9月15日、高雄の土を踏んだ。パスポートを確認すると前回の台湾行は19年7月22日の帰国、実に4年2ヶ月ぶりだ。14年3月末に現地勤務を終えてからも毎年1〜2度は欠かさず訪れていた台湾だが、20年春先からのコロナ禍で渡航ままならず、その後も23年4月末までは陰性証明やらワクチン3回接種やら、防疫上のことが煩わしかった。
高雄市南部の小港区に位置する高雄空港の滑走路は東西に延びている。日本からの飛行機は基隆上空から南へ島を縦断し、台南辺りで台湾海峡上に出た後、機体を大きく左に傾け300度ほど旋回して、東側から滑走路に入る。左の窓から寿山、高雄神社、漢来ホテル、85階ビル(旧金典ホテル)が次々眼に入ると、「高雄に来た」実感が湧く。
何を措いても安倍さんの銅像を見なければと17日、空港のすぐ北にある鳳山区紅毛港保安堂に向かう。在勤中の10年前から「紅毛港」(ホンマオカン)が歴史ある地域と知ってはいたが、行ったことがあるのは「紅毛港」なる海鮮レストランだけ。そこは「海天下」や「蟳之屋」など肩を並べる高級店の一つで、もっぱら遠来客の接待に使っていた。
昨年9月24日の「自由時報」を読むと、安倍さんの銅像は紅毛港保安堂の右前庭に、自筆の「台湾 加油 安倍晋三」(台湾 頑張れ)が紅い文字で彫り込まれた石碑と共に設けられ、国葬を三日後に控えたその日、元高雄市長の陳菊総統府監察院長ら300人以上が列席して、除幕式が行われたことが報じられている。
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折角なのでこの際、紅毛港の400年を概観してみよう。名前の由来はもちろん「赤毛」、すなわち西洋人だ。台湾がフォルモサ(Formosa)と呼ばれるのは、大航海時代に台湾島沖を航行したポルトガル船の船員が「イラ・フォルモサ」(美しい島)と叫んだことに因む。台湾人は台湾を「美麗島」と呼び、駅やビルやゴルフ場などの名前にそれを使う。
17世紀以前の台湾では、7族とも9族ともされる原住民が一部は山間部(高山族)に、また平地には平埔族が、明朝の海禁策(海外渡航の禁止令)を破って波高い台湾海峡を対岸の福建省から一旗揚げに渡ってきた閩南人と融和混血しつつ暮らし、海沿いの天然港は、日本人のみならず漢人や朝鮮人やポルトガル人などの倭寇が根城にしていた。
1624年から62年までの38年間、台南を中心に台湾を統治したオランダ人や、北部の基隆や淡水を一時期占領したスペイン人を台湾の住民は「紅蛮族」と呼び、その遺物を紅毛城(台南の安平城、淡水のサントドミンゴ城)、紅毛楼(台南の赤崁楼)、紅毛埠(嘉義蘭潭)と呼んだ。紅毛港は高雄小港と新竹新豊鎮の2カ所にある。
時代は下り国民党政府が戦後台湾に到来すると、小港の紅毛港の5村は海城、海昌、海豊、海源、海城と改名されて高雄県小港鎮に属した。50年代に高雄第二港の建築が始まると紅毛港の台湾最大のマングローブ林は消失し、完成した67年には海城村の北半分が陸側に移され、紅毛港は縮小した。79年、直轄市に昇格した高雄市は小港鎮を合併、鎮が区に村が里に変更された。
高雄第二港の完成を境に、紅毛港は港に代わってコンテナヤードに活用され始め、これに伴う埋め立てで日治期に栄えたボラ漁も姿を消し、地元民の生業も大きく変化していった。2000年代に入ると区域の整備計画に絡む移転問題で抗議活動や事件なども起きたが、07年には村の移転が完了、高雄-大陸間のコンテナセンターに変貌した。
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漁業を生業とした紅毛港の人々の最大の関心事は海の安全、彼らは長年それを神仏に祈って来た。このため紅毛港は高雄市内でも最も寺院が密集した地域だ。紅毛港の寺院は主に五大姓を有する六つの角頭廟と埔頭仔をその中心とし、飛鳳寺(「埔頭仔」廟)、飛鳳宮(「姓楊仔」廟)、濟天宮(姓李仔」廟)、朝鳳寺(「姓洪仔」廟)、朝天宮(「姓蘇仔」廟)、天龍宮(「姓吳仔」廟)がある。
道すがら絢爛豪華な廟が目を惹くが、これらと共に紅毛港保安堂もこの区域整備で、海沿いの小港紅毛港から空港を隔てた北側の鳳山区南部に移転した。保安堂の起源は、日治期の大正末期(1920年代)に遡る。戦後、漁民が網に掛けた頭骨を保安堂に祀ったところ、日本語を知らない子供が寝言で戦死した日本海軍艦長のことを語ったことから、爾来、日本の軍艦を祀っているという。
こうした縁(えにし)から、「台湾有事は日本の有事」とばかり一衣帯水を隔てたこの隣国を常に大事に思っていた安倍晋三元総理の全身像を、まったくの篤志を以て建立した紅毛港保安堂の関係者とその近隣住民の方々には、心から頭が下がる思いだ。
帰りがけに保安堂の右隣、すなわち安倍さんの銅像の背景になっている富士山の幕の裏に接した海鮮料理屋で食事をしつつ、この一年お店の売り上げに変化があったどうか尋ねてみたところ、「みな観光バスやタクシーで来て、そのまま帰ってしまうよ」と屈託がない。観光ルートに組み込まれているのだろう。
牡蠣の天ぷら、魚の煮付け、烏賊の炒め、筍と豚肉の炒め、焼きそば等々、相変わらずたいそう旨い台湾小吃を銅像の傍で味わってこそ、安倍さんへの手向けになるのに。