台湾で沖縄を考える(前編)

9月半ばからの台湾行に本を4冊持ってきた。ロバート・E・エルドリッジの「誰が沖縄を殺すのか-県民こそが“かわいそう”な奇妙な構造-」(PHP新書)と「尖閣問題の起源-沖縄返還とアメリカの中立政策-」(名古屋大学出版会)、西村熊雄の「サンフランシスコ平和条約・日米安保条約」(中公文庫)、そして加地伸行の「『史記』再説 -司馬遷の世界-」(中公文庫)だ。

「台湾有事」がいつ現実になるか知れない中、それと密接に関わる「尖閣」と「沖縄」、51年9月8日の調印で日本を独立させた「サ平和条約」及びそれと不可分な「安保条約」、そして古代中国史などを台湾で考えようとそれらを選んだ。本欄への初投稿が沖縄の県民投票に関する19年2月の募集への応募だったこともある。

09年から在沖縄米軍海兵隊外交政策部次長を務めていたエルドリッジ氏は、キャンプ・シュワブ前で抗議活動をしていた某氏が基地内に進入したことを示す画像を提供したことで、15年に職を解かれた。90年に来日して30余年、神戸大学の法学博士号を持つ日本通で、極めて流暢な日本語で書いた著作もあるほどだ。

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折しも18日、ジュネーブで開催中の国連人権理事会で玉城デニー沖縄県知事が英語で90秒ほど演説した。「NHK News web」が邦訳全文を載せているので以下に引いてみる。(太字は筆者、以下同様)

ありがとうございます、議長。ハイサイグスーヨー、私は、日本国沖縄県の知事玉城デニーです。米軍基地が集中し、平和が脅かされ、意思決定への平等な参加が阻害されている沖縄の状況を世界中から関心を持って見てください。日本全体の国土面積の0.6%しかない沖縄には、在日米軍基地のおよそ7割が集中しています。さらに、日本政府は、貴重な海域を埋め立てて、新基地建設を強行しています。県民投票という民主主義の手続きにより明確に埋立反対という民意が示されたにもかかわらずです。軍事力の増強は日本の周辺地域の緊張を高めることが懸念されるため、沖縄県民の平和を希求する思いとは全く相容れません。私たちは、2016年国連総会で採択された『平和への権利』を私たちの地域において具体化するよう、関係政府による外交努力の強化を要請します。今日はこのような説明の場が頂けたことを感謝しております。ニフェーデービタン。ありがとうございました。

一読この演説には、巧妙な「民意」の対象のすり替えがある。19年2月の県民投票について沖縄県のHPは、「投票率は52.48%となり、投票総数の71.7%、43万4,273人の圧倒的多数の方が辺野古埋立てに反対の意思を示されました。辺野古埋立てに絞った民意が初めて明確に示された」としているからだ。が、演説を聞く者の多くは、全体のトーンから「平和を脅かす米軍基地」に反対する「民意」と錯誤する。

これを報じる他紙はどこも書いていないが、「産経」は19日、15年に翁長知事が同じ場での演説で辺野古移設反対を訴えたいばかりに、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べたことに触れている。16日の「主張」(社説)でも「産経」は、「玉城氏が人権理へ 国益を害する言動やめよ」と釘を刺した。保守紙「産経」の気骨だ。

エルドリッジ氏の「誰が沖縄を殺すのか」も、その第一章「沖縄人民の民族自決? -沖縄独立論という虚妄」の冒頭で、翁長氏が15年の演説で使った「自己決定権」=「right to self-determination」なる英語は「民族自決権を明確にイメージさせる言葉である」と述べている。以下に沖縄県のサイトから翁長演説の邦訳全文を引用してみる。

翁長知事の国連での口頭説明(訳)

ありがとうございます、議長。私は、日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。沖縄は日本国土の0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の73.8%が存在しています。戦後70年間、未だ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。今日はこのような説明の場が頂けたことを感謝しております。ありがとうございました。

太字にした箇所の英文は各々「Okinawans’ right to self-determination is being neglected」と「Our right to self-determination and human rights have been neglected」。この短い演説の中で2度も沖縄県民の「right to self-determination」が「neglect」されていると述べるなどは、如何にも異様だ。

