジー複合体の成長についての懸念に対処できなかった。(以上「The Obama Factor」)

「DS」に戻れば、ベン・シャピロは10日、「The Barack Obama Cover-Up(オバマの隠蔽工作)」と題した記事で、ギャローの本が「大ヒット」しなかったのは「少なくとも08年以来、報道機関全体がオバマに起こり得るあらゆる損害から彼を守るという命題に専念してきた」からだとし、オバマがガールフレンドに「男性とセックスすることを繰り返し空想する」手紙を書いていたことを強調する。

8日のジャレット・ステップマンの「Who’s running the federal government ?」との書き出し記事も、サミュエルズが「レガシー・メディアは一般にオバマを今日の政治からやや距離を置き、権力に無関心であるかのように描いているが、元大統領と彼の最も忠実な側近たちは、連邦政府と政治全般の指揮に大きく関与している」としていることを強調する。

ステップマンは「オバマ大統領の退任から6年半以上が経過したが、米国は統一には程遠い」とし、オバマ演説の有名な一節「赤い州も青い州もない」を難じる。そして、米国では「人種差別に代わって、人種と性同一性がエリート組織にとって重要な唯一のものになりつつある」と嘆じ、「これらはオバマ政権の2期目に本格的に始まった傾向で、バイデン政権下ではさらに加速した」と断じている。

冒頭の「毎日」の記事は、まるでトランプが米国の分断を生じさせたかのように書く。が、これらを読めばむしろ事実はその逆で、オバマが米国社会を分断させたことがトランプ大統領を生んだのだ、と知れる。ステップマンは「オバマはかつてアメリカ例外主義の考えを却下した」とも書いているので、この最重要テーマに触れて本稿を結ぶ。

歴史学者のギャローは、08年から17年までオバマとその大統領職のファンだった。が、彼が理解できなかったのは、米国の例外主義の考えに対するオバマの軽蔑だった。大統領になっても、オバマは「英国人が英国の例外主義を信じ、ギリシャ人がギリシャの例外主義を信じているのと同じように」米国の例外主義を信じていると木で鼻を括る答えをした。なぜ彼は自国民が特別であるという考えを国民に悪く言う必要性を感じたのだろうか。

ギャローが奇妙に思ったのはリンカーンに対するオバマの愛着であり、その言葉のリズムと節度をオバマはスピーチライターらに見習うよう促した。歴史家ギャローにとってリンカーンは、合衆国を救った聖人であり、また何十万の血の川を流した怪物だった。リンカーンは、米国例外主義を否定する大統領・オバマに当惑しただろう。オバマはリンカーンの演説が何についてのものだと正確に考えたのだろうか(「The Obama Factor」)。

前述のオバマによる米国例外主義を否定する発言は09年4月3日、訪問先のストラスブールでのものだが、その二日後の「核兵器を使用した. 唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」とのプラハ演説によって、彼はノーベル平和賞を受賞する。

プラハで演説するオバマ大統領
出典:Wikipedia

10年12月22日の「DS」記事は、「USAトゥデイ」が前日、オバマのストラスブールでの「この問題に関する場当たり的な発言が引き起こし続けている論争の嵐」を特集した記事について触れ、この記事のために「USAトゥデイ」が委託したギャラップ世論調査によると、「米国人の4分の3は、この国がその独特の特色を失う危険にさらされていると懸念している」ことを書いている。

「DS」の記事は米国例外主義を擁護する保守紙らしい立場から、米国は様々な点で「他の西側諸国よりも際立って」おり、「経済力と軍事力は比類」なく、米国人は「慈善活動に誰よりも多くの寄付」をし、誰より「頻繁に投票」するとし、比較調査では、米国人が「他の先進民主主義国の国民よりも宗教心が強いこと」も明らで、また「個人が努力を通じて自分の人生を形作る力を誰よりも信じている」とする。

白眉は、「この国の心と魂」、つまり「米国は平等と自由という普遍的な理念に専念する国」との「独立宣言の考え方」にあり、それは「民族的特質、共通の宗教、共有の歴史、祖先の土地など、何らかの統一的な性質からその意味と目的を導き出す他の国とは異なる」という。すなわち「米国は、信条に基づいて建国されている世界で唯一の国」であり、従って「アメリカン・ドリームは他国には存在しない」。これが米国例外主義であり、「MAGA」を標榜するトランプの「1776委員会」と同じ考え方だ。

これに対して「NYT」が進めた「1619プロジェクト」に執心するオバマのパペット・バイデンは、就任日に「1776委員会」を廃止する大統領令に署名した。まさにオバマが今日の米国の分断を生み、それをトランプが修復しようとするのをバイデンが阻止するという構図ではなかろうか。「毎日」の不勉強な「特派員の目」には見えまいが。