両岸問題の平和的解決が前提:日米の対中国交樹立

我が隣国の人々はボイコットが好きだ。意に沿わないことがあるとすぐこれをやる。ボイコットには特定の人物の排斥、商品の不買、サービスや納税や料金支払の拒否などがあり、その対象や手法は多岐にわたる。20世紀前半には、日本の経済進出の影響を受けた中国で激しい日本製品ボイコットが起き、それが日中戦争の要因にもなった。

今般の処理水排出でも中国は日本ボイコットで盛り上がる。国情や国民性の違いか、韓国のボイコットは熱し易く冷め易いが、そこに党の意志が加わる中国では、指令がある限り執拗に続く。THAAD配備に土地を提供した韓国ロッテグループなど、これで中国撤退を余儀なくされた。台湾でも、これから佳境に入る総統選(1月投票)への牽制から、中国による台湾品ボイコットもプロパガンダと共に佳境に入るだろう。

その台湾総統選に、20年に国民党の予備選で韓国瑜に負けた鴻海創業者の郭台銘が、無所属で立候補を表明した。郭は前回、すでに韓と決めていた国民党中央から陰に陽に苛められた。彼はその予備選敗退で国民党を離脱したが、党は彼を「断絶した党員」と難じていた(台湾メディア「風傳媒」)。

郭を加えた4候補の世論調査は、例えば「QuickseeK」が8月17日~21日に電話で行った調査の支持率は、民進党頼清徳:35.6%、国民党候友宜:16.2%、民衆党柯文哲:24.4%、郭:12.4%、未定:11.4%で、頼が優勢だ。5〜6月以降の傾向は、8月に入って候と郭が下降気味、頼が大幅増、柯が微増となっている。

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そこで本題だが、「ボイコット」を冒頭で述べたのには理由がある。米中は79年1月1日に発した「共同コミュニケ」で外交関係を樹立したが、米国は台湾ロビーの影響を受けた議会の主導で、同年4月10日に事実上の米台軍事同盟である「台湾関係法」(TRA)を法律化し、断交後の台湾に対する基本政策とした。その第二条B項は次の様にいう。(以下、太字は筆者)

第二条B項 合衆国の政策は以下の通り。

(3)合衆国の中華人民共和国との外交関係樹立の決定は、台湾の将来が平和的手段によって決定されるとの期待にもとづくものであることを明確に表明する。
(4)平和手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試みは、ボイコット、封鎖を含むいかなるものであれ、西太平洋地域の平和と安全に対する脅威であり、合衆国の重大関心事と考える。

TRAは米国の国内法なので中国を法的に縛るものではない。が、米国が中国と外交関係を樹立する前提として「台湾の将来が平和的手段によって決定される」ことがあり、非平和的手段には「ボイコット、封鎖を含む」と書いてある。つまり、中国が台湾に対し「ボイコット」や「封鎖」をするだけでも、米国が中国との外交関係を白紙の戻す可能性があると読める。

百歳になったキッシンジャー元米国務長官が7月20日、中国を訪れて習近平国家主席と会談した。19日に外交トップの王毅党政治局員、18日に李尚福国防相とも会談した。ニクソンとフォードの両政権で国務長官や国家安全保障顧問を務めたキッシンジャーは、51年前の極秘訪中でニクソン訪中と上海コミュニケ(72年2月)をお膳立てし、7年後の米中国交樹立を先導した。

「キッシンジャー『最高機密』会話録」(毎日新聞社:99年刊)は、中ソのトップとの71年から76年までの「会話録」が記された本文550頁の大著だ。この中には72年2月21日のニクソンvs毛沢東の初会談を始め、その後の周恩来や鄧小平らとの会話、あるいはソ連のブレジネフやグロムイコと行った会話が収録されている。

同書に拠れば、ニクソンは毛沢東との会談の翌21日、周恩来との会話の冒頭で、以下の台湾問題に係る短い一節に二度「平和的な解決」の語を用いている。筆者には、冷戦を共に戦った同盟国台湾を見棄てることへの贖罪意識がここに表れているように思われた。

我々は台湾問題を平和的に解決するための実行可能な方法なら、どんなものでも支持します。この問題が平和的な解決に向けて前進するのに合わせ、台湾に駐留する我が軍の残り三分の一の削減も進めていきます。

同書のこの部分の解説も、筆者の思いとほぼ同じくこう書かれている。

要旨
米国は中国の意向に沿い、台湾問題は米中間の「国際的な紛争」ではなく、中国人が解決すべき「国内的な論争」であるという点に同意した。が、同盟国台湾を売り渡したとの右派からの批判をかわすため、台湾と大陸との統一(北京に言わせれば蒋介石からの開放)が、平和的に行われるとの確約を中国から取り付ける気配りを見せた。が、上海コミュニケにこの確約は盛り込まれていない。この事実は尾を引き、75年にフォード大統領は自身の再選まで国交樹立を先送りする決断をした。