エルドリッジ氏は、「しかも、このスピーチがなされたのは、国連で『組織的で深刻な人権問題』『少数民族問題』を討議するための場である」とし、「おそらく、この表現は意図的に使われたものなのであろう」と推察、論拠として、翁長演説を報じる「沖縄の未来 沖縄が決める/非暴力の闘い 大国に挑む」と題された「琉球新報 号外」を挙げる。

つまり、沖縄県の知事が「国連人権理」という場で用いた「right to self-determination」という語を英語圏の人々が耳にすれば、チベットや内モンゴルや新疆ウイグルのような深刻な人権侵害(人はそれをジェノサイドと呼ぶ)が沖縄で起きているとの錯誤が生じかねず、むしろそれを狙った節があるというのだ。

その「号外」の大意は、「1879年の琉球王国合併以来、沖縄の地位は植民地以下であり続けた。返還後のこの半世紀も、米軍基地の存在により人権侵害と戦争の恐怖が続いている。だから今、沖縄の先住民族自己決定権の獲得(民族自決=独立)を求めて、米国と日本を相手に闘っている」というもの。だが、果たしてこれは本当に沖縄県民140万余の総意なのか。

今回玉城氏は「自己決定権や人権」の語こそ使わなかったが、「意思決定への平等な参加が脅かされる」と言葉を換えて、演説のトーンを「平和を脅かす米軍基地」に反対する沖縄県民の「意思」が反映されないとのニュアンスを醸(かも)した。つまり、翁長演説が「辺野古移設反対」に重きを置いたのに比べ、玉城演説は「平和を脅かす米軍基地」をより強調したように筆者には感じられる。

思うに玉城氏がそうした理由は二つ。一つは9月4日に最高裁が、辺野古の軟弱地盤改良工事を承認しない沖縄県に対して国が行った「是正の指示」を「適法」と判決し、この先県は工事を承認する義務を負ったこと(従わない場合でも、結局は「代執行」となる)。そして二つ目は「中国への阿り」だ。

玉城氏は7月3日から「日本国際貿易促進協会」の河野洋平会長らと訪中した。22日まで約3週間の旅程という。5日の中国共産党序列2位の李強首相との会談では、「厚遇」に舞い上がってか、中国公船の尖閣領海侵入に触れもしなかった。理由を質す記者団に「話に出なかったので、私からあえて言及することもなかった」と嘯く。が、その腰抜けぶりには領土を守る気概の欠片も窺えない。

7月6日の「RKBラジオ」で元RKB解説委員長の飯田和郎氏は、玉城氏の訪中目的を「中国人観光客の沖縄誘致」を念頭に置いた「経済」と「独自外交」だと述べた。観光立県として観光客を誘致するのは当然としても、沖縄県の「独自外交」は何事か。

沖縄県は今年4月、新たに「地域外交室」を設けて、アジア太平洋地域の平和の構築に貢献する「地域外交」を重要施策と位置付けるという。「地域外交」が「観光客の誘致」や「交易の促進」にとどまるなら好ましい。だが「平和の構築」を余りに強調するなら、国の行う工事の差し止めと同様、地方公共団体としての矩を踰えてしまう。

飯田氏は習近平主席が6月に古文書の資料施設を視察したことを報じる「人民日報」にも触れている。それは習氏が解説員に「私は福建省の福州に勤務していた際、福州には琉球館や琉球墓があり、琉球との交流が長く深いことを知りました」「そして、福建出身の多くの人々が当時、琉球へ移住したことも知っています」と述べたと報じている。

7日の「琉球新報デジタル」に拠れば、玉城氏は6日にその福建省福州を訪ね、習のコメントをなぞるように、明代から清代にかけて「福州で亡くなった琉球人の船員や留学生らを埋葬した琉球人墓地」、「中国へ貢ぎ物を献上するため派遣された琉球人らが拠点とし、現在は沖縄と関係する文化財を展示」する「琉球館」、そして「98年に建設された福建・沖縄友好会館」を訪れた。習氏への「阿り」そのものではなかろうか。