悠仁さまは来年の9月6日に18歳で成年を迎えられ、冠が予算要求に計上され話題になっている。成年式や記者会見はどうなるのかについて解説する。なお、本稿は、私のメルマガ、『八幡和郎のFacebookでは書けない話』を今回に限り転載したものである。
皇室典範は天皇、皇太子の成年を「十八年」と定めるので、上皇さまは皇太子時代の18歳で成年を迎え、その翌年の1952年11月に「成年式」を挙げた。昭和天皇も18歳で成年となった。
これに対し、その他の皇族は男性、女性とも一般人と同じく民法の規定に従って20歳で成年となって、陛下は、1980年2月23日(成年:20歳)に加冠の儀(皇居宮殿・春秋の間)を行われた(このとき陛下は皇太子でも皇太孫でもなかった。皇太孫は、たとえば、父親が祖父より先に死んでいたときなどに置かれるもの)。
秋篠宮皇嗣殿下は、1985年(昭和60年)11月30日(20歳)に加冠の儀を行われた。
また、愛子内親王の成年の儀も20歳になった2021年の12月に行われた。
しかし、2022年4月に成人年齢を20歳から18歳に引き下げる改正民法が施行されたため、悠仁さまは18歳で成年になる。それが、2024年の9月6日なのである。
18歳のときの成年については、上皇陛下の時以来のことになるわけだが、まだ高校生であるので、上皇陛下の時も、翌年の11月に成年式が行われた。
それを考えると、悠仁様の成年の儀や記者会見も年が明けてからになる可能性が強い。
眞子様や佳子様は成年の前月に記者会見されたが、愛子様は学業多忙といって翌年までされなかったが、新型コロナ渦で通学されていなかったので、理由にならず、批判を浴びた。公式行事を決められた時に、決められたようにすることは大事なことだ。
悠仁さまの場合も18歳の誕生日にされてもいいと思うが、前例が上皇陛下の成年であり、高校生であることを考えて、翌年にされたのだから、不自然な選択でない。ただ、大学入学にあたって、記者会見されるかどうかも注目される。
以下は、Wikipediaによる儀式の概要である。
冠を賜うの儀
成年となった皇族男子の自宅で、天皇に遣わされた使者から、皇族男子が冠を受け取る。加冠の儀(かかんのぎ)
成年となった皇族男子は、未成年の装束である闕腋袍(けってきのほう)に白絹の袴という出で立ちで、手には笏を持ち、頭には未成年の被り物である空頂黒幘(くうちょうこくさく)を被った姿で、先導役に導かれて天皇・皇后および参列者の待つ皇居内の広間へ入場する。次いで加冠役が空頂黒幘を外し、燕尾纓(えんびのえい)の付いた冠を被せ、冠に掛緒を付けた後、あごで結び、緒の両端を切り落とす。つづいて成年した皇族男子が、天皇・皇后の前へ歩み出て感謝と覚悟を奏上する。同様にして両親にも感謝の言葉を述べて、儀式は終了する。
成年した皇族男子は、この後、成年の装束である縫腋袍(ほうえきのほう)、垂纓(すいえい)の冠に着替え、宮中三殿を参拝する。
朝見の儀
成年になってはじめて、天皇・皇后に会う儀式。洋装で行われる。九年酒を順番に口にし、儀式料理に箸を立てて、終了する。この後、身位に応じて勲章が授けられ、成年式が終了する。終了後しばらくの間に、成年を報告するために、陵墓や神社を参拝する。
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