ALPS処理水から見えた日本の課題(後編):政府広報とマスメディアの歪な力関係

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(前回:ALPS処理水から見えた日本の課題(前編):日本政府の決心と目標達成への道のり

【事実】「処理水放出は適切」が過半数

放出開始直前の8月14日には「放出は妥当あるいは適切だ」と考える国民は過半数の53%に達した(NHK 8月世論調査:実施期間は8月11~13日の3日間)。

また日経新聞は放出開始直後に行った独自世論調査で、「『理解』が67%」という結果を報じた。

内閣支持率42%、横ばい 原発処理水放出「理解」67%

内閣支持率42%、横ばい 原発処理水放出「理解」67% - 日本経済新聞
日本経済新聞社とテレビ東京は25〜27日に世論調査をした。岸田文雄内閣の支持率は42%で、7月の前回調査から2ポイント上がりほぼ横ばいとなった。内閣を「支持しない」と答えた割合は50%で1ポイント下がった。東京電力福島第1原子力発電所の処理水の海洋放出について、政府判断を「理解できる」は67%で「理解できない」の25%...

内閣支持率42%、横ばい 原発処理水放出「理解」67% 日経世論調査
日本経済新聞社とテレビ東京は25〜27日に世論調査をした。(略)
東京電力福島第1原子力発電所の処理水の海洋放出について、政府判断を「理解できる」は67%で「理解できない」の25%を上回った。

日経新聞8月27日より、太字は引用者)

【事実】どうやって「処理水放出への理解」を促進したのか

ALPS処理水に関するNHK世論調査のグラフを再掲する。

7月初旬のIAEA事務局長来日と包括報告書提出はそれまでの膠着状態を切り開いた。つまり、賛成・適切がやや優勢ながら20%台にとどまり反対・不適切と拮抗し約半数は判断を留保する状態が約2年続いていたが、7月に入り賛成・適切側が増加し35%、反対派はやや減少し20%となり、均衡が破れた。

しかしこの劇的な状況変化はどうして起きたのだろうか。

【事実】『岸田文雄@kishida230』の「X」投稿

ここで、X(旧ツイッター)における『岸田文雄』(@kishida230)アカウントの動きに着目した。投稿数の推移は以下のグラフ2の通りであった。

5月は37回、6月と7月に減少するが8月には59回(28日現在)と増加し、4か月平均33回(≒1日1回)のほぼ2倍だった。

では内容はどうか。

例えば8月28日には次のような投稿をしている。

経産省のユーチューブ動画へ誘導している。テーマは「ALPS処理水」や「トリチウム水」である。

次に月ごとにどのようなテーマの情報を配信していたのか、内訳を分類集計した。

5月にはグラフ3-1に示した通り「G7サミット」がほぼ4分の3(73%)を占めている。

8月にはテーマが一変している(「グラフ3-2.岸田総理8月投稿内訳」参照)。

全投稿数59回のうち「ALPS処理水」関連が18回と最も多く31%を占める。「ALPS処理水」関連は7月には1回だけだったので、8月の急増は、「国民の理解と機運を醸成する」という政府の意図を示す傍証であろう。

【事実】それでも『反対する人』が30%

一方、約3分の1(:30%)の人々が「適切ではない」と反対していた(NHK世論調査8月)。また、どれほど丁寧な説明を重ねても、いつまでも「説明が足りない」という政府批判は常に聞こえてくる。

例えば海洋放出実施直後の8月26・27日に行われた世論調査(毎日新聞実施)でも、海洋放出開始自体は約半数(49%)が「評価する」と答えながら、政府と東電の説明については60%の人が「不十分だ」と答え、「十分だ」と回答したのは26%に過ぎなかった。

26、27の両日に実施した全国世論調査で(略)(海洋放出が開始について)政府と東電の説明が十分かを尋ねたところ、「不十分だ」が60%で、「十分だ」(26%)を大きく上回った。

毎日新聞8月27日より引用、太字は引用者)

一体、どのような人が放出に反対するのか。

【事実】科学技術と社会に関する世論調査(内閣府2017年9月実施)

内閣府も定期的に世論調査をしている。2017年9月には「科学技術と社会に関する世論調査」を実施した。「ALPS処理水」も科学的な話の範疇に入るので、関連性のある質問に注目し結果をグラフ4(円グラフは筆者作成)にまとめた。

「科学技術と社会に関する世論調査」(2017年9月)

(3) 科学者や技術者の話への関心
科学者や技術者の話を聞いてみたいと思うか聞いたところ、「聞いてみたい」とする者の割合が47.1%、「聞いてみたいとは思わない」とする者の割合が51.3%となっている。

内閣府世論調査より。見易さを優先し一部内訳を略した。太字は引用者。)

過半数が「科学者や技術者の話を聞いてみたいと思わない」と回答した。これが、正確な科学的情報が伝わりにくい背景の一つである。

ではその科学や技術に関する話をもたらす(科学者や技術者ではない)媒介者(メディア)は何者なのか。

(2) 科学技術に関する情報の入手経路
ふだん科学技術に関する情報をどこから得ているか聞いたところ、「テレビ」を挙げた者の割合が83.2%と最も高く、以下、「新聞」(40.5%)、「インターネット」(37.2%)などの順となっている。(複数回答、上位3項目)(略)
年齢別に見ると、「テレビ」を挙げた者の割合は60歳代で、「新聞」を挙げた者の割合は60歳代、70歳以上で(略)高くなっている。

