「聞く力」が低迷させる岸田政権の支持率

ハマスによるテロで多くの一般人が惨殺されたことには心が痛む。その上で、いくらその報復のためとはいえ、イスラエルの軍隊がガザ地区のパレスチナ難民を同じ目に遭わせるというのは、人権重視の今の価値観に馴染まないというのが、国際社会の多くの人々の心情ではなかろうか。

だが、「テロを許してはならない」ことを忘れてはならない。その都度、テロリストを根絶やしにし、再発の芽を摘む必要がある。ハマスは住民を盾に使うし、偽旗工作も横行する。地上戦が始まればイスラエル非難の声が高まるだろう。が、ガザ住民が恨むべきはテロを起したハマスである。

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地であるエルサレムがあるこの地域の問題の根は、紀元前に遡るほど深く、そこには民族と宗教という人類の根源的な問題が絡む。その種の問題には、寛大というか無関心というかは別として、深入りをしない日本人の理解を越えている。

ところがその日本で、ここ一年、テロと宗教問題が起きている。発端は昨年7月に安倍元首相の暗殺テロを起した犯人の供述とされる、旧統一教会(「教団」)が絡む出所不明のリークだった。それを機に、過去のことと思われていた「教団」問題が再燃し、連日TVメディアを中心に「教団」叩きが行われた。

首相官邸HPより

そこに「聞く力」を発揮した岸田文雄は昨年8月、総裁として党議員に「教団」とその関連団体との関係を断たせ、首相としては、「教団」との過去の関係を理由に閣僚7人を更迭した。2ヵ月後には宗教法人格を剝奪すべく、文化庁をして「教団」に質問権を行使させ、東京地裁に解散命令を請求させた。

筆者は宗教には学問的な関心しか持ち合わせていないので、「教団」被害者とされる方の話を聞けば同情するし、「教団」の言い分を聞けば、それもそうだなあと思う。つまり、「教団」の解散問題は、裁判所が宗教法人法に則って判断すれば良いという立場なので、今後の成り行きにも余り関心がない。

が、岸田総理総裁が、「教団」が宗教法人法に基づく法人格を保持していた昨年8月の時点で、自党議員に「教団」との関係を断たせ、閣僚を「教団」との関係を理由に更迭するなどは、憲法に謳われた思想信条の自由や信教の自由を、法治国家の指導者が侵す行為だと考えている

管見の限りだが、この問題で筆者と同じ様に岸田総理総裁のこうした行動を法に反すると断じているのは、ひとり三浦小太郎氏だけのようだ。そこで筆者は先ごろ、月に一二度会って話す近所の友人との話題にこの問題を上らせてみた。

団塊の世代真っただ中に生まれた彼は、学生運動も経験した左翼からの転向保守、さらに台湾好きなので話が合う。筆者のブログも読んでくれ、時に褒めてもくれるが、それは論旨というよりも、こまめに法律や条約や原著に当たる姿勢や、文章の書き回しであることが多い。

滅多に白熱することのない二人の居酒屋談義だが、この問題では少し熱くなった。筆者は先述の様に、「教団」解散云々よりも、法を外れた岸田のやり方を問題視した。が、年齢相応に「教団」の来し方を知る彼は、心情的には解散すべきとし、筆者の岸田不法論にも異論を述べた。

その主旨は、自民党が私党ならば勿論のこと、公党であっても、主義主張を同じくする者の集まりであり、その総裁が自党議員に一宗教団体との関係を断てと指示したところで、議員が選らんだ総裁である以上、否なら従わなければ良いし、あるいは仲間を募って総裁降ろしに動けば良いというもの。

首相としても、国会議員の過半数の指名で選ばれる総理大臣には、国務大臣を任命することも、任意に罷免することもできる(憲法第68条)。従って、総理の意に沿わない大臣を辞めさせたところで、傍から何かをいうのは良いが、それで結果が変わる訳ではないという理屈だ。

その時はすでに紹興酒が1本空いていたので、彼もこれらを理屈立てて話した訳ではない(依って、上記は筆者が彼の言い分を忖度して書き足したことを少なからず含む)。そう言われて筆者はハタと考え込んでしまったが、そのうち話題も変わって、お開きと相成った。

今こうして整理してみても、彼の言い分は理に適っているが、どうも釈然としない。さらに良く考えて、釈然としない原因に辿り着いた。それは、理不尽な指示をした岸田も岸田なら、それに唯々諾々と従った議員も議員で、彼らが岸田に盲従したのも、世間の猛烈な教団叩きのせいだろう、と。

政府が「教団」の解散命令を請求したことの是非を問う世論調査では、84%が評価したそうだ。「猿は木から落ちも猿だが、代議士が落ちればただの人」といわれる通り、議員が世論を気にするのは当然だから、世論調査を見る限り、岸田も自民議員も国民の声を「聞く力」を発揮したことになる。

が、次の様な設問ならどういう結果になったろうか。

即ち、「岸田総理総裁は宗教法人格を保持している宗教団体とその関連団体との関係を理由に、閣僚を更迭し、自党議員にも関係を断たせた。これは憲法に謳われた思想信条や信教の自由を侵していると思うか否か」。

筆者は、この種のことはハマスとイスラエルの問題と同様に、先ずは一般論、あるいは原理原則や法律の側面から考える必要があると思う。然る後に、目の前で起きていることや個別具体的なことに立ち戻って、再考してみるのだ。さもないと感情に流され、事の本質を見失いがちだ。

岸信介はこう言った。

国会の周りはデモでナニしていたけれども、後楽園球場はでは数万の人が入って野球を楽しんでいる。

大衆に追随し、大衆に引きずり回される政治が民主政治とは思わない。民衆の二三歩前に立って、民衆を率い民衆と共に歩むのが本当の民主政治のリーダーシップだ。

安保闘争は、その後もごく一部の活動家に引き継がれはしたものの、今となっては日米同盟抜きには日本の安全保障が成り立たないことを、国民の多くが当たり前に知っている。岸田首相に欠けているのは、岸のこの確固たる信念と二三歩前に立って国民を率いるリーダーシップではなかろうか。

「ポピュリズム」という語がある。「大衆迎合」などと訳される。が、岸田首相には、国民は国の政(まつりごと)を専門家である政治家に任せていることを忘れてもらっては困る。「聞く力」とか言って頼って来られても、国民は困るのだ。

多くの国民が今、この政権の「聞く力」に名を借りた「ポピュリズム体質」の「頼りなさ」と「危うさ」とを感じているのではなかろうか。筆者はそれこそが今、岸田政権の支持率が秋の日さながら釣瓶落としとなっている理由だと思う。自民党は総裁を変えるべきだろう。