フォードのこの決断には75年4月のサイゴン陥落が影響している。すなわち、「もう一つの同盟国(台湾)を棄ててはならない」との国内外の機運の高まりだ。フォードは75年に訪中したものの共同コミュニケを出せず、対中国交樹立は、彼の二期目を阻止したカーターによる79年1月の共同コミュニケを待つことになる。

カーターの「外交関係樹立に関する共同コミュニケ」は8項目、「上海コミュニケ」をなぞったアルファベットでわずか274字の短いもの。そして82年8月17日のレーガンによる「8.17コミュニケ」の台湾に関する文言も重要だ。国家間の外交文書の類は新しいものが過去のものを上書きするからだ。

重要であることの一つは、第2項で武器売却*に触れていることだが、筆者は以下の第4項の文言をより重視する。(※ 武器売却については拙稿「台湾への武器売却:百歳の天寿を全うしたシュルツ元国務長官の遺産」をご参照願う。)

4. 中国政府は,台湾問題は中国の内政問題である旨を重ねて言明する。中国が1979年1月1日に発した「台湾同胞に告げる書」は平和的祖国復帰へ向けて努力するとの基本的政策を規定した。中国が1981年9月30日に提示した9項目提案は、台湾問題の平和的解決に向けて努力するとのこの基本的政策の最も顕著な努力の表われであった。

先述したTRAの成立が79年4月であることを考えれば、TRAが「平和的手段による解決」に言及していることが、この82年の「8.17コミュニケ」第4項で、中国政府を「台湾同胞に告げる書」と「基本的政策」とで二度「平和的」という表現を使うことに誘引したと考えられる。

つまり、72年のニクソン、75年のフォード、79年のカーターという歴代大統領が、それぞれ希求して果たせなかった「台湾問題の平和的解決」の一語が、10年という時を経てようやくレーガンの「8.17コミュニケ」で盛り込まれたということだ。

日中共同声明の中の「平和的手段」との一語は、TRAや「8.17コミュニケ」ほど直接的な文脈ではないが、第六項後段に以下のように使われている。

両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

あくまで日中「相互の関係において」としているものの、「武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」とある以上、例えば、準軍事組織である中国海警公船による日本領海への不法侵入、あるいは日本のEEZへのミサイル発射などは明らかに「武力による威嚇」であり、この第六項に抵触する。台湾有事の際、中国による台湾「封鎖」が日本のEEZに及ぶ場合は更なり。

中国の言い分で、筆者が最も気になるのは「同胞」や「中国人」という語。前者は「台湾同胞に告げる書」の表題であり、後者は中国憲法の前文で「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を成し遂げることは、台湾の同胞を含む全中国人民の神聖な責務である」と使われている。

だが台湾国立政治大学が長年にわたり毎年実施している意識調査では、20年に「自分は台湾人だ」という「台湾人アイデンティティー」を持つ者が67%を占めるに至った。「自分は中国人だ」とする者は90年代の40%台後半から数%にまで激減、残りの約30%は「台湾人でも中国人でもある」とする者だ。

つまり、台湾人の3人に2人は「中国人」またはその「同胞」という「アイデンティティー」を持っていないのだ。こうした現状は、もはや中国の言い分が、全くの独り善がりであることを明らかにしている。そして台湾を「武力統一」するとの報告書が明るみに出た(8月31日の「産経」「<独自>習氏3期目内の『武力統一』警戒 台湾・国防部の報告書判明」)。

これを裏付けるようにこの6月、中国国防相で国務委員でもある李尚福が英国際戦略研究所主催の「アジア安全保障会議」で、「習近平政権が『核心的利益中の核心』と位置づける台湾問題について「台湾統一のために、武力行使の放棄は決して約束しない」と言い放った(6月4日の「読売」)。

が、縷説した通り、日米が中国と国交樹立した「日中共同声明」も米中「共同コミュニケ」も、「平和的解決」を前提としたものだ。従って「産経」や「読売」が報じるように、中国が台湾を「武力統一」すると威嚇するだけでも、それは国際条約の反故に当たり、日米がその気になれば中国との国交を合法的に白紙化できる。

そんなことを考えていたら、米国政府と英国議会が8月末、台湾を「主権国家」あるいは「独立国」と見做す政策と報告書を公表した。日米が中国の国際条約反故を理由に国交を白紙化するのは尚早としても、台湾と国交回復する環境は整いつつあるのではなかろうか。習近平が台湾を「核心的利益」とする根拠は今や感情論のみ、理論的根拠はもはや瓦解している。