企業は史上最高益なのに、なぜ賃金が上がらないのか

池田 信夫

岸田政権は15兆円規模の「経済対策」を組むらしい。企業は史上最高益で税収は史上最高、需給ギャップはプラス0.1%になったのに、何のために経済対策をやるのか。

史上最高益の原因は海外収益

景気回復の最大の要因はコロナ明けの消費回復だが、見落とされているのは直接投資収益の激増である。熊野英生氏の集計によると、2022年度の直接投資収益は23.4兆円。これは法人企業統計の経常利益の28%に相当する。

図1(熊野英生氏)

これをマクロ経済的にみると、第1次所得収支(企業の海外法人などの投資収益)が激増していることがわかる。昔は円高になると貿易収支が赤字になったが、今は円安でも大幅な貿易赤字になった。それに代わって経常収支を黒字にしているのが所得収支である。

図2(日本経済新聞)

円安でなぜ海外収益が増えたのか

このため海外収益を含むGNI(国民総所得)はこの10年で13%増え、GDPより30兆円も多くなった。この差額(所得収支)は企業の連結経常利益に計上されているが、国内には雇用を生まない。これが企業は高収益なのに賃金が上がらない一つの原因である。

図3

奇妙なのは、この時期になぜ海外収益が激増したのかということだ。そのヒントは、図2で2010年以降に貿易赤字が増えた現象にある。この時期は円高で企業の海外移転が進み、国内でつくっていた製品をアジアの海外法人で生産して半製品を輸入し、本社の利益に計上してお化粧した。

日銀の黒田総裁はこれを「円高不況」と取り違えて円安に誘導したのだが、貿易赤字はさらに拡大し、所得収支が増えた。結果的には、黒田日銀が大量に供給したチープマネーが海外直接投資の原資となり、製造業の空洞化を促進したのだ。

この結果、日本企業の直接投資残高は300兆円を超え、世界最大である。これを「内部留保」と考えるのは誤りで、大部分は海外法人や子会社への海外投資である。その収益は本社に送金する必要はなく、現地で再投資するのが普通である。

しかしウクライナ戦争以降の円安・資源高で赤字になったメーカーが、海外法人の利益を本社に送金して連結経常利益に計上し、逆に「お化粧」したのではないか。これは粉飾決算ではないが、海外に再投資する原資が減る。

単純労働者の賃金はアジアに近づき、国内の格差は拡大する

この海外直接投資が企業収益の大幅な伸びの最大の原因なので、国内の雇用は増えない。失業率は上がらないが、国内の単純労働者は海外法人の労働者と競争するので、単位労働コスト(生産性で割った賃金)はアジアに近づき、国内の格差は拡大する。

図4 単位労働コストの推移(OECD)

これは1990年代からアメリカで「アウトソーシングが雇用を奪う」として大論争になった問題である。当時はNAFTA(北米自由貿易協定)ができて自動車産業や電機産業などがメキシコに工場を移転し、アメリカの中西部では失業問題が深刻になったが、日本ではそういう論争が起こらない。

これは日本の製造業が2000年代からゆるやかに海外移転を進め、それを会計上で「お化粧」したためだろう。おかげで国内投資は不足したが、これを安倍政権は「デフレ」と誤認し、日銀は空洞化を促進する異次元緩和を続けた。

しかし景気が回復してくると、このグローバリゼーションによる格差拡大という先進国に共通の問題が顕在化することは避けられない。これは30年にわたって論争が続いているが、簡単な答はない。10月6日からのアゴラ経済塾「グローバリゼーション後の世界経済」では、こういう問題をみなさんと一緒に考えたい。