日本は国境線の防衛に徹するのではなく、むしろ外的環境の形成に打って出るべく、そして日本に対する重要なアクセスポイントを競合国が支配する事態を防ぐべく、競争優位を保つための一線、山形(有朋)の言葉で言えば「利益線」(ライン・オブ・アドバンテージ)をどこに引くか考慮せねばならない。
日本でもよく知られた日本政治の専門家である著者マイケル・グリーン氏は、本書の副題にかつて山形有朋が言及した「利益線」を引用した。
安倍晋三内閣が展開した外交を吉田ドクトリンとの決別として、本書では近代から現代までの日本外交を振り返りながら、第一次から二次まで合計8年8か月続いた安倍外交を歴史の中に位置付ける。
安倍晋三は一時期欧米から批判された歴史修正主義者でなければイデオロギーのみに突き動かされるわけでもなく、徹底的かつ合理的な現実主義者であった。米国大統領のオバマともトランプとも折り合いをつけながら付き合い、日米関係の発展と安定に心を砕き、常に二国間同盟の保守点検を怠らなかった。
安倍は常に、冷徹な地政学的計算に基づき日本の針路を定めたと言ってよい。同時に軍事力の使用を著しく制限された日本の現実を直視し、日米同盟に加えてルール形成を通じて国際社会に重層的なネットワークを構築した。それはまさに、著者が分析した「実際に推進されていたそれは、明らかに自由主義な国際主義的性質を帯びた対外バランシング」であった。
昨年安倍が暗殺された3日後に評者が振り返った安倍外交も、この点について「安倍外交は、政治学の教科書で議論されるリベラリズムの王道を地で行く政権であった」と総括している。従って、多くの安倍支持者は触れたがらないが、2020年の政権末期には中国の習近平国家主席の国賓来日を目指し、安定に向かっていた日中関係をも国際ルールの中で管理することを試みていたのである。
トランプ政権で国務長官となったレックス・ティラーソンが最初のアジア訪問としてインドを訪れる前に、アジア政策に関する明確な宣言を出したいという焦りがあった国務省政策企画本部は、このコンセプトに飛びつき、名称もそっくり拝借することにした
安倍外交の代名詞と言えば「自由で開かれたインド太平洋戦略(FOIP)」である。この戦略を米国政府が採用したことは広く知られているが、外交が混乱を極めたトランプ政権初期に国務省が同戦略を有用と判断した経緯を著者は具体的に明かしている。
これまでも中曾根康弘や小泉純一郎など、国際社会で存在感を示した日本の首相は確かにいた。しかし二人とも、それぞれレーガン大統領やブッシュ大統領と「世界の警察官」である米国を同盟国として支える立場であった。
一方で安倍は、トランプ前大統領が国際社会の先導役、仲介役に興味を示さない中、好むと好まざるとに関わらず、米国と欧州主要国の間を取り持ち、実質的な国際社会の管理者の役割を担ったのである。
アジアにおいて平和と安定が損なわれれば、世界全体に大きな影響を与えます。
著者は、近代から今日までの日本外交を振り返る中で、極めて特別な安倍とその時代を日本史の中に明確に位置付けることを試みた。2014年のダボス会議で基調講演した安倍晋三は、単に目の前の国益を確保しようとする並みの指導者ではなく、世界全体の安定を達成する中に自国の国益を見出すことの出来た稀有な指導者であった。
本来、本書は日本の研究者によって書かれてしかるべきであった。しかし、それを同盟国の側から客観的に評価してくれたのが、他ならぬ著者であった。本書の価値と意義は、まさにこの点にあると言っても過言ではない。
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