ジャニーズ事務所をめぐる支配と忖度

楠 茂樹

ジャニーズ事務所Wikipediaより

7日、大手芸能事務所であるジャニーズ事務所の、元社長の性加害に関連する記者会見が行われた。その内容を知っている読者も多いだろう。4時間超にも及ぶ長い会見だったが、その中でジャニーズアイランド社長の井ノ原快彦氏が次のように発言したのが印象的だった。

(これまでも)なんでこうなのと疑問に思うことがあった。昔、ジャニーさんがこう言ったから、メリーさんがこう言ったからということを守っている古いスタッフがいる。『何これ』ということがたくさんあると思う。一つ一つ(見直して)やっていくことがある。忖度は日本にはびこっている。本当に大変だと思います。協力いただきたい。(読売新聞WEB記事より)

「忖度」は、辞書を引くと、「他人の心情を推し量ること」と出てくる。それ自体悪い意味はないようだが、今は「政権への忖度」のように悪い文脈で用いられることが多い。

筆者は4年前にジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の注意事案について、ジャニーズ事務所の明確な圧力というよりも、メディアの事務所に対する忖度の積み重ねによってできあがった構造的問題であると指摘したことがある(「公取委がジャニーズ事務所を注意 〜「圧力」とは何か?」)。

メディアは支配される側、すなわち被害者側というよりも、「将来の見返りをどこかで期待している」からこそ忖度するのであって、この場合、競争と反競争の線引きが容易でないことを論じた。取引相手が求めた結果としての排除は競争の結果であるが、そのような構造の下で「飴と鞭」を使い分けるというならば競争制限の結果であるようにも見える。

この場合のメディアはエンタメ業界としてのメディアであり、他の事務所やジャニーズ事務所を退所したタレント(への排除圧力)との関係で論じられるものである。これは私の専門である独占禁止法の議論そのものである(優越的地位濫用規制や取引妨害規制)。

メディアにはもう一つの忖度があったといわれている。それはかつての社長の性加害の問題についてである。被害者が何度となく告発し、週刊誌が報じ、裁判では問題となる事実が認定されたのにも拘らず、大手メディアはほぼ黙殺した。これもまた忖度といえるだろう。その黙殺の背景には密な利害関係がある、ということは容易に想像がつく。大手メディアは報道だけで成り立っている訳ではない。

大手芸能事務所は自社に利益をもたらす「お得意さん」だ。追及に対する報復のリスクを恐れたのか、ことを大きくしないで現状のままの方が都合がよいと判断したのか、あるいはその両方か。自社の利害を前にして、青少年への性加害は追及にも値しないし報じるにも値しないとメディアが考えていたのであれば、そこには事務所を非難する資格はない。権力を前に萎縮したというのであっても同じだろう。

要は「長いものに巻かれて」しまっていたということだ。長いものが短くなると、忖度がなくなり、阿ることを止める。しかし新たな長いものが出てくるとまた巻かれる。「忖度は日本にはびこっている。」との発言は、何も芸能だけの問題ではないし、今だけの問題ではない。事大主義は福沢諭吉のころからずっとそう指摘されている。

一方、被害者は年端のいかぬ少年たちであり、忖度という言葉や阿るという言葉にはまだ届かない年齢だ。井ノ原氏はこの点に関し、「何だか得体の知れない、それには触れてはいけない空気というのはありました。」と発言してもいる。その当時、ではどうすればよかったのか、と問われると筆者にも回答が思い浮かばないが、2度とそのような状況を作り上げない工夫が必要だ。

筆者は、今年の6月14日、朝日新聞の「耕論」というコーナーに寄稿した(朝日新聞ウェブサイト参照)。そこで、企業間の支配の問題といじめや性加害に関する支配の問題を論じた。そこでは次の文章を書いた(語尾など一部修正)。

 特定の何かや誰かが強大な力を持つときは、支配のリスクを明確に意識して、あらがう仕組みを整えておかなければいけない。重要なのは選択肢の多様性、そして追い詰められないための非常口を確保しておくこと、その手段に出るハードルを低くしておくことである。

これは企業間の支配構造などにはよく当てはまるだろう。優越的地位の濫用から免れるには相手にそのような地位に立たせないことが肝要だ。組織内部や人間関係にも同じことが当てはまる。しかし抜け出せない支配もあるし、そうであるが故に深刻だ。だから人々は搾取や、いじめ、性加害の被害者となり悩み続け、最悪の結果を迎えることもあるのである。そこでこのようにも述べた。

 人間関係や社会における支配構造は、そうはいかない。いじめや性被害などのハラスメントは、深刻な問題であり続けている。それらも当事者間の問題としてだけ処理されるのではなく、独禁法のような、外部の目を通じて有効に機能する非常ボタンを用意しなければならないのではないか。

その非常ボタンを押すのは誰か。トラウマを抱える被害者にすべて委ねるのは酷である。その一端を担うのが大手メディアのはずだったがそれが機能しなかった。被害を生み出さないための、被害者を救済するための制度構築が急がれる。