内閣府世論調査より、太字は引用者)

【事実】依然としてテレビが強い

6年前の調査という点に留意が必要だが、我が国では依然としてテレビの影響力が最大である。特に高齢者ほどテレビを情報源としている傾向が強いが、我が国ではその高齢者が人口構成比的にメジャーな存在なのである。つまり全体として世論形成に最も影響力を持つマスメディアはテレビであり、インターネットは2番手か3番手であり、世論形成に対する影響力には格段の差がある。

ただし最新の調査といっても6年前のものであり、程度は不明ながら現状とは乖離していると考えるべきである。

以上のファクトについては全て公開情報である。引用の際は必ず独自に確認して頂きたい。

ここからは考察となる。

【考察】政府広報にはやはりテレビの活用が鍵

政府はテレビの活用も充実させることが必要である。

我が国では「国民を戦争に導いた」として政府広報への警戒心が高い。しかし現状は「羹に懲りて膾を吹く」色合いも帯びていないか。

また、今回の「ALPS処理水の海洋放出」という事例において、いくら丁寧に説明をしても『政府と東電の説明は「不十分だ」』などと言われてしまうのが実状である。

そうであるならば、最も影響力があり、国民の8割以上が科学技術の話についての情報源としているテレビにおいて一層政府広報を充実させることも検討すべきである。

ただし『説明せよ』という声について面白い話を細野議員がSNSで紹介している。

以下、テレビ活用に関する提案となる。

【提案①】NHKに政府広報の時間枠を設置

例えば国会議員の選挙の際、NHKは候補者の主張を放送する。それと同様に政府から重要な伝達事項がある場合、必ず「政府広報の時間枠を確保する制度」を作ってはどうか。

NHKは、例えば「振り込め詐欺」への注意喚起を行う。それは理解できる。しかし受信料を払うよう促すアナウンスさえニュース番組の中に恒常的に差し込んでいる。受信料を払っている国民に対してこれはやり過ぎだ。フリーダイヤルに営業電話をかけることと変わらない。

そのような放送時間の使い方をするならば、「説明が足りない」と国民からお叱りを受け続けている政府に広報の時間を用意してもいいのではないか。

【提案②】政府広報を分析評価する機関と時間枠も作る

一方で政府広報は常に行き過ぎる可能性が付き纏う。いわゆる(1942年6月以降の)「大本営発表」である。

政府広報には、不利な状況に陥ると簡単に「事実の捏造」や「都合の良い情報だけを配信」という情報操作の可能性を排除できない。権力者であれば誰でもその可能性を持っている。

そこで、政府広報の時間を確保する上で、「政府広報を分析評価する機関の設置」と「評価番組の時間枠確保」も前提条件とする。実質的に機能しないBPOのような仕組みではなく、裁判制度に近い仕組みを導入すべきである。

【提案③】NHKが拒絶する場合、政府広報放送局(地上波)を作る

提案①はNHKという強大な組織を相手にする話なので、実現したとしても数十年後となる可能性も大きい。

そこで新たな「政府専用の地上波放送局」を設置してはどうか。いわゆる「プランB」である。もちろん、この提案③の場合も②の分析評価機関の仕組みは前提条件である。

【提案④】内閣府・外務省で報道官制度

官房長官が高頻度に政府見解を配信する体制は、情報の応酬が激化した現代において、量的劣勢に陥っていないか。

この官房長官による記者会見に加えて、米国や中国のような報道官を内閣あるいは外務省他に設置し、官房長官と役割分担しながら政府見解を配信する量を増やすことを検討して頂きたい。

同時にそれをマスメディアのフィルターを通さず配信できる体制も合わせて確保したい。

【まとめ】「準戦時下の情報戦」を戦う体制が必要だ

話は飛ぶが中国がALPS処理水に関して横車を押すのにはいくつかの背景が考えられるが、その候補から2つほど掲げる。一つは半導体を中心とした「中国切り離し」へのカウンターである。もう一つは「話語権」(ディスコースパワー)の争いである。

広い視野で考えた場合、仮に中朝露が連携して日米韓と争う場面があると、米国と雖も「欧亜(露中)二正面作戦」は戦えない可能性がある。このときマスメディアというアキレス腱を持ち、強い社会的拘束力のために指導力の弱い日本は、日米韓陣営のなかで最も脆弱な可能性がある。現実的には対米戦で敗戦した際に組織も文化も残ったマスメディアこそ、国民の目を覆い、耳を塞ぐ役割を果たす危険性を孕む。

対露経済制裁に参加した瞬間から、日本は“準戦時下”にあると筆者は考えている。そして日本は、現状変更国と対峙する最も危険なエリアの中心に存在しているとも思う。

「戦争抑止に最善を尽くす」ことには誰からも異論はないだろうが、それが破れた場合を想定して備える(コンティンジェンシープラン)こともまた、抑止同様に重要だろう。

このままではマスメディアによる誤導が心配である。仮に“準戦時下”にあると認めるならば、少なくとも日本の政府広報の有り方は今のままでいいとは思えない。SNSの発展は一つの希望だが、既存マスメディアに関しても、戦後体制を革新すべき時だろう。